エピソードの2:乾いた大地も血は吸わない

第1話 悪路

 石畳の道路から整地された草地、そして街を離れて平原に差し掛かると、一気に上下動が激しくなった。

「いたたたた!」

 リュウ・ナーは思わず叫び声を上げ、お尻の下に自らの両手を差し入れた。

 馬車の揺れをある程度吸収するはずの発条バネ仕組みは、期待していたほどには効いていないようだ。

 しばらくしてやや落ち着いたので、尻の下から手を出してみると、肌が白くなっていた。身に付けている卯の花のような色合いの衣服とさほど変わらない。何度か振って、ようやく赤みが戻って来た。

「噂に聞いて覚悟出て来ていたつもりだったけれども、きつすぎる……」

 愚痴をこぼす彼女の頭では、束ねて馬の尻尾のようにした長い黒髪が、振動に合わせて跳ね回る。隣に座る青年は、リュウ・ナーの髪先に頬をくすぐられそうになったか、さもうるさそうに顔の前を手で扇いだ。ただし、顔つきは嫌そうではない。むしろ、口角は普段よりも上がっている。

「ズールイは平気なの?」

 リュウ・ナーが振り返り、尋ねると、ズールイと呼ばれた青年はやや慌てた風に表情を取り繕った。紺の上着の具合を直しながら答える。

「へ、平気ではないけれども、少なくとも君よりは慣れているつもりだよ」

 それからマー・ズールイは何やら思い出すように上目遣いをし、鼻の下をこすった。

「師匠の御供をするとき、乗せてもらう機会が結構あったからね」

「一応、独り立ちしたんでしょ? “師匠”じゃなくて“元師匠”でよくない?」

「いやいや、師匠はいつまで経っても師匠。将来に渡ってずっと、頭が上がらない。ましてや、師匠は君の兄でもあるのだから」

「そこ、関係ある?」

「う、まあ、若干」

 返事の言葉に詰まりそうになるズールイ。ちょうどそのとき、馬車の速度が落ち始めた。

「お? 何かあったのかな。停まるみたいだ」

 前方に目をやる。つられてリュウ・ナーも前を見た。

 そこでは、女性が幌から頭を出し、馭者と言葉を交わしていた。どのようなやり取りがなされているのか、馬の足音と車輪の立てる音とで会話はほとんど聞こえなかったのだが、速度が落ちることで断片的に耳に届くようになる。

 女性――リュウ・ナー達よりもひと回り半は年上の――が「あちら、あの背の高い草の密集している辺りへ」と指示し、馭者の男が「了解」と応じたらしい。

 と、女性が頭を戻して振り向いた。ちなみにこの女性の着ている衣服も、卯の花色を基調としている。

「みんなお疲れのようだから、休憩を兼ねて、標本採集と行きましょう。こういう乾燥した土地にこそ生える物がいくつかあるのよ」

 当人は揺れをまるで苦にしていない様子で言った。遠目からでは男性と見紛うような出で立ちをしており、短く切り揃えられた髪と合わせて、彼女が活動的な機能を優先しているのが分かる。

「ユウ先生、採集をするのであれば休憩にならないんじゃあ……」

 ナーが怪訝さ半分、不服さ半分の色をなして聞き返す。問われた先生――ユウ・イーホンは顔の前で片手を振った。

「あなた達は休んでいて。採集は一人で大丈夫」

「いえ、着いていきます。先生を一人にすると、夢中になってどこまでも突き進んで、帰って来ない恐れがあるから」

「あら。ナーも言うようになったわね。普段の作業ならそうかもしれないけれども、今回は違うわ。旅の途中なのだから」

 ユウ・イーホンは胸を叩いた。リュウ・ナーの方はまだ半信半疑の眼である。

「旅は期限を切られています」

 馬車が完全に停止したところで、ズールイが二人の会話に割って入った。

「ここでの休憩兼採集には、どのくらいの時間を使うおつもりで?」

「半刻程度になるかしら。大丈夫、相手方の所望する花と薬草を摘んでくるだけだから」

 そう言って覚え書きを一瞥すると、ユウ・イーホンは確信ありげに微笑を浮かべた。

「お話中、ですかね?」

 前方の馭者台から声がし、遅れて男が顔を幌の内側へと覗かせた。幕に掛けた手だけを見ても、腕っ節の強さが想像される。反面、顔の造りはやや細い。頼りなく見られることを嫌ってのことか、短く濃い顎髭を蓄えていた。

「いえ、大丈夫です。何でしょう、ケイフウさん?」

「意思確認をば。猛獣や賊の類はいないようなんで、さっき言われた草むらに向かっていいかと」

「そうですね……小さくとも水辺があればそちらの方が休憩にはよいのでしょうけど」

「あいにくと見当たりません。というよりも、しばらくは乾ききった土地が続きます。あれだけ草木が生えてるんだから、土を掘れば水が湧くかもしれませんがね」

 一帯が乾燥した土地であることは、皆が承知していた。出発前に充分な飲み水を用意し、運んでいる。少なくとも乾燥地帯を抜けるまでは、保つはず。

「分かりました。では当初の通りでお願い」

 ユウ・イーホンの答に、馭者の男――スィン・ケイフウは黙って首肯すると、前を向いた。程なくして馬車が緩やかに動き始める。速度が出ていない分、乗り心地はよくなった。

「このくらいならいいんだけどなあ」

 リュウ・ナーがため息交じりに言う。

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