第3話
たった数時間ぶりの我が家だが、本当に我が家なのかと疑いたくなるほど玄関が遠く感じる。それだけ自分の中で叔父さんと話をするということが気が重く、覚悟がいるものなのだと嫌でも実感してしまう。だが、旅に出るためにはこれを超えて、叔父さんを説得しなければならない。
「すみません、出発の準備をしてくるので待っててもらえますか?初めての旅なんでちょっと時間かかるかもしれないので、村の中でもふらふらしててください」
「わかった。待つのは慣れてるし、ゆっくり準備してきて」
そういうと少女はてこてこと来た道を戻っていった。
ああやって歩いているのを見ると自分と同年代の少女にしか見えない。あんな子と一緒に旅に出るのだと考えると、胸の奥が熱くなってくる。
無意識に右手で自分の胸を掴んでいた。胸の中の熱さに勇気をもらいたかったからかもしれない。
「————よし!やるぞ」
気合を込めた独り言。その一言で我が家の玄関は少しだけ近くなった気がした。
ぎいっと音を上げながら玄関の扉を開く。
靴も荷物もあまり置いていない閑散とした玄関に、子供のころ走り回った廊下。そこは何年も住み続けている、いつもの我が家だ。
玄関にはきれいにそろえられた靴が一足。叔父さんはちゃんと家にいるようだ。いつもなら朝食をとるためにリビングにいる時間だ。
靴を脱ぎ、廊下を歩いてリビングを目指す。緊張のせいか自然と息をひそめて足音を立てないように歩いていた。
リビングの扉の向こうから人の気配がする。叔父さんはやはりリビングにいるようだった。
意識した途端、手のひらに汗がにじみ始める。出てくる汗をズボンで拭い、ふっと息を吐いて覚悟を決めるとリビングの扉を開いた。
中に入るとコーヒーの香りがした。叔父さんはダイニングテーブルに腰を掛け、パンを片手に新聞を読んでいた。
入ったにはいいものの、どう声をかければいいのかわからず、ただ扉の前に立ち尽くしていた。そのまま新聞をめくる音だけが響く静寂の空間に押しつぶされそうだった。
「帰っていたのか。朝食は準備していないから、食べるなら自分でやりなさい」
視線を新聞に落としたまま叔父さんは突き放すようにそう言った。僕に言っているのだろうが、その視線は一切こちらを向いていない。口ぶりからして日の出前に家を出たことを知っているのだろうが、それを叱ることもない。いや、この人のことだから帰ってきて残念くらいに思っていても不思議じゃない。そこまで考えると、勝手に口が動き始めていた。
「朝食は別にいいです。ただ、話があります」
僕の返答に叔父さんから反応はない。まるで僕が幽霊になったみたいだ。いや、少女は存在すら認識されていなかったんだ。それに比べれば僕の方がマシだ。そう自分に言い聞かせて口を動かし続ける。
「旅に出たいんです。……この村の外の世界を見るための旅に」
一瞬、時間が止まった気がした。
静寂を破ったのは、おじさんが新聞を握りつぶす音だった。
「どういうつもりだ。……ここを、出ていくというのか」
背中を冷たいものが走った。叔父さんの言葉からは今までに感じたことのない感情が乗っているのを感じた。でも、それが怒りなのかそれとも別の感情なのか、僕にはわからなかった。
「……そうです。でも、この村に必ず帰ってくるつもりです」
その言葉は本心だった。
叔父さんと住んでいるこの家は息苦しいが、それでもこの村の人たちは好きだ。みんな親のいなくなった僕に優しくしてくれたし、手伝いしただけでほめてくれる。叔父さんとは違っていい人ばかりなんだ。それにここからじゃないとあの花畑にはいけない。だから、必ず帰ってくるつもりだった。だが、
「そう言って、兄さんは帰ってこなかっただろう!!」
声を荒げて叔父さんが立ち上がった。発せられた怒声が静かだった家を揺らす。
眉間にしわを寄せこちらを睨んだまま、叔父さんは動かない。僕をじっと睨んだその顔は怒りに支配されたというよりも、少しだけ悲しそうな、そんな表情にも見えた。
また沈黙が空間を支配する。
反対されるとは思っていたが、まさか叔父さんが父さんの話を出してくるとは思っていなかった。思い出すのも嫌なくらいに嫌っていると思っていたから。
叔父さんからしてみれば、医者を呼びに行って戻らなかった父さんと今から旅に出ようとする僕は同じに映っているんだろう。
「君はまだ子供だ。外の世界には危険も多い。見たくないこと、知りたくないことだってあふれている。この世界はきれいなだけじゃないんだ。……旅に出るのならもう少し大人になってからでも遅くないんじゃないか?」
叔父さんの言うことは正論だ。
僕はまだ子供で、旅に出るなんて
「大人になってからじゃダメなんです!今じゃなきゃ、今じゃなきゃダメなんです!」
「それが命取りになると言っているんだ!いい加減、わかるだろう!俺はお前をこの村から出すつもりはない」
吐き捨てるように叔父さんは言い切った。それはもう説得の余地がなくなったということに他ならない。————説得は失敗だ。
だけど説得ができなくても、少女との旅は諦めきれない。諦められない。だから、
「わかりました。————なら、勝手に出ていきます」
叔父さんになんて言われようが、旅に出る。最初からそうすればよかったんだ。
「待てっ!」
リビングをそのまま出ていこうとする僕を叔父さんが引き留めようとする。だけど、それで止まることはしない。
「待てと言っているっ!」
業を煮やした叔父さんが僕の肩をつかみ、無理やり振り向かせて
「出さないと言ったはずだ。……お前に何かあれば俺は姉さんに顔向けできなくなる」
「それでも、僕は行くんです!なんて言われようと、その意思を変えるつもりはありません」
持ち上がった体のまま
僕にそんな風ににらまれるなんて思ってもいなかったのか、叔父さんは
「……勝手にしろ」
ぶっきらぼうな言葉と同時に掴んでいた手を離した。
急に離されたものだから、受け身を取ることもできず、無様にお尻から地面に着地した。
僕を離した叔父さんは、興味をなくしたように椅子に座り直すと握りつぶしてしわくちゃになった新聞を読み始めた。
一応、旅に出るのを認めてもらったということでいいのだろうか。聞こうにも叔父さんはもう会話をしてくれる感じではないし、そういうことだと思っていいのだろうか。
よくわからないが、勝手にしろと言われたので勝手にしよう。
尻もちをついた無様な姿勢から立ち上がると、逃げるようにそそくさとリビングを後にする。
自室のある二階へ向かう階段の途中、叔父さんからは見えない死角で立ち止まるとぐっとガッツポーズをした。
階段を上がった先の二階の角の部屋、それが僕の部屋だ。
部屋に入るとすぐに準備を始めた。
初めての旅なので、何が必要なのかわからないが、どちらにせよ必要なものや足りないものは出てくるだろうから、そのたびに買い足せばいい。少女を外で待たせているので、確実に必要なものだけさっさと詰めていく。
必要なものしか入れなかったおかげか、荷物を詰めるのにはそれほど時間を使わなかったと思う。
荷物の入ったカバンを抱えて部屋を出ていこうとしたとき、なんとなく部屋を見渡した。部屋の中に物はあまり置いてないが、それでも思い出の品はいろいろある。
母さんが作ってくれたあの花畑の花で作った押し花の栞、父さんと初めて川に釣りに行った時に獲った魚の魚拓、なんで置いてあるのかわからないそこそこ太い木の枝、どれも旅に持っていくにはいろんな意味で重すぎるものばかりだ。ここで僕の帰りを待っていてもらおう。
荷物を背負いなおすと、自分の部屋と思い出の品にサヨナラと声にならない挨拶をして部屋を出た。
これで自分の分の準備はできたので、次は旅費をひねり出さなければならない。そのために向かいにある父さんの部屋に入る。
「けほっ、けほっ」
父さんの部屋の扉を開けた瞬間、舞い上がった埃にむせた。
それも当然だろう。この部屋には僕も叔父さんも何年も入っていない。ここに入れば、否が応でも父さんのことを思い出すので入りにくいのだ。そのおかげで部屋中に散乱する美術品?らしきものたちには、こんもりと山のように埃が乗っかっている。
父さん曰く、価値のある品ばかりらしいが、どれも僕や母さんには価値のわからないものばかりで僕らはガラクタと呼んでいた。
はぁ、と自然にため息が出た。扉を開けただけでも目に見えるほどの埃が踊りだしたのに、ここを漁ってお金になりそうなガラクタを選別するとなると相当骨が折れそうだ。けど、それさえ終われば出発ができる。気合を入れて取り掛かろう。
ただ見ても僕にはどれに価値があるかはわからない。なので、父さんが言っていたことを頑張って記憶の奥から思い出して、特に価値のありそうなものだけをピックアップして部屋の外に出していく。
ガラクタを漁っている中で、父さんの机の上の埃だけ妙に少ないことに気が付いた。少ないと言ってもほかのところに比べて少ないだけなので、最近使ったということはなさそうだ。
机の上にあるものと言えば、両親と僕で撮った写真くらいなものでほかには何も置いていない。だが、なんでここだけなのだろう?僕じゃないなら叔父さんなのだろうが、この部屋を避けている叔父さんがわざわざ来た理由が見当たらなかった。……こんなこと考えてもしょうがないか。どうせろくなことじゃないだろうし。
思い出しながらだったのもあり、思ったより時間がかかってしまい、窓から見える太陽が空の頂上にかなり近づいてきてしまっていた。
なんとかガラクタをまとめることができたが、これが本当にお金になるのか不安だ。でもこれ以上、時間をかけると
服に着いた
荷物の重さでおぼつかない足取りで階段を下りる。玄関まで来るだけでも日ごろ使わないような筋肉がきしむ音がした。
戻って来た玄関は相変わらず
見送りに来るとは思ってはいなかったが、まさか家から出て行っているとは思っていなかった。知ってはいたが、なんて
心の底で叔父さんに失望しながら、家を出るため靴を履く。荷物を抱えなおすと、扉を開く。
「いってきます」
誰もいない家の中に向かって、一言告げて扉から手を離した。
ずっと過ごしてきたこの家ともしばしのお別れだ。けど、
胸の中で
歩く足は自然と弾み、気づけば駆け始めていた。
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