第8話 さらなる確証を求む

「私もそれ、聞いた覚えがあります。けど、それは犯人像と実際に犯人の落差、意外さ故に、印象に強く残るせいじゃないかしらって反論したら、ホァユウ兄さん、『うーん、それもあるかもしれないなあ』だって」

「へえー、ナーは偉いわ」

「偉い?」

「お兄さんの話でも鵜呑みはせず、ちゃんと自分で考えている。そういう風に育ってくれて、私も嬉しい」

「ちょ、せ、先生?」

 いきなりイーホンに抱きしめられた。どこまで本気で言われたのか、分かりゃしない。

「どこかでこっそりお酒を仕入れて飲んだんじゃないですよね?」

「まさか。大事な使命に踏み出して間がないのに、そんな――あら? 揉め始めたみたい」

 イーホンが何か察した様子で、ズールイの方を振り返った。当然、リュウ・ナーも意識を傾ける。

 言葉のやり取りが熱を帯びているのはズールイと、ザイ捕吏であった。

「理屈は分かった。だがな、絶対に水を使わなかったとは言えないんじゃないか」

「貴重な水を、鼻を洗うのに使うとしたら、ごく少量でしょう。だったらどうしても汚れが残るはず。あかるくなれば、歴然とした痕跡が見付かるでしょう」

「今の時点で、もっとはっきりしたことは言えんのか、験屍使の先生さんよ?」

 とまあこんな具合の会話を繰り返し、堂々巡りみたいになっている。それをハン・ギョウカイは高みの見物といった態度を決め込んでいた。

「あの」

 ナーの隣にいたイーホンが突然、彼ら二人の話の輪に入っていった。面食らったナーだったが、徐々に慣れてきた感覚も芽生えつつある。先生はこういう性格の人なのだと、今さらながら把握できた。

「何だい、あんたは」

 ザイ捕吏がやや訝しげに誰何する。ハン・ギョウカイの方は昼間の出来事を覚えているせいか、一、二歩後退して、肩をすぼめがちになった。

「僕とともに任務に就いている方です。薬師のユウ・イーホンさん、国を代表するほどですから、ご存知かもしれません」

「薬師? いやあいにくとその方面には疎くて」

 知らないことがどの程度の失礼・無礼に当たるのか判断しかねたか、もごもごと言葉を濁すザイ捕吏。

 そんな彼に、イーホンは愛想よく微笑を投げ、そしてすぐに真摯な表情に戻した。

「差し出口をお許しくださいませ。お話が聞こえていたのですが、もしかしたらすぐにでも御遺体がカ・ショクさんか否か、判別できるかもしれませんよ」

「本当ですか」

 驚きの声を上げたのは捕吏一人。だが、内心ではズールイも驚いていたらしく、身振りで断りを入れて捕吏やハン・ギョウカイから離れると、イーホンの袖を引いた。

「大丈夫ですか、そんな大言壮語」

「多分。大言壮語でもないと思っているのだけれど」

 内容に比べると軽い口調のイーホンに、ズールイは頭が痛いとばかりに自らのこめかみに指を当てた。二度続けて「大丈夫?」と問うのははばかれたようで、ズールイは今度はリュウ・ナーに聞いた。

「ナーの師匠は本当に大丈夫かい。正直言って、僕でもまだ断定しかねているのに、薬の専門家に……」

「きっと大丈夫よ。さっき、鼻の穴の汚れの矛盾に気が付いたのだって、先生の観察眼があってこそだわ」

「かもしれないけど……」

 ズールイは小さくため息をつき、イーホンに再び顔を向ける。

「安心して。何ならズールイ君に先に話して、間違っているかどうかを判定してくれてもいい。その上で、あちらの二人に説明をするのはあなたでも私でもかまわない」

「そうするのがいいわ」

 ナーも賛同した。験屍使のズールイが説明する方が説得力があるし、何よりもこの事件現場を仕切るのは彼であってほしい――という思いからであったのだが、それはあっさり裏切られる。

「おいおい、どうした? 早くしてくれよ」

 ハン・ギョウカイが胴間声で催促してきたのだ。どうやら昼間、イーホンにやり込められたことを根に持ち、今なら急かせて恥を掻かせられると踏んだようだ。ハンの大声のおかげで、帰りかけていた者も含めて野次馬らの注目が再び高まってしまった。

「あいつ!」

 奥歯を噛み締め、両の拳を握ったリュウ・ナーを、ズールイとイーホンが左右から宥める。

「やれやれね。仕方がないわ、私が話す。あなた達は補足に回って」

「分かりました」

「先生、どうせならあいつが犯人てことに仕立てちゃってよ」

 我ながら無茶を言っているなと自覚しつつも、ナーは言わずにはいられなかった。イーホンは微苦笑を浮かべると、「残念、そこまではまだ分からないわ」と答えて、元いた位置へと進み出た。

「どうぞこちらへ。灯りもお願いします」

 さらに捕吏とハンの前を通り過ぎ、遺体のそばに立つ。

「まず――この街の人であれば、よくご存知かとは思いますが、念のために確認をさせてもらいますね。カ・ショクさんの身体には、見ただけで分かる特徴があります。それは何でしょう?」

「うん? 誰に聞いているのか?」

「街の方ならどなたでもかまいません。さあ、どうぞ」

 重ねて求められ、ザイ捕吏は答えようとしたようだが、言葉が出て来ない。

「正直言うと、一人一人まで覚えておらん。さほど大きな街ではないが、西域への窓口として人の入れ替わりが激しいもんでな」

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