第2話 休憩
「ねえ、仮にこの速さでファルテシアを目指すとしたら、どのくらい掛かるかしら」
「最低でも五倍は必要になるんじゃないか。それ以前に、こんなとろとろ移動していたら、賊の急襲にあっという間にやられてしまう可能性大だろ」
ズールイの見解に、ナーは頬を小さく膨らませた。相手の口調に小馬鹿にする響きを感じ取ったのだ。
「実際にゆっくり行こうなんて言ってない。仮にと前置きしたのを、聞き逃したのかしらね?」
「わ、分かった、悪かったよ。怒らないで」
ズールイはナーが皆まで言わない内から両手のひらをさっと広げ、なだめに掛かった。声の調子だけで不機嫌になったのを察したようだ。それだけマー・ズールイとリュウ・ナーは幼い頃からの長い付き合いである証と言える。
やがて馬車は静かに停止した。途中、ちょっとした小石に一度乗り上げただけで、あとは穏やかな道程だった。
「ケイフウさんも二人と一緒に休んでいてください。目の届く範囲で済ませるつもりですから、護衛はいりません」
「さいですか。では遠慮なく」
気易く応じながらも、スィン・ケイフウは武具入れの匣から短槍を取り出すと、御者台の足元に置いた。
「いざってときはこいつを投げて、追っ払います。くれぐれも変な方向に逃げないよう願いますよ、ユウ・イーホンさん。予想外の動きをされると、誤ってあなたに当てて仕舞いかねない」
「ご冗談を。ホァユウから聞いていますからね。あなたの武術の腕前は、彼のお墨付き」
「ははあん。一介の験屍使が出す武のお墨付きなんて、何のありがたみもないとは思いませんか? まあ、いいや。安心して行ってください。ただ、時間はなるべく手短に」
「分かりました。それじゃあ、四半刻程度を見ておいてもらえますか」
「承知。――二人はどうするんだい?」
ケイフウに問われたリュウ・ナーは、ズールイと顔を見合わせた。
「私はとりあえず、降りたいわ。身体を伸ばして、できたら柔らかい敷物の上に座っておきたい。ズールイは?」
「同じ」
即答すると、先に地面に降り立った。そしてナーが降りるのに手を貸そうとする。
「ほら。普段ならまだしも、長い間、馬車に揺られて、あちこち固まってるだろ。うっかり転んで擦り傷一つでも作られたら、師匠に合わせる顔がないよ」
改めて記しておくと、ズールイの言う検屍の師匠はリュウ・ホァユウで、ホァユウはナーの兄である。
「ありがと。だけど」
差し伸べられた手を借りて、馬車から降りたナーは、台詞の続きを口にした。
「擦り傷一つは大げさ。擦り傷程度なら、私も毎度のことよ。野草を集めるだけでも手は擦り傷だらけになるんだから」
「いや、それは分かってる。僕が言ったのは、転んで顔にでも怪我をされたら……って意味」
「あら」
ズールイの手を離すと、リュウ・ナーは両手の平で自身の頬を包んだ。
「なかなか言うじゃない。それくらいのキザな台詞を、兄さんに絡めずに言えたらたいしたものだけれど、まだまだね」
「……」
好意を見透かされたためだろう、口をつぐんだズールイは、そのまま馬車後部からごそごそと敷物を引っ張り出した。
「ケイフウさん、これと水筒、持って行くよ」
若干の丸みを帯びた四角い敷物二つに竹筒二本を示すズールイ。
「ああ。いちいち断らなくても、自分の物は自分で管理してくれていい」
ケイフウはそう答えつつ、前方に視線を落とした。馬に気を配ったらしい。次いで、地図を取り出し、何やらこのあとの経路を見当する風に顎を撫でた。
「まだバテるには早いが、この先、休むのに適した場所があるかどうか、心許ないな。今の内に、水をやっておくか」
ユウ・イーホンの歩いて行く後ろ姿を見通してから、御者台を降りたケイフウ。同じ地面に立つと、その身体の立派さが際立つ。
「あれ? 確かもうしばらく行ったところで、川と交わるんじゃなかったでしたっけ? 今夜はその川縁で野営だと聞いたような」
「その通り。だが、道中で耳に入ってきた噂だと、水量が乏しいらしい。川に着いても当てにできないわけだから、手持ちに余裕のある内に与えておくんだ」
「あ、そういう――理解しました」
手にした水筒を見つめるリュウ・ナー。大事に飲もうと気が引き締まる。次に、運んでいる水やその他荷物に考えが及び、さらには自分達の帯びた使命の重さ大きさを改めて感じた。
先に行こうとしていたズールイは、ナーが続かないのに気付いたらしく、自身も足を止めた。肩越しに振り返り、「どうかした?」と聞いてくる。
ナーは率直なところを口にした。
「うーん。遊びに行くんじゃないんだし、私ももっと真剣にならないとだめかなぁ」
「どういうこと? ちゃんと使命を理解して、真剣に取り組んでいるようだけど」
「のんきに休憩していていいのかしら。先生はああして野草集めにいそしんでいるというのに」
「あれはユウ・イーホン先生が個人的に頼まれたものだから……」
「そこを積極的に、自分から、私も手伝いますと言えなかった自分が情けないの。でも、身体の節々が痛いのも事実だし」
「やれやれ。面倒くさい」
ズールイが呆れ気味に笑い声を漏らす。ナーは、きっ、と険しくした目付きで彼を見た。
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