第12話〜だって仕方ないじゃないか

彼を揺すっても反応はない。まさか、嘘に決まっている。彼がこんな異国の地の密室でくたばるような玉ではない。さらに揺すった。


「信濃さん!信濃さん!起きてください!あぁ、まさかそんな…!」


慌ててはいるが、まだ冷静だ。そう、ここで冷静にならなければいつ冷静になるというのだ。必死に頭を動かしてまず最初にやらなければならない行動を決めて、それに従って体を動かさなければならない。


あれ、どっちだったか。頭か?体か?どっちを動かせば良いのだろうか。


「こんな時、警察…いえ、あの人達はこんな嵐の中で来るなんて有り得ません。脈、脈を測って本当に…」


外はまだ嵐だろう。それに嵐が止んだとはいえ、ここまで来るのにも時間がかかる。それならば、今出てきた事をするべきである。


信濃の腕は角張っており、上に持ち上げているだけでも重たい。そして彼の手首に指を置いたが、何も感じない。やはり死んで…そんな不吉な事が頭によぎった。


「腕を触っても、いえ。まだ希望は捨ててはいけません」

「その部分からもう少し上の方だ」

「はい、ここですね?」


指示通りに指を上の方に滑らせる。少し力を込めて押してみるとちゃんと脈が動いているのを感じた。彼の心臓は正常だった。


その事に酷く安心した桜子は、上がっていた肩の荷を降ろして床に座り込む。


ドレスの裾に皺が寄っても気にしない。そんなちっぽけな物よりも今は安心感に浸っていたいのだ。


「そう。ちゃんと脈はあっただろう?」

「良かった…生きていました」


そういえばさっきまで指示をしてくれた人は誰だったのだろうか。声がする方に首を向けると、ニヤニヤしている信濃と目が合った。


すぐさま桜子は立ち上がり、ヒールを脱いでベットの上に乗った。そして彼の腹をその足でグリグリと踏みつけている。


「起きていたならちゃんと言ってください。とんだ茶番です」

「いっだい!痛いって桜子君!吐くぞ!?」


彼は涙目になっているが彼女は止めなかった。ドレスの裾を上げて、さらに踏みつけやすいようにした。今の彼女に慈悲なんてものはなく、心配をかけた癖にからかっている彼にお仕置きしているのだ。


「全く。大方、食事会で更に疲労が溜まりボーッとしていたところ、トマトスープを零してしまったのでしょう?」

「全くもってその通りだ、桜子君」


彼からは血の匂いなんて全くしておらず、代わりにフレッシュな野菜の香りがする。


最初から匂いを嗅いで気づけば良かったのだが、そこまで頭が回らない出来事が直前にまであったので仕方ないだろう。


そして見事なまでにダメ男推理に信濃は舌を巻いた。助手は日々成長しているのだなぁと思っていた、場違いにも程がある。


「で、疲れてそのまま寝てしまった、と」

「うんうん、流石私の助手だ」


まるで子供の成長を喜ぶ父親のような顔をするので、桜子はさらに力を込めて踏みつける。冷たい目線がベットに貫通する。


「反省しているんですか?」

「痛いぞ!だって仕方ないじゃないか。疲れていたものはねぇ!」


呆れた。踏むのにも彼と話すのにも疲れてきた桜子はベットから降りた。


そしてベットに座る。彼は腹部を痛そうにさすりながら、起き上がる。


シャツには赤い大きなシミに髪は元々くせ毛だったのがさらに酷くなっている。乱れ髪とはいうが、ここまで来ると乱れとは程遠いだろう。


「早く着替えてください」

「脱がすの手伝ってくれないか?」


その見た目の不潔さとその傲慢さに我慢出来なくなった彼女は次は踏みつけるのではなく、頬に紅葉を作ることにした。


それは見事な音を立てたが、ほんのり赤くなっただけで完璧な紅葉は作れなかった。


「いっだぁ!頬にまで?吐くぞ私!?」

「調子に乗らないでくださいと以前に桜子は言いましたよ。ちゃんと体に刻みこんで覚えてください」


桜子の冷たい目線と自身の頬の火照りが相まって信濃は泣いた、男泣きである。そこまでのことをしただろうかと思って考える。


彼女の目には薄らながら潤っており、口元も少し震えていることに気づいた。こうやって乱暴にして反応を試しているのだとしたら中々に不器用な愛である。


「君は生粋のサディストだねぇ…」


そう思うと彼女が反抗期真っ盛りの子供のように見えてきて可愛いなと感じた。この男、桜子の関連になると脳味噌がそれ一色になるようだ。


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