第10話

「すまん!出発を少し遅らせてくれ!」

「……はい?」

 昨日雨が降っていたとは思えないほどの快晴の朝、集合場所に着くと男が申し訳なさそうに手を合わせながらそう言った。

 遠目から見たときでも男の荷物が少ないのは見えたので不思議に思ったのだが、あの男がこんな調子だなんて何事だろう?

「なにかあったの?」

「いやー、俺様としたことが幸運の女神の機嫌を損ねちまったようでな。大事な“相棒”を連れてかれちまったんだよ」

 少女の問いに、なんとも意味の分からないことを得意げに返した。————はずなのだが、少女には男が何を言っているかがわかったようで、見たことないくらい冷たい表情を浮かべていた。

「それって、カジノで大負けしたってこと?それでお金が無くなって、その相棒?っていうのを取られたってこと?……自業自得じゃない」

 妙に辛辣なのが気になるが、男が意味深な笑顔で返しているので少女の言ったことは当たっているようだ。

 僕には一切理解できない言葉の中からよくそこまで理解ができたものだ。意味を知った後でもう一回聞いてもわかる気がしない。

「男っていうのはロマンを求めちまうものなんだよ。ロマンには危険がつきものだ。今回はたまたま、たまたまな、ほんとにたまたま負けちまっただけだよ。なぁ、お前もわかるだろ、ロマン」

 遠くを見るような表情で大げさな動きをしてこちらに同意を求めてきた。そんな顔してこっちを見るな、こっちを。

 本音で言えばカジノで一攫千金のロマンには同意してあげたいが、同意してしまえば目の前の大人と一緒のダメな人間になる。それは絶対に嫌だ。

「ボクニハ、ワカラナイデスネ。ナンデスカソレ」

 なんてとぼけてみせたが、分かりやすく声から感情が消えてしまった。少女はクスクス笑っているし、男は恨めしそうにこっちを見て

「おっ、お前ー、裏切ったな!?」

 裏切ったと言われても初めから組んでなどいない。だから、これは裏切りじゃない。あんな大人と一緒にされたくないという、健全な反応だ。

 こっちを恨めしそうに睨み続ける男に対して、そんなこといってもわからないものはわからないという仕草と表情だけしておく。

 その所作にさすがの男も諦めたようで

「なんにせよ、相棒をカジノで取り返してからじゃないと、俺はいけないからな」

「取り返すってことはカジノに行くの!?」

「お、おう、金返せば返してくれるらしいからな」

 ため息交じりの男の発言に、少女が食い気味で反応した。

 そういえば昨日は結局カジノの前までしか行かず中には入っていない。あの様子だとあの後カジノの中に入ったということもなさそうだし、こんなに前のめりなのは単純にカジノの中に入ってみたいのだろう。それには僕も同意見だ。今日はどうしようもないとはいえ、大人が付いているから入れないということもないだろうし。

 男は急に態度が変わった少女に困惑しているがそんなことは気にせずに

「じゃあ、まずはその相棒ってやつを取り返しにカジノ行きますかね」

「よぉーし、じゃあカジノに出発!」

 二人してノリノリでカジノの方へ足を進めようとした。のだが

「と、その前にその大荷物置いてからにしようぜ。まだ俺の部屋はとってあるからおいて来いよ」

 僕の抱えた荷物を指さして少女を呼び止めた。

 そういえばこのまま出発するつもりで荷物をすべて持ってきていた。カジノに入るのにこれだけの荷物を持っていったら邪魔になるだろうし、これを抱えて歩き回りたくない。言われたようにおいて行った方がいいだろう。

 勢いを削がれてむーっと頬を膨らませている少女は放っておいて、男から部屋の鍵をもらう。

 なんでか鍵を手渡されたときに男から「よろしくな」と小声でつぶやかれた。この時はその言葉に疑問を持たなかったのだが、男がその言葉を言った意味はすぐ分かることになる。


 男の部屋に荷物を置くと、そのまま宿の前で待っていた男と頬を膨らませたままの少女と合流し、カジノに向かった。

 カジノの前には、昨日と同じく黄金の英雄像が立っていたが今日は特に気にすることもなく、その横で大きく口を開いた入口へ三人で入っていく。

 外からでは見えなかったがカジノの中は何というか別世界だった。

 宮殿めいた外観のカジノの中は、石造りで一部は大理石も使われているようだ。さまざまな賭け事に使うであろう機械やテーブルが並べて置かれ、年齢や男女問わずいろんな人々が思い思いの賭け事に興じているのが見えた。

 天井が異様に高くて音が響くというのもあるのだろうが、耳が痛くなるほどの音量でいろんな音があちらこちらから聞こえてくる。外に漏れ出ているくらいだから相当うるさいとは思っていたがここまでとは思っていなかった。

「というか、どうやって取り戻すんですか?」

「ん?……ああ、ここに金が入ってるからそれを元手にじゃんじゃん稼いで取られた分を取り返して借金返済って寸法よ」

 右手には年季の入った財布が握られていた。それほど大きな財布ではないので中身はあんまり入っているようには見えないのだが、それだけの元手で相棒とやらを取り返せるのだろうか。————というか、あの財布見たことあるな。

「……って、それ!僕の財布じゃないですか!?」

「あぁ、そうだよ。思ったより中身しけてんな。こんだけじゃ帰る金ないだろ」

「そんなことより!返してくださいよっ!それに全財産が入ってるんですからっ!!」

 男から財布を取り返そうと、飛びつくがことごとくよけられてしまう。こっちは結構真剣に取り返しに行っているのに、男は笑いながらひらひらと僕の手をすり抜けていく。なんというか空から降ってくる紙を掴もうとしている気分だ。

「しょうがないだろ。昨日、俺の全財産むしり取られちまったんだから。相棒を担保にしてもらった分まで全部な。すっからかんもすっからかんなんだよ。すぐに倍にしてやるからちょっとだけ貸してくれよ」

 男から出てきたのはダメ人間まっしぐらなセリフだ。こうやって貸してくれと言われたお金は帰ってこないのが相場なのは僕でも知っている。

 昔同じように父さんが母さんからお金を借りていたが、そのお金はだいたいよくわからないガラクタになって帰ってきていた。

「だから、いやですって!」

「もう!何やってるの!?遊んでないでさっさと取り返しに行くよ!」

 僕たちの争いに横から少女が割り込んできた。

 別に遊んでいるつもりではなく、なけなしの生活費を取り返そうとしていたのだが、少女からはそう見えたらしい。

 少女が間に入ってきて僕がたじろいだのを男は好機と見たのか

「すまんすまん、こいつが強情だからよ。まあいいや、こんな奴置いていこうぜ。」

 逃げるように交換所の方へ少女と一緒に歩いて行ってしまった。こうなると何を言ってももう財布を返してはくれないだろう。

 しょうがないのであきらめて男の横に駆け寄ると

「必ず返してくださいよ」

「わかったわかった、心配すんな。言っただろ倍にしてやるって」

 このうるさいカジノでも聞こえるくらいの音量で耳打ちすると、自信満々な適当すぎる返事が返ってきた。この根拠のない自信はどこから出てくるのか聞いてみたい。いや、やっぱりいい。絶対ろくでもない答えが返ってくるだけだろうし。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る