第14話
「お帰り、飯食ってきたのか?」
「はい、この宿のご飯なかなかいいですよ」
「ほぉー、俺も腹減ったし食ってくるかな」
男はベッドから飛び起きると、財布などの貴重品をカバンに入れ始める。そういえばバタバタしていたせいで忘れていたが街につく直前、馬車で何を言おうとしていたのだろう。
「そういえば馬車で何言おうとしてたんですか?」
男は荷物を入れる手を止め、こちらに向きなおすと
「あー、あれか。……聞きたいのか?」
なぜか妙にもったいぶってくる。
別に思い出したから聞いてみただけだったのだが、そうやってもったいぶられると普通に気になってしまう。
「じゃあ聞きたいです」
「じゃあってなんだ。じゃあって。まあいいや、言い聞かせてやろう。俺はな、————世界の音楽が聞こえるんだ」
ばあんっと音が聞こえそうなくらい自慢げな表情で男は僕の方をまっすぐ見て告げた。
はぁ?何を言ってるんだこの大人は。世界の音楽?なんだそれ?そんな心の中の呆れが表情に出てしまってたのか、男はやれやれといった調子で
「……世界の音楽ってのは、簡単に言えば人間だったり自然が奏でる音楽のことだ。世の中のものは全部何かしら自分の音楽を奏でてる。俺だってお前だってだ。俺にはその音が聞こえる。カジノの時はそれをうまいこと合わせてやったんだよ」
「へ、へぇー、そうなんですか」
せっかく男が説明してくれたのだが、正直どういうことなのかよく理解できなかった。だって、人が音楽を奏でてるなんて言われても聴こえないんだからわかりようがない。
「お前わかってないだろ。しょうがない、……じゃあ胸に手を当ててみろ」
「えっ?」
「いいからやってみろ」
いわれた通り、胸に手を当ててみる。胸に当てた手のひらからは胸の奥で動く心臓の
「わかりやすいところで言えば、それがお前の音楽だ。ほんとは体を動かすときの筋肉の動きとか、骨の
もう一度、手のひらに意識を移す。胸の奥の心臓がドクンドクンと動いて全身に血を流してくれている。————これが僕の音楽。
こうやって触らないと僕には聴こえないが、男にはいろいろなところからこんな音が聴こえているのだろうか。
「人以外にも、犬や猫、木や花なんかだって音楽を奏でてる。……俺はそれに合わせてヴァイオリンを奏でてやるんだ」
「……なんかそれ、かっこいいですね」
僕の言葉に、そうだろと自慢げに男が同調する。
世界の音楽に合わせて、楽器を奏でる。そんなかっこいいことが言えるなんて、この男は音楽を奏でるために生まれた人なのだろう。
「————だがな、世界の音楽が聴こえるなんて別に特別なことじゃないんだ。きっかけがあれば誰にだって聴こえるもんなんだ。みんな、あるのが当たり前すぎて聴こえなくなってるだけなんだよ。耳をすませば、お前にだってちゃんと聴こえるようになるさ」
男は遠くを見るようにそう言ったあと、まあ、がきんちょのうちは無理だろうがなと笑って付け加えた。
がきんちょのうちは、ということは大人になれば聴こえるようになるのだろうか。それはすごく素敵なことなんじゃないだろうか。本当にそうなったらどんなにいいだろう。
言うことを言い切ったからか、男は途中になっていた荷物をまとめ
「じゃあ、俺晩飯にいってくるわ」
一言告げるとさっさと部屋を出て行ってしまった。
ほんとに自由というか勝手というか。まぁ、最初からそうなのでだいぶ慣れてきてしまったが。
それにしても『世界の音楽』が聞こえるなんてどんな感じなのだろう。生き物も植物からも音楽が聞こえるそうだが、それはきっと僕が想像するよりきれいな音なのだろう。そうでなければ、男はあれほど生き生きと生きていないだろう。あれは多分人生を楽しんでいる人間だ。
僕も聞こえればあんな風に、……はなりたくない。でも、興味はある。いろいろなものの音楽が聞こえるのならば、幽霊である少女の音楽は聞こえるのだろうか?もし聞こえるならどんな音楽なのだろう?というか、聞こえるってなんか……。いや、これ以上はいけない。ちょっと、変な気持ちになってしまいそうなので、この話は終わりにしよう。……うん、終わりにしよう。
結局、男が帰ってくるまで悶々とした気持ちをがんばって押し殺していた。そんな状態もバタバタと帰ってきた男の開口一番の
「おい!がきんちょ!ここの奥さん見たか?すげぇ美人だったぞ!」
というあまりにもアホらしい一言で吹き飛ばされたのだが。
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