第12話

 ステージ横の控室は、ホールとは壁一枚を隔てているおかげもあり、カジノの五月蠅さが少し遠く感じた。

 流れで男と一緒に控室まで連れてこられたのはいいのだが、カジノのバカ騒ぎから離れたせいで妙に冷静になってしまい、自分が演奏するわけでもないのに緊張で落ち着かなくてそわそわしてきた。それは少女も同じなようで、なんかせわしなくふらふらしながら浮いている。

 そんな僕らのことなど気にせず男は、昨日持っていた変な形のカバンの中身を出していろいろいじっているようだった。

 さっきあのカバンをカジノのスタッフが持ってきていたので、あれが奪われていた相棒なのだろう。中から出てきたのは見知らぬ楽器だった。

 静かにしていると緊張しかしないので、何気なしに男に声をかけてみる。

「その楽器、なんていうんですか?」

「うん?これはな、ヴァイオリンだ。……弦楽器の一つでな、この弦を弓で弾いて演奏するんだよ。この国じゃまだ普及してない楽器らしいが、俺の国じゃメジャーな楽器なんだよ」

 適当に話しかけたら、予想外にまじめな返答が来て面を食らってしまった。

 楽器と向き合う男はいつもの適当な雰囲気ではなく、本当にそれが大事なものだとわかるくらい真剣な表情で向き合っていた。それもあって楽器を使っての賭けを始めたのには少し違和感を覚えた。

「なんでこんな賭け始めたんですか、大切なものなんですよね、それって」

「別に。こんな安物取られたってどうってことねぇよ。本当に大事なのは息子のところに置いてきたからな。まあ、それでも俺が演奏すれば十倍以上の金額の演奏になるがな」

 男はあっけらかんとその手に大事そうに持ったものを安物と言い切った。

 オーナーは価値のあるものと言っていたが、ヴァイオリンが普及している国出身の男の感覚ではそうではないようだ。それにしても安物での演奏で賭けにできるくらいなら、息子のところに置いてきたという価値のあるヴァイオリンならどれくらいの演奏になるのか少し興味がある。……ん?

「「子供いるの!?」」

 僕か少女かあるいは両方か。素っ頓狂な声が控室に響いた。

 あまりの衝撃に少女が空中でひっくり返らんばかりの勢いで飛び起きた。それくらいこの適当男が子持ちという事実は衝撃的だ。ここまでの会話の中で、人の親という感じは一切しなかった、というか本当に子供がいるのかこの人。

「ほんとに子供いるんですか?ほんとに?実在してます?妄想じゃなくって?」

「ちゃんといるよ、二人。今はこんな風に旅してるから一緒にはいないが、ちゃんと妻子持ちだよ。……お前ら俺のこと信用してなさすぎじゃないか?」

 あまりに僕たちが真剣に疑いの目を向けるものだから、男の方も少しあきれた表情で否定をしてきた。

 そんなこと言うなら自分の行動を一回振り返ってほしい、どう考えても信用のならない大人だ。

「財布の中身を全部カジノにつぎ込むような大人が信用できるとでも?それに子供たちをおいて旅してるなんて最低じゃない」

 少女がジトっとした目で男を見た。さすがに痛いところを突かれたのか、男もバツの悪そうな顔をしている。

「しょうがないだろ、いろいろ事情があるんだよ。それにうちの息子は俺のダチに預けてきたからな。安心だよ」

 遠い目をして落ち着いた表情で男は反論というか、弁明をした。

 ダチという言葉はよくわからないが、男の顔を見るにそのダチという人は相当信用のできる人なのだろう。一目でそれがわかってしまうくらい温かみのある顔をしていた。

 そんな会話の最中、控室の扉をノックする音が聞こえた。あわてて扉を開くとそこには僕たちを控室に連れてきたスタッフが立っていた。

「失礼します。もう間もなくステージの準備が整いますので、ステージの袖で準備をお願いします」

「じゃあ俺行ってくるから、お前らちゃんと聴きに来いよ。俺の演奏なんてほんとは大金積まなきゃ聴けないんだぞ、ありがたく思えよ」

 なんて言いながら男はあのへんな形のカバンをこっちに投げてきた。急に投げられたものだから、あたふたしてしまったが落とすギリギリでなんとか受け止めた。

「で、終わったら客からチップを巻き上げてこい。俺の勝ちはお前の頑張り次第なんだからな」

 に一言プレッシャーを置いて、男はスタッフに連れていかれた。

 なんか最後にすごいものを渡されてしまった。これで集めるの失敗したら、僕のせいにされるのか?

「とりあえず行こっか。チップ集めも頑張らないといけないしね」

「そうですね」

 なんだか重くなった気持ちを引きずって少女と一緒に控室を出てステージの前まで歩いていく。

 ステージの上を見てみると、ステージに置いてあったものはきれいに片付けられ、なにもないきれいなステージが出来上がっていた。

 ステージ前にはスタッフがステージを片付けているのを見て集まったであろう五、六人ほどの人がステージの様子をうかがっていた。だが、変わったのはそれくらいでほかは先ほどまでのカジノだ。

 こんな告知もない状態で演奏などして本当にお金が集まるのだろうか。いろんな不安がよぎる中、その瞬間はいきなり訪れた。


 予兆など一切なく、真っ暗闇なステージをいきなりライトが照らし出す。そして照らされたステージの上には男が一人。

 そこに演出はなく、ただステージが照らされるだけのシンプルな始まり。このきらびやかなカジノの中ではステージの目の前いる数人のギャラリーしか気が付きようがないほど静かな始まり。

 歓声はなく、歓迎の拍手もない。それでも男は一切表情を変えず、堂々とした立ち姿でヴァイオリンを持って立っていた。

 声も出さずゆっくり一礼をし構えた。————次の瞬間、カジノの空気が一変した。

 その演奏は、音楽の知識がない僕ですらわかるほど次元が違った。普通の演奏ではこんな騒音の中、演奏を届けるなど不可能だ。だが、男の演奏はそんな騒音すら味方にして、オーケストラに作り替えてしまった。

 チップの動く音、カードのこすれる音、回るルーレットにその上を転がる球の音、話し声や足音さえも、カジノで発生しているすべての音が、楽譜の上で踊るかのように男のヴァイオリンに合わせて奏でられている。それでいてその演奏は耳からでなく、肌全体を通して体に響き渡る。響いた音が体を震わせて熱くしてくれる。そんな神業的な演奏をステージでする男の姿から自然と目が離せなくなってしまった。

 演奏が終わるまで僕と少女は一言も発することはなかった。というか、演奏に魅入られていてできなかったというのが正しい。


 演奏が終わり、男がこちらをみてふっと微笑んだ瞬間にようやく我に返った。いや、意識を返してくれたのかもしれない。

 気が付けば、ステージの前には大勢の人だかりができており、男が頭を下げると、静けさに包まれたカジノに万雷の喝采が響き渡った。

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