第16話 知的探求の旅へ
「しかし、頭骨を開いて中を見れば、分かるんだ。極めて最近になって師匠が――リュウ・ホァユウ験屍使が立証した判定法がある」
「ほんと?」
「嘘なんか言わないよ。頭蓋底の具合を診ればね、首を絞められたか溺れて亡くなったか、それとも病死かぐらいは区別がつく。ただ……実際にその判定方法を確実に扱えるのは、今のところホァユウ先生唯一人」
「なぁんだ」
ズールイ格好いい!と内心で拍手喝采を送っていたナーだったが、思わず呆れ口調で言ってしまった。
「ぼ、僕だけではなく、他の大多数の験屍使には無理なんだよ。師匠もなるべく迅速にこの判定法を広めたいと、お弟子さんの多い験屍使、つまりは国でも五指に入る験屍使から伝えていこうとされていて」
「弁解はいいから、どうするの? カ・ショクさんを救えるかどうか、瀬戸際みたいなんだけど」
「それはもう――ユウ・イーホンさん」
突然、イーホンの名を呼ぶズールイ。
「はい」
「ホァユウ先生に連絡して、急ぎ、こちらへ来てもらうことはできますよね?」
「ああ、そういう……」
イーホンは小さくではあるが苦笑を浮かべた。
「何故、私にそれを言うの?」
「だってイーホンさんが言えば、ホァユウ先生、どんなに忙しくても駆け付けてくれますから」
「え、そうでもないわよ。研究に没頭しているときなんか特に」
「と、とにかく何でもいいですから、イーホンさんの名前でお願いする文を書いてください! 先生が来られるとなれば、僕も遅れずに出発できますし」
一緒に出発できる――そう聞いたナーは、ズールイに加勢してイーホンに頼み込んだ。
「ユウ先生、お願い!」
結局、ズールイの出発は二日遅れになってしまった。文が確実に届けられたことを把握するとともに、ナムサンの遺体を保管するのに最も相応しい立場であったからだ。
その後、先行するリュウ・ナーたちの馬車に、早馬で追い付いたズールイによると、カ・ショクの主張が正しかったことが早々に認められたという。リュウ・ホァユウは到着してほとんど間を置かずに検屍に取り掛かり、ナムサンの頭骨を開くと、その底部に目立った出血やうっ血が見られない事実から、すんなりとこの遺体の死因は病いだという判断を出したのだ。その迅速さたるや、神業を見るようだったとズールイは興奮して語ったものである。
「ねえ、ズールイ。そんなに簡単に見分けられるものだったなら、あなたでもできたんじゃなくって?」
不満を隠さず、ナーは幼馴染みに疑問をぶつけた。合流のついでに休憩を取っており、地に足着けて詰め寄れる。
「だから、そこは前にも話したろ。教わってなかったんだから。無理だよ」
「そういう消極的なところがだめじゃないのと言いたいのっ。兄さんが新しい判定方法を確立したと分かった時点で、何が何でも食い付いて教えを請わなくちゃ」
「僕もそうしたかったけど、ちょうど試験と重なってて……。教えを請うような上京じゃなかったんだよね」
「それでも! 出発の間際でも、聞こうと思えば聞けたはずよ」
「い、いやさすがにそれは。みんなが送迎の宴を催してくれたし」
「はい、そこまで」
ユウ・イーホンが、会話の隙間にするりと入り込み、二人の言い合い――ナーの一方的攻勢であったが――を止めた。
「あんまり苛めちゃだめよ、ナー。今後の長旅にも響くかもしれないわよ」
「でも」
「何か訳あり? さっきから見ていたけど、あなたはズールイ君にと言うよりも、自分自身に腹を立てているみたいにも映った」
「――さっすが、私の先生です」
「さすがと言われても、具体的には何のことだかさっぱり。よかったら教えて。ズールイ君も気になるでしょうし」
イーホンが言うのへ、ズールイも即座に首肯し、「知りたい、です」と応じた。
ナーは一時的に目を伏せ、それから意を決すると面をしっかり起こした。
「あの街でのことなんですけど。私も失敗した、出遅れたなと思うことがあったから」
「何かあったかしら?」
「カ・ショクさんが背中の痕を見せてきたときです。あれを見て私は、殴打されたに違いないと信じ込んでしまいました。カワヤナギを用いれば似たような痕を作れるって、薬師のタマゴとして当然有している知識なのに、すっかり忘れていて……。悔しかった」
知らず、再び下を向いていた。そんなリュウ・ナーの肩に、ユウ・イーホンがそっと手を添える。
「そんなことを考えていたなんて……利口なんだか莫迦なんだか」
「はい?」
「あなたぐらいの歳で、それだけできれば充分です。むしろ、今持っている向上心をこの先もずっと忘れずに、大事にしてね」
「先生」
「それから、お兄さんのホァユウには、きつく言っておいて」
「えっ。何をですか」
「具体的にどうやるのか知らないけれども、焼けてしまった御遺体の死因を判別する画期的な方法を見付けていたなんて、私には教えてくれなかった。薬以外のことでも私が知りたがりなのを、彼は知っているはずなのに」
芝居がかって唇を噛む師匠に、ナーは目を丸くするほかない。
「本当を言うと、手紙に文句を書き連ねてやりたかったところなんだけど、あれはホァユウを早く来させる必要があったから、自重したのよね。あーあ、これほどまで早く片付くと分かっていたら、出発を遅らせてでも直に会って、私自ら強く言っておいたのに」
ひとしきり喋るとすっきりしたのか、イーホンは大きく嘆息した。呆気に取られるリュウ・ナーの前で、くるっと向きを換え、場所の止めてある方へ歩み出す。
「予備日を浪費しないよう、そろそろ発つとしましょう。リュウ・ナー、ズールイ君の居場所を作ってあげて」
「は、はい――え」
言われて駆け出そうとするナーの片腕を、ズールイが後ろから掴まえた。何事と振り返るナーに、ズールイが頭を垂れる。
「ありがとう、その、話してくれて。僕も初心に立ち返れた」
「……素直でよろしい」
また前を向いたナーは、表情がほころぶのを止めようとしても止まらないなと、いやでも自覚した。
エピソードの1、終わり
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