第4話

 村は狭いので、走って探すと少女はすぐに見つかった。

「よしよし、いっぱい食べておいしいお肉になるんだよー」

 さっき鶏と戯れていた牧場で今度は牧草を食べる牛に向かってとんでもなく物騒な言葉をかけていた。その言葉に食欲をなくしたのか、それとも後ろからやって来た僕に気が付いたせいなのか牛は咥えていた牧草を離して、のしのしとどこかへ歩いて行ってしまった。

「その牛は乳牛なので、当分は食用になりませんよ」

 どこかへ行ってしまった牛を見つめたままの少女に軽い調子で声をかける。僕の声に気が付いた少女はくるんとこちらを向くと

「おかえりー。早かったね。もう準備おわったのー?」

 何とものんきな口調で、ぱたぱたと僕の方へ駆け寄ってくる。

「準備は終わりましたけど、出発前に寄っていきたいところがあるのでそこだけ寄らせてください」

「寄って行くのはいいけど、どこに行くの?」

「母さんのお墓です」

「そうなんだ……、ちゃんと顔出すなんて偉いね」

 少女は少し気を使っているのか苦い笑顔をしていた。当然かもしれない、墓参りと言われれば反応に困るものだろう。しかも母親のとなれば特に気を遣う。

「そんなことないですよ。今、会いに行けるただ一人の肉親ですから。旅に出る前にあいさつはちゃんとしないと思っただけです。」

 気を使う少女にそう言って笑いかけると、少し気が抜けたように

「そういうところが偉いんだよ」

 それはとても少女のものとは思えない大人っぽい声だった。……僕と同じくらいの年齢に見えるが、実はもっと年上なのかもしれない。実際に聞いてみてもいいのかもしれないが、女性に年齢の話は禁句だと昔父さんに言われた記憶があるので、聞いてみるのはまだ先にしておこう。


 母さんの墓は、村の東側の集団墓地の中にある。この村の墓は、昔鍵職人をやっていた老齢だが手先が器用なじいちゃんが作ってくれていて、田舎の村とは思えないほど立派な出来らしい。

 墓地は平地より一段高く作ってあり、周りの花壇に色とりどりの花が植えてあるのもあって近づくとすぐにわかる。

 家畜の匂いの奥に、花の香りがかすかに混じり始めた時、ふいに

「……ちょっと待って」

 少女に止められた。

 止めた本人は、僕に手で僕にそのまま止まっているように指示すると、そーっと墓地の方に近づいていく。どうせ人から姿が見えないのだから堂々と近づけばいいのに、なぜこっそり行くのだろう?

 少女は墓地の前まで行くと、花壇の影から中を覗き込んだ。真剣な表情で何かをじっと見ているようにみえる。それが何なのかは僕のいる位置からでは見えない。あまりに真剣な表情で見ているものだから気になってしまって、後を追うようにしゃがみながら音を立てないように僕も墓地の方へそーっと忍び寄る。

「……何を見てるんですか?」

「ひゃっ!……びっくりさせないでよ!気づかれたらどうするの!?」

 声をかけた瞬間、飛び上がりそうな勢いで驚かれ怒られた。後ろから忍び寄った僕が悪いのかもしれないが、そこまで怒ることないじゃないか。少女が幽霊じゃなかったら、隠れてる意味もなくなってしまう。

「静かにしてください。で、何見てるんですか?」

 ぷりぷり怒っている彼女をなだめて、視線の先のものについてを聞いてみるが少女は口を閉ざしてしまった。目を合わせようとすると逸らすし、墓地の方を見ようとすれば、わぁーなんて言いながら視界を遮ろうとするし、あからさまに挙動不審だ。

 ここまでされると何が見えるのか余計に気になってしまう。遮る手をすり抜けて無理やり花壇の陰から身を乗り出して、墓地へ上がるための階段から中を覗き込む。すると、墓地には見覚えのある姿があった。

「叔父さん!?」

 家にはいないと思っていたが、まさか母さんのお墓参りに来ていたなんて。というか

「……なんで知ってるんですか?」

 思わず少女の方をジトっとにらみつけるように見てしまった。

 僕を止めようとしたということは、少女は僕と叔父さんの関係について知っていて出会わないようにしたということだ。だが、少女にそのことは話していないはずだ。だから、知っているはずがない。

 僕の指摘に少女はバツの悪そうな顔をすると

「ごめんなさい、わざとじゃないの。待っててって言われたけど気になっちゃって、こっそり家に入ったら、話してるのが聞こえたから、つい」

 はじめはそのまま反省しているようなそぶりを見せていたが、だんだんと化けの皮がはがれて最後には頭を触りながら照れ笑いを浮かべていた。

「……完全にわざとじゃないですか」

 ため息をつくように思ったことが口に出てしまった。絶対にわざとだ。僕はこの可愛い笑顔に騙されないぞ。

「わざとじゃないって!それにあの会話聞いてたから待ってって言ったのに君が付いてきちゃうのが悪いんじゃないの?」

 少女の言っていることはもっともなのだが、少女も同じことをやっているので説得力は全くない。でも、気を使ってくれたのはうれしく思う。言動の割にそういうところは気が付く人のようだ。

 まだ少女はなにかをぎゃあぎゃあと言っているが、このまま少女と話していても埒が明かないので、墓の方へ視線を戻す。

 叔父さんは母さんの墓に向かって何かを話しているようだった。幸い花壇の下で隠れている僕らに気づいた様子はない。だが、それはそれで困ったもので叔父さんはああなると長い。出発の時間もあるので、叔父さんが気づいてくれてどこかへ行ってくれる、ないしは気を使って先に墓参りをさせてくれる方がありがたいのだが、このまま叔父さんが気づくまで待っていたら日が暮れてしまう。

「ねぇ、あのおじさん、長そうだよ。このままじゃ出発するころには日が暮れちゃうよ。……話しかけにくいのは分かるけど、もう話しかけてきちゃいなよ」

 少女も僕と同じ感想を持ったようだ。

 家でひと悶着やった後なので顔を合わせたくないのだが、少女もそれをわかったうえで提案してきている。何もせずに放っておくとほんとに夕方になってしまいそうだ。

「やっぱりそうですよね。はぁ、やだな……」

「そんなこと言わずに。ほら、いってらっしゃーい」

 ため息交じりのぼやきに、少女は気の抜けた声で背中を押すように墓地への道を空けた。本当にあの会話を聞いていたのか疑いたくなるような気楽さだが、やらないと村を出られない。諦めて隠れるのをやめて重い腰を上げる。

「わかりましたよ。ちょっと行ってきます」

 抱えていた荷物を置いて、花壇の隅にあるすれ違うのがぎりぎりな狭い階段から墓地に上がる。できるだけ堂々と、重い気持ちが見えないように胸を張って母さんのお墓に近づいていく。

 別に隠れているわけではないので、墓の前まで行くより先に叔父さんがこちらに気づいた。母さんの墓に話しかけるのをやめ、こちらをにらみつけると

「……なんだ、まだこんなところにいたのか」

 不機嫌そうにつぶやいた。

 誰のせいでここに足止めをされてるのか言ってやりたいが、そんなことでまた時間を無駄にしたくない。それに会話もしたくない。

「出発する前に母さんに挨拶しに来ただけだよ。挨拶したら出発するから」

 自分でも驚くほど冷たい声だった。それでも、叔父さんは意に介さず

「なら、さっさと挨拶してすぐに出発するといい」

 そう言い残して、墓地の外へ出て行った。

 気を使ってくれたのか?いや、ただ僕にさっさと出て行ってほしいだけだろう。僕の墓参りを邪魔するつもりはないようだし、癪だが言われた通りさっさと挨拶してしまおう。

 母さんには旅に出ることもそうだが、少女のことも包み隠さず話そう。たぶん天国からはすべて見えているだろうし、母さんに隠し事はしたくない。


 時間にすれば、四,五分くらいだろうか。あまり長くは話していなかった気がする。

 母さんは、どんな顔をして僕の話を聞いてくれていただろうか。少女のために村を出ることにした僕に失望しただろうか。それとも、僕が成長したと喜んでくれているだろうか。僕にはなんとなく母さんは笑っている、そんな気がした。

 名残惜しいが、時間はあまりないので今日はここまでだ。また帰ってきたらゆっくり話そう。その時には土産話もいっぱいあるだろうし。

「じゃあ、もう行かなきゃ。————母さん、行ってきます」

 母さんに笑顔で別れを告げる。

 別れの時は、笑顔で。それは生前、母さんが何度も言っていたことだ。ちゃんと守らないと怒られてしまう。

 墓地の入り口に戻ると階段に腰かけた叔父さんが空を見上げているのが見えた。はるか遠くを見つめるその背中からは何を考えているかはうかがい知ることはできなかった。

「……終わったのか?」

「うん、……母さんと話終わったよ」

 変わらず叔父さんは不機嫌そうだったが、母さんと話したおかげで僕の声の冷たさは消えていた。

 挨拶も済んだので、叔父さんに言われた通りにここをすぐ出ようと、座り込んでいる叔父さんの横を通り抜けて下に降りる。そのまま荷物と一緒に僕を待っている少女の方へ駆け寄ろうとすると

「待ちなさい」

 階段に座ったままの叔父さんに呼び止められた。

 家で話すことも話しただろうし、特に話すこともないとは思うのだがこの期に及んでまだ何かあるのだろうか。

「……忘れ物だ」

 言葉と同時に何かをこちらへ投げた。

 叔父さんの投げたそれは、太陽の光をキラキラと反射させながら山なりの軌道で僕の方へとまっすぐ飛んできた。不意を突かれた僕はあたふたしながらもなんとか両手の中にそれを受け止めた。

 こんな時に渡すくらいだから、大事なものだと思い、おそるおそる手を開いてみると、手の中にあったのは————鍵だった。金属製のそれは、叔父さんの体温で少し温かい。

 叔父さんは忘れ物と言ったが、僕にはこの鍵に見覚えがない。……いや、あるかも。記憶の奥底にあるような、ないような。なしよりのあり?

「これは?」

「鍵だ。……お前の家の」

 あー、そういえばこんな形だった気がする。言われてようやく思い出した。特徴的なこの鳥みたいな印?模様?が有名な鍵職人のものだって、父さんが自慢してたと思う。母さんが亡くなった時にもらった記憶があるが、結局使うこともないので引き出しの奥にしまったままだったはずだ。何しろこの村に鍵を閉めるという習慣はない。盗まれて困るものがあるわけでもないし、泥棒などしなくてもだいたいのものは譲ってもらったり物々交換で事足りてしまうのだ。盗まれる心配がないから鍵を使うことも自然となくなる。

 そんなこんなで鍵の記憶など記憶の奥底に忘れ去られてしまっていた。でも、なんで今これを渡されたのだろう?僕にはその理由は分からないのだが、少女はそうではないようだ。

 いつの間にやら、僕の隣に来ていた少女がにやにやしながら顔を覗き込んでくる。この顔は鍵を渡された理由をわかっている。だが、聞こうにも叔父さんがこちらを見ている以上、少女に話しかけることはできない。不自然にならない程度に視線を動かして、少女に助けを求める。

 少女はすぐに僕が鍵の意味を理解できていないことを悟ってくれた。だが、次の瞬間邪悪な笑みを浮かべ

「あれ?まさか、なんで渡されたか分かってないの?……もぉー、しょうがないなぁ。じゃあヒント!————その鍵ってどうやって使うの?」

 この鍵の使い方?そんなの簡単だ。これは家の鍵なので、あの家の玄関の扉の鍵を開けるためのものだ。それが————、ああそういうことか。

 家の鍵は家の玄関を開けるためのものだ。なら、逆に言えば家に帰らないのなら家の鍵はいらない。だって扉と鍵はセットだから。この鍵が表しているのは家に帰ってこい、つまりは『必ず帰ってこい』という叔父さんの不器用過ぎるメッセージなのだ。

「ふふっ、あはははははっ」

 意味が分かった瞬間、自然と笑いがこみあげてきてしまった。こんな不器用なメッセージ、笑わない方が難しい。

「君の叔父さん、優しいね。これを渡すために待っててくれたみたいだし。……ちょっと不器用過ぎるけど」

 返事はできないが、少女の言うことには同意だ。

 叔父さんは僕のことなんて何とも思っていないと思っていたが、そんなことなかったようだ。ただ、ひどく不器用過ぎただけで。

「なっ、なんだ急に……?」

 急に僕が笑い始めたものだから、叔父さんが珍しく狼狽えている。

「っ……いいえ、何も」

 笑いをこらえるが、まだ顔がにやついているのがわかる。

「まあいい。元々あの家は君のものだ。私は預かっているだけに過ぎない。だから————ちゃんと取りに来なさい」

 そういう叔父さんの顔は、すこし赤かった。遠まわしだが不器用な叔父さんなりに頑張って言葉を絞り出しているんだろう。

「はいっ、取りに帰ってくるまで家をよろしくお願いします」

 もらった鍵をぎゅっと握りしめる。握りしめた鍵はすこしだけもらった時より重く感じた。けど、その重さがなんだかうれしくて誇らしかった。

 手を開いてもう一度だけ確認すると、なくさないように大切に右のポケットにしまった。

 ポケットにしまったにはいいが、落とさないかまだちょっと不安なので街でちょうどいい紐でも買って首から下げられるようにしよう。そうすれば、肌身離さずにずっと持っていられる。

「わかったなら、早く出発しなさい。ゆっくりしていると街に着くころには日が暮れてしまうぞ」

 言われてみればもう太陽は真上まで来てしまっている。墓参りだけのつもりだったのだが思いのほか長居をしてしまったようだ。叔父さんの言う通り、さっさと出発した方がよさそうだ。

 まとめておいてあった荷物を手早く抱えると

「そうするよ、行ってきます」

「ああ、行ってらっしゃい」

 その時の叔父さんは今まで見たことのない、すごく優しい表情をしていた。

「よーし、出発進行!」

 少女の威勢のいい掛け声とともに叔父さんに背を向け、村の門へ歩き出す。

 僕の胸の中には、村をはなれる一抹の寂しさと、旅への小さな不安、ここから始まる冒険への期待感が渦巻いている。

 弾むような足取りで少女は僕の少し前を歩いていく。そんな少女の姿を見ていると、僕の不安やなんかが馬鹿らしく思えてくる。

「もぉー、そんなゆっくり歩いてると日が暮れちゃうよ!」

 すぐ前を歩いていたはずの少女はいつのまにかだいぶ先に行ってしまっていて、僕を急かすように手を振っている

「はいはい、ちょっと待ってくださいよ」

 僕を待っている少女の方へ駆け足で走っていく。

 不安はいっぱいの旅だが、少女と一緒だ。なんとかなるだろう。そんな気がする。


 これが波乱万丈な僕らの旅の始まりだ。

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