第9話


 ————なんだこの状況。

 驚きのあまり、思考が止まりそうになる。

 宿の部屋で一人、だらだらとくつろいでいたら、扉の向こうから指やら髪の毛が扉をすり抜けて入ってきては戻っていくという奇々怪々な現象が急に現れた。不思議に思って、おそるおそる扉を開けてみたら少女が扉の前で何やら座り込んでいるし、人の顔を見るなり泣き出すし、なんかズルいといわれるし、もう何が何だか訳が分からない。

「とっ、とりあえず中に入りませんか?」

「うん、はいる……」

 部屋の外で話すのもなんなので部屋へと少女を誘導する。なんだかしょげた様子ではあるものの、そのまま素直に部屋には入ってくれた。……入ってくれたにはいいのだが、入るなり部屋の隅でひざを抱えて小さく丸まってしまった。


 いまだに状況がよくわかっていないが、急に泣き出したのは僕のせいで間違いないだろう。けど、理由が分からない。喫茶店で別れた後は、少女とは会っていない。ということは最後の会話か。そうに違いない。僕が逃げたせいで、一人で思い詰めてしまったのだろう。たぶん、そう。きっとそう。違っても絶対僕のせいだろうからとりあえず謝ろう。父さんもとりあえず困ったら母さんに謝ってた。こういうときには謝っておけって言っていたし、真剣に謝れば許してくれるはずだ。

 覚悟を決め、大きく息を吸って少女の前に立つ。

「すみませんでした!」

 思い切り両膝りょうひざを折り床に額をつけるように頭を下げる。

 この謝り方は、父さんが母さんに謝るときにはいつもやっていたものだ。これをやった後、だいたい母さんは苦笑いを浮かべていたが結局許してくれていた。

 頭を床につけているので少女の顔は見えないが、少女だってこれを見ればあの時の母さんのように許してくれるだろう。

 そのはずなのだが手ごたえも反応も感じられない。あまりに反応が薄いので確認しようとおそるおそる顔を上げる。

 ゆっくりと上げた視界の先では、顔を上げた少女が目に涙をためたままきょとんと小首をかしげている。————間違えた?

「……どうして君が謝るの?」

 うるんだ瞳のまま、答えを待ってこちらをじっと見ている。

 やっぱり何かを間違えてしまっているようだ。てっきり喫茶店のことで怒ってるから、僕が謝る場面だと思ったのだけど違ったのだろうか?

「えっ?僕のせいで泣いてたんじゃないんですか?」

「それはそうだけど、……そうじゃないの!」

 真っ赤な目で猛反論されてしまった。

 僕の全身全霊ぜんしんぜんれいの謝罪は不発に終わってしまったが、とにかく僕のせいじゃないらしい。けど、そうなると心当たりはなくなってしまう。

 僕が困惑しているとその顔を見た少女が

「謝らなくっちゃいけないのは私の方。……ごめんなさい」

 改まった様子でひざをつけて座りなおすとゆっくりと頭を下げた。けど、僕にはそんなことしてもらうようなことをされた記憶はなくって、さらに困惑を深めるだけだった。

 そんな僕をよそに少女は顔を上げずに言葉をつづけた。

「私、君のことちゃんと考えてあげてられてなかった。君に危ない目に合ってほしくないからって無理やりにでも置いていこうとした。……ひどいよね、あの村から連れ出したのは私なのに、ほかの人が見つかったら私の都合で置いていこうとするなんて。最初にした約束だって破ってもいいなんて、……ほんと無責任」

 そこで少女はやっと顔を上げた。また瞳を涙ぐませているが、こぼれる寸前でこらえながらこちらを見つめている。

「だから、今度はちゃんと君の考えを聞こうと思うの。————なんで私と一緒に来てくれるの?」

 少女は涙がこぼれる寸前の瞳で、こちらをまっすぐにみている。まるでいち挙手きょしゅ一動いちどうすら見逃さないようにしているかのようにまっすぐに。

 その様子にごまかしてはいけないと思った。きちんと思っていることを言葉にして伝えないと。それを彼女も望んでいる。だから、僕の精一杯で言葉にする。

「僕は、……まだ思い出にしたくなかったんです。あの日、花畑での出会いを。あの時した約束を。こんな中途半端なところじゃ終わりにしたくなかったんです。だから、まだ一緒に旅をさせてください」

 精一杯、しぼり出すように言葉を引っ張り出した。僕の気持ちのすべてはうまく表せてはいないかもしれないけど、そのひとかけらでも目の前の彼女に伝わるように。

 つーっと静かに少女の頬を一筋の涙が伝った。

「そうか、そうだったんだね。……ありがとう、こちらこそよろしくお願いします」

 一瞬うつむいて何かをつぶやいた後、いつもとは違う優しく落ち着いた声音で頭を下げた。その所作しょさはすごくきれいで一瞬見入ってしまうほどだった。

「じゃあ、この話は終わり!明日からもよろしくね」

 下げた頭をガバっと上げたかと思ったら、今度はワタワタとせわしなく動き始めた。

 目を凝らしてよく見ると耳が少しだけ赤くなっているのが目に入った。さっきまでのやり取りが急に恥ずかしくなっているようだ。僕も相当恥ずかしいことを言った気がするが、なぜだかそんな感覚はなかった。

「ちょっと!何にやにやしてるの!」

 安心したのが顔に出てしまっていたようだ。けど、それは少女も一緒で、

「そっちだって、にやにやしてるじゃないですか」

 それを指摘した瞬間、二人で目を見合わせて笑った。

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