第3話 なるべく避けねばならないとはいえ

 令札には段階に応じて様々な種類があるが、一般市民の理解では、この手の令札を所有するのは“国のお偉いさんの命令で動いている役人もしくはそれに類する人”といった具合になる。“逆らったり邪魔立てしたりすれば、罰を受ける”とも認識されていよう。

 すると巨漢男は即座に理解した様子で口を閉ざし、ごくりと喉を鳴らした。当初の勢いはどこへやら、口の中でぼそぼそと、「……最初からそう言ってくれれば……」と独り言のように呟くばかり。

「今すぐに大人しく立ち去るのであれば、ことはここまでとし何も問いません。荒立てたいのであれば、とりあえず地元の――」

「わ分かりました。何もしません。どうかこのことは内聞に」

 早口で言って、そのままきびすを返そうとする。イーホンはそんな巨漢男を「待って」と呼び止めたから、斜め後ろに立つリュウ・ナーはびっくりした。折角穏便に終わりそうなのに……と、内心冷や汗ものである。

「ま、まだ何か」

「あちらの男性を起こしてあげてください。それから、何があったのかは分かりませんが、いきなりの暴力はよくないです。その分を謝っていただければ私も嬉しいのですが」

「――分かったよ」

 文句の一つでも言いたげではあったが巨漢男はいい加減にうなずくと、つかつかと図体の割には素早く動き、尻餅をついた姿勢でいる男性に手を貸した。

「すまなかった。……だが後日、話を付けるぞ。いいな?」

 小声でそう告げると、これまた早い足取りで立ち去っていった。脅しの響きが含まれているように聞こえ、リュウ・ナーは巨漢男の後ろ姿に、舌を出した。

「大丈夫でしたか。えっと……」

「カ・ショクと申します。令札をお持ちになるような方とは存じ上げず、失礼の数々をお許しください」

 カ・ショクと名乗った男性は、服に付いた汚れを払いもせず、頭を下げることを最優先にした。

「いえいえ、全然気にすることありませんよ。こんなことで令札を頼って、我ながら恥ずかしい限り……。それよりも重ねて聞きますけど、お怪我はありませんか。私、薬の心得があるので必要でしたら遠慮なく言ってください」

「あー……大丈夫のようです。殴られ慣れているせいかな、あはは」

 頬から顎にかけてをさすると、力なく笑うカ・ショク。リュウ・ナーは思わず口を挟んだ。

「ねえ、さっきの態度も身体もでかい人、何者? あんなことしょっちゅうされて、カ・ショクさんは黙って耐えてるの?」

「うーん、彼……ハン・ギョウカイは同業の競争相手で、彼の方がずっと大きな規模でやって来てた。僕は先ほど見ていただいたように、一人でやっていますから、量ではかなわない。何か特長を付けないと全然売れません。それで色々と試している内に、今の配合を見付けた。評判が伝わったのか、徐々に売れるようになってきたところでした。噂を聞きつけたハン・ギョウカイが、何をどのくらい混ぜればいいのか教えろと言ってきて、僕が拒んだ結果が、今のありさま。ほぼ連日、嫌がらせを受けてます」

「そんな。訴え出た方がいいわ」

「いや。恐らく、相手はそれを待ち構えているんだ。訴えてお裁きまで持って行くとなったら、僕はここを長く留守にしなければいけなくなる。空き家状態のときにハン・ギョウカイの仲間が忍び込んで、配合の秘密をかっさらうつもりだと思う。裁きも勝てるかどうか、分からないし」

「乱暴を働く上にずる賢いなんて、嫌な奴ね。どうにかならないんですか、ユウ先生?」

「そうね。今の私達は先を急ぐ身だから、すぐには対処できないけれども……現状を伝える文をこの街の役所に出すというのは?」

「だめでしょう、多分。ハン・ギョウカイは街の発展に尽くした功労者扱いですから、地元の役所との結び付きも強いんです。文で事情を伝えても、まともに取り合わない可能性が高いかと」

 肩を落とし、すっかりあきらめた雰囲気で語るカ・ショク。最前、裁判に勝てるかどうか分からないと言ったのも、ハン・ギョウカイの味方をする役人が多いという事実から来るのだろう。

「お手上げですね。だからといって、捨てておけません。少し時間は要するでしょうが、中央に手紙で知らせてみましょう。私の名前で出せば、きちんと扱われると思います」

「いいんですか? ――あ、でも、連中は文の中身を盗み見るかもしれない」

「そこまで! 何という……仕方がありません。街を出たあと、何とかして手紙を出すことにします。幸い、私達の連れの一人が顔が広くて、道中の各地に知り合いを持っています。適切な人を選んで、手紙を託すことができるに違いありません」

「……いいんでしょうか、僕なんかのために」

「何を遠慮してるんです、いいんです。公平で公正な商いを行える素地を作らねば。作物をたくさん収穫できる肥料が広く使われるようになれば、私達にも恩恵があります」

 力を込めてイーホンが説得すると、カ・ショクは提案を受け入れた。「よろしくお願いします」と頭を垂れるときになって、ようやく灰まみれである己を思い出したようで、身体をぱたぱたと軽くはたき始めた。


 ~ ~ ~


「まったく、その話を聞かされたときは、冷や汗を掻きましたよ。護衛を頼まれたこちらの身にもなってください」

 ケイフウが懇願口調で言うのへ、ユウ・イーホンは笑顔のまま首を横に振った。

「結果的に無事済んだのですから、問題なしです。今晩、手紙を仕上げるつもりですから、あとはケイフウさん、頼みますね」

「わっかりましたよ」

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