第5話 亡くなったのは肥料作りの男性?
「とりあえず、基本的な点から調べてみます」
持参した道具鞄の中から、金属製の匙のような器具を取り出したズールイ。亡くなった人の枕元に該当する辺りに片膝を突いてしゃがみ込み、小声で短いながらも悔やみの言葉を唱えた後に、遺体の口を開かせ、匙を駆使して口腔内を検分していく。
いつものように仕事を始めたズールイを見届け、ひとまず安心したリュウ・ナー。胸をなで下ろすのに使った右手を、今度は口元に持って行き、イーホンに耳打ちする。
「ズールイはちゃんとやってくれそうだから心配ないとして……どうしましょう。着いて驚いちゃった、ここ、カ・ショクさんの仕事場兼住居じゃないですか」
「やっぱりそうよね」
小声で応じるイーホン。横目で辺りの様子を窺いながら続けた。
「暗いし、道順も私達が辿ったのとは違っていたから、すぐには分からなかったけれども、あなたが言うのなら確かだわ」
「ということは、亡くなったのは……」
語尾を濁したリュウ・ナーは、往来に引き出された焼死体をほんの短い間だけ見やった。だめだ、外見だけではとてもじゃないが判断不能。
「カ・ショクさんである可能性は高いのかもしれない。だけど憶測でものを言うべきではないわ。周りの人だってこのお家がカ・ショクさんの住まいだと分かっているはずだから、私達がわざわざ言い出さなくても大丈夫。今はズールイ君の判断を待つのが吉でしょう」
「ですよね。ズールイならきっと大丈夫。正しい判断をするわ。あ、でも」
信じつつも、不安要素がいくつかあるのも事実。
「ズールイは兄さんに着いていって現場経験は豊富だけど、主導的に検屍した数はまだ少ないんですよね。その上、住み慣れた都じゃなく、田舎町と言っていい初めての土地。検屍の事情に精通した捕吏や小理官がいるかどうか分からない。もしも迷信や言い伝えにしがみつく、頑迷な役人に関わられたら、ややこしくなりかねません」
「独りでに悪い条件まで足して、不安がっても仕方がないわよ、ナー。ズールイ君を信じておけばいい。何かあったら、私達でできることをしましょう」
「そう、ですね」
勝手に不安を膨らませていたナーだったが、先生の優しい言い方と落ち着いた表情を目の当たりにして、平静に戻れた。
それから半刻足らずを要して、ズールイの基本的検屍が済んだ。普段は明るいお日様の下で行う場合がほとんどであるため、それに比べると時間が掛かってしまった。皮肉にも、今になって東の空が白み始めている。
「えっと、この件を調査する責任者の方は?」
ズールイが見渡しながら誰とはなしに問う。間を置かずに、一本、手が上がった。たくましい腕で、体毛が濃い。やがて見えた顔の方も、太い眉毛の持ち主だった。
「俺が責任者だ。捕吏のザイ・トウソン」
「ザイさん、よろしくお願いします。験屍使のマー・ズールイと言います。ザイさんは捕吏なんですね? この火事は犯罪絡みという報せがあったんですか」
「その見込みが強いと睨んで、俺が最初から出張ってきた。よそ者のあなたは知らぬだろうが、ここの住人のカ・ショクは、ある男と揉めていたのでな」
「ははあ。その話でしたら、たまたま知っているかもしれません」
「何だって?」
「いや、その話は後にしましょう。験屍使としての務めを果たさねば。基本的な調べで判断できたことを述べますから、お聞き願います」
「ああ。分かるように頼むぞ」
「なるべく噛み砕いて話しますが、不明瞭に感じた点についてはあとでお尋ねください。まず、亡くなったのは男性で歳の頃は三十~四十。全身ひどく焼けただれ、人相の判別は極めて困難。しかし少ないながらも着物の一部と思われる布が焼け残って、肌に張り付いていました。身元確認の一端に使えるものと存じます」
広げた手巾に、その布きれをのせて、捕吏に示す。
「うむ。預かっておこう」
「――それから死因ですが、火傷の他に大きな傷跡――刺し傷や殴打痕などは見付からず」
「他に傷跡がないのなら、放火か失火か」
「放火の可能性が高いと思います」
「何を根拠にその見解を持った?」
「この遺体は、殺された結果だと思われるからです」
しっかりとした証言に、集まっていた野次馬を含め、皆がざわつく。
「おいおい、殺しだと言い切るとは、さらに根拠を問わねばならん」
「口の中及び鼻腔の中を見ました。通常、火に巻かれて死に至る者はその鼻や口の中に、煤や灰が多く付着するものです。大量の煙、炎で舞い上がった灰などの燃えかすを吸い込んだ結果、口中や鼻腔が汚れるのです。翻って、こちらの遺体の該当箇所を検分するに、目立った汚れは確認できませんでした。これが何を意味するかというと、こちらの亡くなった人は、火が燃え上がる前に死亡していたことに外なりません」
「ううむ」
ザイ捕吏は低く唸ると、腕組みをした。そして半ば独り言のように続けた。
「殺しとするなら、怪しいのは……」
具体的な名前が挙がらない。いや、ザイ捕吏が最初からこの火事現場に足を運んだのは、カ・ショクとハン・ギョウカイの因縁を知っていたからのはず。なのにハン・ギョウカイの名を口にしないのは、役人とのつながりのあるハンには迂闊に手を出せないからか? 傍から見ていたリュウ・ナーは、歯がみする思いであった。
(はっきり言いなさいよ、まったくもう。それともまさか、あの捕吏もすでにハン・ギョウカイの側の人間? ここに真っ先に駆け付けて、現場を仕切るのは仲間が疑われないように事を運ぶため……だったりして。うーん、分からない)
知らず、拳を握って力が入っていた。それに気付いて手を開くと、汗を感じる。感情的になっているのを自覚し、緊張をほぐす意味も込めて、両手を振った。
と、そんなリュウ・ナーの前を、大きな影が横切る。
「――あ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます