第2話 水不足

 そういった諸々の事情からこの度、西方の友好国ファルテシアに、検屍の専門家一人を知識伝授のために派遣するとともに、西方薬学を学ぶ目的で薬師を送り出すことになった。その任に選ばれたのが、験屍使として一人前になって間もない青年マー・ズールイと、薬師のユウ・イーホン、そしてその弟子のリュウ・ナーである。

 彼ら三名の護衛及び道中の案内役、そして馬車を操る馭者でもあるのがスィン・ケイフウ。リュウ・ホァユウ――ナーの兄でズールイの師匠でもある美丈夫の験屍使(いわゆる検屍官)――とは昔なじみで、悪友同士と言っていい。一つのことを究めたホァユウとは異なり、様々な事柄にそれなりに優秀な成績を収めてきたケイフウは、器用貧乏で損をしている。重要な使命を帯びたこの旅に彼が抜擢されたのは、位は低いながらも役人であるホァユウが口利きした結果だ。

「それよりもケイフウさん、お水、どうします? 荷物から取ってきましょうか。このお店、持ち込みが許されているのかどうか知りませんけど」

 イーホンが言いながら店の外、繋ぎ場(馬車及び馬車馬の“駐車場”)のある方角へと振り返る。対するケイフウは、

「ああ、いや、いいです。みんな、ぼちぼち食べ終わるでしょう? あとで飲みますよ」

 と答えたあと、声を一段、低めた。

「ならず者連中はどこにいてもおかしくない。我々が大量に水を持ち運んでいると聞きつけて、奪いに来る恐れがないとは言えない。用心するに越したことはありません」

「分かりました。それにしても、こんなに水が足りてないのなら、あの人も大変だったんじゃないかしらと、今になって心配になってきました」

 自分の器に残る水を見つめつつ、思い出す口ぶりのイーホン。リュウ・ナーは小首を傾げ、「誰のことです?」と率直に聞いた。

「昼間、いる物を買い揃えている途中に、出くわしたでしょう、男の人が喧嘩でやられているところへ」

「あ、はい」

 その一件については、イーホンとナーが目の当たりにし、別行動を取っていたケイフウとズールイには、後で伝えていた。


 ~ ~ ~


 町外れのさらに片隅で、肥料を作っている場所があった。肥料と言っても、よくある糞尿や残飯ではなく、草木を燃やしてできる灰の類だ。厳密には土壌改良のための薬的な物と言うべきかもしれない。

 たまたま通り掛かったイーホンは、そこで働く男性が灰と何かを混ぜているのを見て、興味を持った。先を急ぐナーを呼び止め、二人でしばらく見物させてもらうことにする。

 中肉中背で細い垂れ目をした男性は無口な性質たちのようだったが、イーホンとナーが興味深げに眺め続け、さらにはイーホンがあれやこれやと質問を始めると、徐々に口を開いてくれるようになった。

 男性の説明によると、これらを混ぜることで土をよくする効果が高まるらしい。そう聞いて、より詳しく知りたがるイーホンだったが、さすがにそこまでは教えてくれない。“企業秘密”なのだろう。

 ならばとイーホンは推測しようと、粘る。男性の指先、爪の間が多少黄色味掛かっているのを目ざとく見付け、さらに鼻でくんと嗅ぐ。

「柑橘系の草花かしら。それとも実? ああ、でも、特別な土や鉱物の色かもしれないものね。海藻類も混じっているような……」と独り言をぶつぶつ。

 それをうるさがったか根負けしたのか、男性は手を止め、「ある種の鉱物を砕いたのと、木の実。それも熟していない、かといって青すぎるでもない、微妙な時期のやつを採ってきてすり潰したのを混ぜている」と早口で明かしてくれた。

「具体的に名前までは言えない」

「いえいえ、充分です。大切な秘密の一端でも話してくれて、ありがとうございました。感謝してもしきれません」

 イーホンが本当に嬉しそうな顔になり、大げさなくらいにお辞儀する。その態度に男性も気をよくしたのか、口が今少し緩くなった。

「いや、それほどでも。だって、どんな作物に使うかによって、効果が全然違ってくるから……。逆効果でだめになるのもあるし。その辺は秘密です」

「逆効果があり得ると教えてくれるだけで、充分にご親切だわ。知らずに見よう見まねで試していたら、大変なことになる訳ですから。本当にありがとう」

 イーホンが重ねて礼を述べている途中で、突然、邪魔が入った。

 荒っぽく、低い声で男性を呼んだ者がいたかと思うと、振り返った彼を巨漢の相手は殴りつけたのだ。

 顎の辺りに拳を食らった男性は作業場の囲いまで吹っ飛ばされた。そこには灰が貯めてあり、折悪しく、頭からたっぷりと被る形になってしまった。

「いきなり何をなさるんです!」

 イーホンとナーが思わず叫ぶ(ナーが口走ったのは「何をするの!」だが)と、巨漢の男は頭だけ振り向き、二人をじろりと見下ろしてきた。

「そいつはこっちの台詞ってやつだ。おい、ねーさんよ。あんたどんな手を使って、こいつの口を割らせたんだ?」

 「こいつ」の言葉に合わせて、灰を被った男性へと顎を振る巨漢。そして続けて失礼なことを吐く。

「色仕掛けか? ま、確かに美人だが、腹の内は真っ黒なんじゃないか、ええ?」

 巨漢男は左腕を伸ばし、イーホンの顎の辺りを掴みに来た。

 リュウ・ナーは師匠の盾にならんと前に回ろうとしたが、イーホンが手で制する。彼女自身は数歩下がり、避けることに成功。懐に手を入れつつ、

「狼藉を続けるつもりですか? ならばこちらも手段を選びません」

 と警告を発する。

「手段だぁ? おまえみたいな旅の女に、何ができるって? 見知らぬ土地で助っ人を当てにしているのか? 悲鳴を上げても、飛んで駆け付けてくれはしねえと思うがな」

 挑発かつ見下し気味に言ってくる相手の目の前に、イーホンは取り出した金属製の札を突き付けた。国が出す令札だ。


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