第4話 砂中の屍
「全然だめよ。最初の段階で気付けていればよかったんだけれどね。さてと。戻りましょう」
手袋を外し、はたいて袋に仕舞ったイーホン。ナーも倣った。
二人が馬車のある方へ引き返していると、まさしくその正面から「何だこりゃ!?」という頓狂な声がした。ケイフウだ。危機に直面したというような緊迫感はあまりなく、驚きが勝っている。そんな響きを含んでいた。
「どうかしましたか」
イーホンとナーが小走りになって急ぐ。ズールイが馬車の影から顔を覗かせ、こっちこっちと手招きした。
「見て気分のいいもんじゃないんだが、言わない訳にもいかないと思って」
手招きしておきながら、消極的な物言いになったズールイ。
「何よ。どうせ獣の死体とかでしょ。腐乱して、虫の湧いたような」
ナーが決め付ける。というのも、ここに至るまでにも、獣の死骸をいくつか目撃しているためだ。尤も、腐乱した物は少なく、どれもこれも干涸らびてミイラじみていた。水不足、雨不足のせいに違いない。
そんな彼女が小走りから駆け足気味になって近付くのを、ズールイは両手を広げて通せんぼ。
「いや。死体は当たりだけど、腐乱はしてないし、獣じゃなくて人」
「人?」
「遺体には僕ほど慣れっこじゃないだろう?」
「う、うん。けれども、前の街でも目の当たりにしたし」
「今度のは結構な形相で、しかも顔が血塗れなんだ」
「……」
前に見たのは黒焦げの死体だったが、夜だったこともあり、あまりよく見えなかった。明るいところで目にしていれば、恐らくぞっとしただろう。
今は真っ昼間。ひと目見れば、記憶に強く残るかもしれない。
「ごちゃごちゃ言っている間に、ケイフウさんが布を掛けてくれたわよ」
ユウ・イーホンが穏やかな声で伝えてきた。いつの間にやら、ナーよりも前に立ち、遺体のあるであろう場所を覗き込んでいる。
そこはかつて川が流れていたであろう跡の、岸辺に該当する場所だった。水の流れが削ったか、大きめの魚が巣穴を掘るかしたのだろう、下部がえぐれて、対照的に本来の地面が庇のようにせり出した形になっている。その影に隠れるようにして、遺体が横たわっている。
「さっきまで砂の吹きだまりみたいになっていて見えなかったのが、ちょっと風が吹いたおかげで露出したようだ」
ケイフウが言った。その目は辺りを睥睨している。警戒感を強めているのが分かった。
「ケイフウさん、遺体を診ますから布をどけますよ?」
「ああ、自由にしてくれ。もしも殺しか、獣にやられた末の死人なら早く教えてくれ」
「了解です。まあ、亡くなってからだいぶ時間が経っているようですから、賊に襲われた結果だとしても、犯人はもう近くにはいないでしょう……」
慎重に言葉を選びつつ、検屍に取り掛かるズールイ。彼の様子を見ようとして、ナーも結局は遺体を目にしてしまった。
「うわ」
事前に予告されていたけれども、それでも遺体の形相に思わず声が出た。骸骨に少しだけ干し肉を貼り付けたような顔が、口を大きく開けている。目の錯覚か、普通よりも縦長に見える。色の方は、血塗れと聞いて想像していた程には真っ赤ではなかった。とうに乾いて、黒みがかっている。どこから出血したのか知らないが、口の中まで黒っぽい。そこへ砂粒が飛んできてまとわりついた結果、部分的に――特に顔は白くもなっている。
「検屍、する?」
ユウ・イーホンに水を向けられ、ズールイは片手で己の頬を撫でた。
「もちろん、する気は満々ですが、時間を取られますよ? 遺体がここにあるという知らせを、最寄りの街に伝えねばならないでしょうし」
「伝えるのは、旅の者が通り掛かるだろうから、どうにかなると思う」
ケイフウが言った。
「曲がりなりにもここは街道沿いだ。行き来するにはこの辺りを通る。検屍の間に誰も来なかったとしても、いずれすれ違うはず」
「それじゃあ、ユウ先生に異存がないようでしたら、始めます。えっと、ナーには記録を頼めるかな?」
「お安いご用よ。で、記録するのはあなたの判断? それとも遺体の様子?」
「……そういえば、君もユウ先生も、絵が得意なんだっけ」
ズールイの問いは明らかに幼馴染みに向けてのものだったが、答えたのはイーホン。
「そうね。採集した草花や実などを、細密に描写するのは薬師に求められる技術の一つ」
「人の遺体でも大丈夫ですか?」
「経験は乏しいけれども、見たままでいいのなら、多分問題ないわ」
師匠の受け答えを聞いて、ナーは心中、
(経験が乏しいっていうからには、少しはしたことあるんだ?)
と驚いていた。自分はまだまだだなと痛感する。
「それじゃあすみませんが、ユウ先生にもお手伝いをお願いします。ナーと話し合って、どちらかが遺体の絵を、どちらかが僕の診断を記録するように頼みます」
「了解。――どうしようか、ナー?」
振り向きざまに問われたナーは、「先生にお任せします」と即答した。
「では、私は絵を描きましょう。ナーは少しでもズールイ君のそばにいる方が嬉しいでしょ」
「そ、そんなことは今、関係ないのではっ」
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