第6話 西戎の風習

 なるほど、ズールイの言葉の通り、遺体の左手首をぐるっと囲むように文字のような物が見られる。血か何か分からないが汚れのせいで、読み取りにくいし、書かれた物なのか入れ墨なのかも即断は難しかった。

(記録を取っていたのに、気付かなかったわ。まだまだだなあ、私って。でも、ズールイもズールイよ。ちょっとくらい、言ってくれていいのに)

 リュウ・ナーは、心中で反省と文句をひとしきり唱えた。

 と、イーホンが遺体から顔を起こして、軽く頷いた。

「これは確か、西戎の一民族が用いる文字だわ。具体的な意味は分からないのだけれど、怪我を負ったり病に罹かったりしたときに、早く治るように願いを込めて書く習わしがあったと記憶しています」

「へえ? よくご存知で」

「呪いや祈祷も一応、治療法だからね。薬草と併せて使う場合があるので、多少は聞きかじっています。私の専門分野の周辺知識と言ったところかしら」

「なるほど。――ということは」

 ズールイが手元をぼろきれで拭いながら言った。

「やはりこの人物には連れがいて、その連れがまじないを手首に書いてやったと見なすのが妥当かな? 当然、連れはこの男性の回復を願っていた訳で、悪意はなかったと」

「多分、それでよいかと」

「え、待って待って二人とも」

 ズールイとイーホンのやり取りを聞いて、ナーは小さな疑問を覚えた。

「連れの人が書いたとどうして分かるの? 本人が書いたのかも」

「ははーん、リュウ・ナー。話をよく聞いてなかったな。あるいは、聞いていたのにもう忘れたか」

 からかい調でズールイが言ったので、ナーは自然としかめ面になってしまった。

「何よ、ばかにして」

 ずい、と彼との距離を詰めようとすると、相手は即座に「ごめんごめん」と謝ってきた。

「悪かった。遺体に不慣れなのだから、色々と見落としや聞き逃しがあってもしょうがない。さっき、僕が言ったこの男性についての症状を思い出してくれる? 特に手に関する」

「手の症状……あ、火傷を負った上に骨折していたんだった」

「そう。文字をきれいに書くのは、さすがに厳しいと思う」

「そういうことだったの」

 納得したナーだったが、心の内ではまたまた落ち込む出来事を抱えて、しょんぼり。ため息を密かについたけれども、みんなには気付かれぬよう振る舞った。

「こんなことなら、もっとホァユウ兄さんから教えてもらって、遺体に慣れておきたかったわ!」

 半分冗談、半分本気で笑い飛ばす。そこへ、手を叩いて注意喚起したのはイーホン先生。

「はい、そちらの説明が終わったら、今度は私の説明の続きに耳を傾けて。といっても、また聞きかじりの知識になるのだけれども……連れの人はこの男性が亡くなったのを見届けたんだと思うわ」

「理由を教えてください」

「さっき左手首に触れてみて気付いたことなんだけれども、御遺体には仙人掌の物と思しき棘が結構付いているわ」

「え?」

 この指摘には、ズールイが驚きの声を上げた。

「そんな。見落としたのかな」

「棘と言っても、だいぶ時間が経って、枯れたも同然の代物だからね。刺さっているわけでもないし、体毛や汚れ、植物の産毛が付着したのかな程度に見えたとしても仕方がない」

「はあ。――ああ、本当だ、言われてみれば仙人掌ぽい」

 己の目で確かめたズールイは、認める台詞を吐くとともに微かに項垂れた。その様を目の当たりにして、ナーは幼馴染みも自分と同じように落ち込むことがあるんだと、改めて思った。

「それで、この棘に何の意味が」

「焦らない。次は、御遺体があった場所について考えてみて。涸れ川の岸、えぐられたくぼみにあった、でしょ? 風向きにも拠るだろうけど、砂の吹きだまりができるような場所に治療が必要な人を横たえはしない」

「それはちょっと牽強付会っていう気がしますが。それこそ風向きが一時的に一定で、砂嵐を避けるために、揃ってくぼみに身を潜めたのかも」

「うーん、確かにそういう見方もできるわね。ここら一帯、風が出始めると四方八方、不規則に吹くのが常であっても、一定の時間、同じ方角から吹いた可能性を完全には排除できない。まあ、より蓋然性のある方を選ぶなら私の見解になると思うんだけど。民族的な風習と併せて」

「それならその風習とやらを、早く教えてください」

「西戎の一部の民は、旅の最中に同胞の死者が出た場合でも、遺体をなるべく故郷に持ち帰ろうとするものらしいの。でも今回は荷馬車がなく、馬の頭数も減ってしまったか、遺体を運べない事態に陥ったんじゃないかな。それでやむを得ず、後日迎えに来るつもりで遺体を一時的に隠した。言い換えると、くぼみに横たえ、砂で埋めた」

「ええ?」

 これにはリュウ・ナーも声を上げた。もちろん、否定的な意味合いでだ。

「か、仮に仰る通りだとしても、もっと丁寧に、布か何かで包むとか」

「そんな余裕はなかったのかもしれない。適切な布がなかったのかもしれない。それよりも、遺体をあとで取りに来るつもりなら、重視しなければいけない点が二つはあるでしょう?」

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