第16話
「じゃあそろそろ行くか」
「そうですね」
体力の回復した男が広場の地面から腰を上げた。
二人でここでずっと座っているわけにもいかないので、つられるように僕も立ち上がる。
野菜を売り終わったので、門番の人が言っていた村長のところに行かないといけない。村長が住んでいるであろう屋敷は入口からでも見えたのでとりあえずそちらに足を進める。
進んでいくにつれて屋敷の姿が鮮明になっていく。鮮明になるにつれてこの屋敷が集落にあることに違和感を覚え始める。なぜなら
「いいね、屋敷っていうならこれくらいないとな」
「……いや、どう見てもほかの家と大きさ違いすぎません!?」
「そうか?ほかの家が適当すぎるだけだろ。俺の家はもっとすごいぞ」
さっきまであった家は木でしっかりとは作ってあったが、どちらかというと一生住む家というより立て直しも考えられているような簡素さだったのに、この屋敷だけなんというか建てた時の気合が違うのが感じられる。
木でなくレンガで建てられているし、二階建てで部屋が何部屋あるのかわからないくらい屋敷が横にも大きい。あきらかに立て直しなんて考えていない、永住するための屋敷だ。
こんな大きな屋敷に住んでいるこの村長とはどんな人物なのだろう?会う前から不安になってきた。自称これよりすごい家に住んでいる男がこんな感じなので、なおさら心配になってきた。これよりましな人が住んでいると信じたい。
僕の
男がそのまま屋敷の扉に手をかけようとすると、その前にギィっと音を立てて扉がひとりでに開いた。そして中からは女中さんが顔を出した。
「お待ちしておりました。主は二階の応接室のいらっしゃいますので、ご案内いたします。どうぞお入りください」
女中さんは頭を下げると、こちらですと僕らを案内するように屋敷の中へ戻っていった。僕たち二人も女中さんのあとを追うように屋敷に入ってみる。
屋敷の中は、何とも
屋敷の構造が変なせいで、女中さんについて行っても村長がいる応接室までつくのに妙に時間がかかってしまった。
なんで応接室が二階の中央にあるのに階段が屋敷の端にしかないんだろう?こんな変な構造で生活するのに困らないのだろうか。
僕ら二人が応接室の前まできちんと来た事を確認すると、女中さんは応接室の
「森に入りたいというお二人をお連れしました」
扉に話しかけると、奥からどうぞという声がかすかに聞こえた。
「どうぞ、お入りください」
女中さんが応接室の扉を開け、僕ら二人を扉の奥へ案内する。緊張しつつ通されるまま応接室の中へ入る。
「失礼します」
「失礼」
緊張する僕をよそに、男はまるで自分の家かのようにずかずかと入っていく。
応接室には、年季の入った大きな木の仕事机で資料に囲まれた壮年の男性がいた。
男性は白髪で丸い体をしていてまるで老狸のような
僕たちと目があうと表情を崩し、笑顔で
「あなたたちですか、森に入りたいという方々は。どうぞどうぞ、そちらのソファーにおかけください」
仕事机の前にある応接用のソファーを指さすとそちらに座るように
男は言われるまま、ドカッと音がしそうな勢いでソファーに腰かけた。どう考えても失礼極まりない男の態度に怒られないか、ビクビクしていたが特に表情の変化はなく、僕にもどうぞとソファーを指さすので、失礼しますと言って荷物をソファーの横に置き、ゆっくり静かに座らせてもらう。このソファーも高級品なのか、年季は入っているがすごく座り心地がいい。
僕たちが座ると村長であろう男性も、仕事机の方からこちらの対面のソファーの方に座りなおした。
「申し遅れました。私がこの村というか、集落を治めています。今は魔女の森の管理も基本的には私がしています。といっても中に入るのは任せきりなので肩書だけですがね」
はっはっはっと、大げさに一人で笑っている。
こういう時は一緒に笑った方がいいのかもしれないが、ぎこちない笑いしかできそうにない。横に座る男も反応に困っているのか険しい表情をしている。
このおじさんを門番は村長と言っていたが、実際には集落の長という肩書らしい。
「魔女の森にはどういったご用件で?」
おじいさんの時にもそうだったが、この質問に対する答えの正解が分からない。少女のことなど言えるはずもないし、うまくかわす手段を僕はまだ持っていない。
「それは……」
「あぁ、薬草を取りに行くんだよ。なんでもあの森にしか生えてない特殊な薬草らしくてな。……紙とペンもらえるか」
僕が口ごもった瞬間に、男がいつも通りの調子で嘘を言っていた。長から紙とペンをもらい、すらすらとそれっぽい適当な草の絵を描いて見せていた。
「こんな薬草なんだが、ここにはないよな」
「そうですね。こんな薬草は見たことがありません。うちの集落の近くで自生していないものとなると、森の奥の方に行かないといけないかもしれませんね」
それはそうだ。だって、そんな薬草存在しない。こういうとき、男の適当なところはすごい頼りになる。……いつもは頼りにならないが。
「俺たちの目的のことより、森にはいつ入れるんだ」
男が強い口調で切り出した。その声にはなんだか棘を感じる。だが、長はそれに気づいていないのか気にしていないのか、なんにせよさっきまでと変わらぬ話し方で
「そうですね。今日入ることもできなくはないですが、今から準備して入るとなると、すぐに日が暮れてしまいます。夜の森はどんな危険があるかわかりません。今日はこの屋敷に泊まっていただいて、明日の朝に入るのが安全だと思うんですがどうでしょうか」
夜の森が危険なのは山育ちの僕もよくわかっている。しかも見知らぬ土地の見知らぬ森となれば、用心するに越したことはないだろう。
もともと明日魔女の森に入るつもりだったので、泊まる場所まで提供してくれるなんてその提案は願ったりかなったりなはずなのだが、男はその提案に
「……この屋敷にか?」
「はい。部屋は余っていますし、あいにくこの集落には宿もありませんので」
何かを
男がなぜそんなにこの屋敷に泊まるのをためらっているのかわからないが、宿がないなら泊めてもらうしかないじゃないか。それとも泊まりたくない理由があるのだろうか。
「いいじゃないですか、どうせ泊まる場所もないなら泊めてもらえば」
僕の言葉に、男ははあっと大きなため息をつき、あきらめたように
「……わかったよ。その代わり、こいつとは別部屋にしてくれよ。それでいいなら泊まってやるよ」
泊めてもらう側の男がなぜか上から目線なのだが、長はそれでもうれしそうに
「いやー、久しぶりのお客さんだ。うれしいな。シェフにも腕を振るうように言っておきますね」
そういうとパンパンと両手を叩き、部屋の外にいた女中さんを呼び出し、
「お二人とも、今日はうちに泊まっていただくことになりました。別々の部屋がいいとのことだったので二部屋用意をお願いします」
「わかりました。準備いたしますので少々お待ちください」
長から指示を受けた女中さんは僕たちにも頭を下げると、準備のために部屋から出て行った。
「では、待っている間にコーヒーでもどうですか?いい豆が手に入ったのでごちそうしますよ」
「あっ、僕は……」
「いいが、俺はコーヒーにはうるさいぞ」
コーヒーは苦手なので僕は断りたかったが、男がそんなかっこいいことを言ってしまったせいでみんなで飲む流れになってしまった。長はルンルンでコーヒーを入れ始めてしまったので今から断るのも気が引ける。
そう考えてる間にも、コーヒーのいいにおいが
「はい、どうぞ。熱いので気を付けてお飲みください」
「……あれ?」
男と長の前にはコーヒーカップが置かれたのだが、僕の前にはティーカップが置かれていた。並べられたコーヒーカップにはきちんと真っ黒なコーヒーが注がれているのだが、ティーカップには名前の通り透明なオレンジ色の液体が注がれている。
「コーヒーが苦手そうな様子だったので、紅茶にさせていただいたのですが、ご迷惑だったでしょうか?」
「……いえ、ありがとうございます」
口に出して言ってないはずなのだが、僕がコーヒーを飲めないのに気が付いて長が気を使ってくれたようだ。
おかげで苦手なコーヒーを飲まなくて済んだ。こういう気遣いができる人がちゃんとした大人なのだろう。
入れてもらった紅茶を飲んでみると飲んだことのない香りが口に広がった。といってもあんまり紅茶自体飲んだことがないのだが。
その香りと紅茶の温かさで緊張がゆるんだのか、なぜか
そうしてしばらく過ごしていると、コンコンとノックをして女中さんが部屋に入ってきた。
「お部屋の準備ができました」
「ありがとうございます。では、お二人をご案内してください。……また夕飯の時にでもお話ししましょう」
笑顔でひらひらと手を振る長に頭を下げ、旅の荷物を持って女中さんと部屋を出る。
廊下を三人で静かに歩く。こういう静かな時は男が一人でしゃべり始めることがいままでは多かったのだが、先ほどからずっと男が静かだ。女性相手だと手当たり次第に声をかけているイメージがあったのだが、女中さんがタイプじゃないのだろうか?……そう思うとほんとこの男、最低だな。ほんとに既婚者なのだろうか?
とか思ったのだが、そういう感じではないらしい。応接室ではピリピリしていたようだし、今はなんだか上の空だ。
「……何かあったんですか?」
「ん、……ああ、別に」
気になって声をかけてみたがなんだか返事も適当で
「お前こそ、体調は大丈夫か?」
「えっ?別に何ともないですけど」
それどころかいきなり男から体調を心配されたが、そんな心配されるような顔をしてしまっていたのだろうか?
今日は移動の半分くらいはあのおじいさんの荷車に乗っていたから、体力も有り余っているし、調子は万全だ。こんな時間でなければこのまま魔女の森にだって入れるくらいだ。
そんな様子を見て、男はならいいとだけつぶやいてまた黙ってしまった。
「お待たせいたしました。こちらの二部屋になります」
女中さんに連れてこられたのは、二階に上がる階段の横にある二部屋だった。開いている扉から部屋の中を見る限り、置いてある家具や設備は同じように見える。
「
そのあとも女中さんがいろいろ屋敷の説明をしてくれたのだが、男は全く聞かずに階段に近い方の部屋へ勝手に入っていってしまった。
相談もなしに勝手に部屋を決めてしまったのかと思ったのだが、そういうわけでもないらしく、荷物も持ったままで部屋の奥に一つだけあった窓を全開にし、そのまま何かを探すように身を乗り出した。そして数秒、きょろきょろと窓の外を見回すと
「俺、こっちの部屋な」
窓の外に出ていた上半身を部屋の中に戻してこちらを向くとそう宣言した。そのまま荷物も置いてしまったのでもう動く気はないのだろう。
必然的に僕は隣の部屋になったが、別に部屋の中身は同じなので特に文句を言うつもりもない。
「部屋の扉に見取り図が貼ってあるので、よく確認をお願いします。あとは、夕飯なのですが……」
女中さんから一通り残りの説明をちゃんと聞き、男と別れて自分の部屋に入った。
扉を閉めるとベッドの横に荷物を置いてそのままベッドに腰を掛ける。この屋敷にあるものなだけあって、相当高級なものなのだろう。今まで泊まった宿のどのベッドよりもふかふかで気持ちがいい。
今日は男と別部屋なので当たり前だが部屋には自分一人。窓の外では鳥の鳴き声すらなく、隣の部屋からは物音ひとつ聞こえない。完全な
こうやって一人になるのは、すごく久しぶりな気がする。村に住んでいるときは叔父さんがいない時が多かったので気にならなかったが、最近は少女や男がいつも一緒にいたせいなのか、一人が妙に
そういえば少女はどうしているだろうか。
少女と別れてもう二、三時間経っているが、ちゃんと住んでいた街には着けただろうか?きちんとお父さんに会えているだろうか?心配だ。だけど、送り出してしまった以上僕には帰ってくることを待つことしかできない。
部屋に一人でいると、どうしても少女のことを考えてしまう。気晴らしに集落の中をぶらぶらと見て回ってみようか。集落の人なら魔女の森について、なにか知ってるかもしれない。
「……よし!」
ベッドから立ち上がり、一応用心のために貴重品だけ持って部屋を出ていく。廊下の窓から外を見ると、空の中心から太陽が少しずつ傾き始めていた。
————この時、僕はまだ知らなかった。僕の知らないところでもうすでに事態は動き始めていたことに。
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