第8話


 喫茶店での話のあと、考え事をしながらふらふら街を歩いてみたが心はずっとざわざわしたままだった。

 彼が本当にいい子なのは分かる。だから、私は彼を危険な目に合わせたくない。私との旅は彼を傷つけてしまうから。今日出会ったあの人のことはあんまり好かないが、そのおかげであの人が相手なら傷つけるのに迷わずに済む。だから、彼は私のことなんて、私との約束なんて忘れてしまって構わないのに。


 もうすっかり空は暗くなって、うるさくて騒がしいカジノだけが煌々と街を照らしていた。空を見上げてみても、重たい雲に覆われてしまっていて見えるのは雲を下から照らすカジノの光しか見えない。

 この体になったおかげでこうやって他人の家の屋根で黄昏ていても、怒られることはないが、悩みを話せる人もいなくなった。……いたからといって悩みを言えるかは別なんだけど。

 街を歩き回ってここまでたどり着いてしまったのだが、いくら考えてもわからない。なんで彼はあそこまで約束を守ろうとしてくれるのだろう。


「どうした?お嬢ちゃんこんなとこで。恋の悩みか?」

 なにやら昼間に聞いたキザったらしい声が後ろから聞こえる。ここ二階建ての家の屋根の上なのはずだけど、なんでいるんだろう。

「そりゃ俺様が悩める少女を放っておけない大人の男だからさ。……何を悩んでるか言ってみろ。俺様がスパっと真っ二つにしてやるよ」

 手刀で空中を切るような動作をしながらしれっと横に座ってきた。……というかナチュラルに人の心読まないでもらいたい。それにあなたに相談するほど仲良くなった覚えはありません。

「まあまあ、そう言わずこれから一緒に旅する仲なんだ。悩みの一つや二つ打ち明けてみなさいって。俺がこうスパっと……」

「それはもう聞きました」

「どうせ、あのがきんちょのことなんだろ」

 その言葉に思わず、ドキリとしてしまう。

「……あんとき、嬢ちゃんはあんまり納得いってなさそうだったからな。どうせ俺がいなくなった後『無理してついてこなくていいよ』とかいってあのがきんちょとケンカみたいになったんだろ」

「っ……」

 下手な物まねまで入れてきてすごく癇に障るが、ここまで言い当てられてしまうとぐうの音も出ない。

 惚けているようで、こういう風に人のことをしっかり見ているあたりほんと嫌な男だ。わかってるならもう少し気を使えないのか。こういう誠実さのない感じがどうにも好きになれない。

「あんまりあいつをいじめるもんじゃないぜ。考えなしで言っているわけじゃないのはわかってやれよ。がきんちょにもがきんちょなりの考えがあるんだ。こっちの考えを押し付けるのはかわいそうだ。それに無理に置いていったら逆に無理にでもついてくるぞ、あいつ。それよりは目に付くところに置いといたほうが安心だと、俺は思うんだがな」

 それを言われてはっとなった。

 私は彼のことを考えているつもりで考えていなかったのかもしれない。彼には彼なりの考えがあって私との旅を続けたいと言ってくれていたはずなのに、私は私の事情を押し付けて彼を置いていこうとしていた。その理由が彼を危険に巻き込まないためだとしても、それはあまりにも身勝手ではないだろうか。

 私はそんな簡単なことさえ考えつかないほど、人とのかかわり方を忘れてしまっていたみたいだ。この人はそれを気づかせに来てくれたのだろう。————思っていたよりもいい人なのかもしれない。

「というか、連れ出しといていらなくなったら置いてくなんて、虫がいいにもほどがあるよな」

「いわれなくてもわかってます!」

 訂正。人が反省してるところに余計な一言を入れるあたり、悪い人ではないかもしれないけど、いい人では絶対にない。

 反射的に言い返したが、さっきの私はそれすらわかっていなかった。

 あの時、私が彼にどれだけひどいことを言ったのか、今ならわかる。あんなに悲しそうな顔をしていたのに、私はその理由に気づきもしなかった。虫がいいと言われてもしょうがない。ひどい女だ。

「……私、彼にひどいことを言っちゃったんですね。」

「わかったならいい。じゃあ、次は何したらいいかわかるか?」

「……私、謝りに行ってきます!許してくれるかはわかんないけど、精一杯謝ってきます」

 私の精一杯の返事に満足したのか、男はうれしそうに笑うと

「あはははっ、行ってこい。俺の読みだとちゃんと許してくれるから、だってあいつ……」

「コラー!!人の家の上で何やってる!!」

 何かを言いかけた男の声は別の男の人の大きな声で遮られた。

 声のした方向を見てみるとつるつる頭でいかつい顔をしたおじさんが、鬼のような表情で家の下からこちらを見上げていた。

「コノヤロウ!人んちの屋根でごそごそなんかやりやがって!そこで待ってろ!」

 下から夜の街に響き渡るほどの怒号が飛んでくる。強面の顔をゆでだこみたいに真っ赤にして男のことを睨んでいる。

 あまりの剣幕に睨まれているのは私じゃないのは分かっているのに、怖くて隠れてしまいたくなる。

 おじさんはそのまま家の中に入っていってしまったのだが、足元からバタバタ聞こえるのから想像するに、何かしらの手段でここに上ってこようとしているのは明らかだ。

「やっべ、めんどくさそうなのが来やがった。じゃあお嬢ちゃん、ちゃんと謝りに行くんだぞ」

 約束な、と右手の小指を立てて見せると、隣の家の屋根に勢いよく飛び移っていった。

「よっこらせっと、……あっ!?てめぇ、待ちやがれ!!」

 ちょうどそのタイミングで屋根を上ってきたおじさんも、逃げる男の姿を見えるとすぐに追いかけて隣の屋根へ飛び移っていってしまった。


 こんな体だからしょうがないとはいえ、一緒にいたのに完全に無視されるのは少しだけさみしい。さっきまで男とは普通に話せていたが、傍から見れば独り言を男がしゃべっているだけにしか見えないのだ。だからこそ私は、私が見えている彼をもっと大事にしなくてはいけなかったんだ。

「……行かなくっちゃ」

 暴風のようなおじさんの声が聞こえなくなったのを確認すると、私は彼がいるであろう宿を目指して歩き始めた。

 空からはぽつぽつと雨の雫が落ち始めていた。



 振り始めた雨から逃げるように、彼のいる宿へと駆け込んだ。とはいっても、幽霊だから雨に濡れることなんてないのけれど。

 宿に入る前に部屋の明かりがついているのは確認したので部屋の中にちゃんといるようだ。

 以前は床から部屋に入ったりしたが、いきなり彼の目の前に出てしまう可能性もあるし、さすがにそんな勇気はない。ここは安心安全?に扉からと思って部屋の前まで来たのだがこれがなかなか入る勇気が出ない。

 彼に顔を合わせたときに何を言えばいいかの整理がつかないのだ。


 結局、彼の部屋に入れず目の前の廊下でうろうろしたりふらふらとしてしまっている。

 ふーっと深呼吸をして気合を入れる。あるはずの勇気を振り絞って扉の向こうへ一歩足をすすめ……ない。

 無理無理無理ムリムリムリむりむりむり!

 自分が言ったことを理解したおかげでいつも通り気軽に部屋に入っていけない。彼に合わせる顔がない。

 扉の向こうを目指して何度も足を進めようとするが、何度やっても扉をすり抜ける前に怖気づいて足が動かなくなってしまう。なんなら歩く必要すらないほどの距離なのに足が進まない。

 どうしようもなくなって、扉の前にしおれるように座り込んだ。

 自分では思い切りのいい性格だと思っていたのだが、そんなことはなかったみたいだ。なんか情けないな。『ごめん』の一言どころか、顔を合わせる勇気すらないなんて。

 ふいにぎいっと扉がきしむ音がした。

「————さっきから何やってるんですか?」

 果てしなく遠かった木の扉の向こうから顔を出した彼が不思議そうな顔をしてこちらを見つめていた。

 なんでだか分からないが、彼は私がいるのに気が付いて扉を開けてくれたようだ。

 彼の顔を見た瞬間、悔しさやら情けなさやら嬉しさやら、いろんな感情が瞳からあふれ出てしまった。

「……このタイミングはずるいよ」

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