第8話〜自由奔放でいいと思いますが

 彼は桜子の隣を歩く。意外とこの館は小さいのだが、彼の歩幅は彼女に合わせているため着くのには少し時間が掛かりそうだ。


「お腹は空いているかな?」

「いえ、あまり空いてはいません」


 お腹が鳴った。桜子は恥ずかしいのを我慢して、そのままの表情でいた。それが彼にとって面白かったのか笑っている。


「このまま歩くだけも暇だし、桜子が使っている化粧道具を当ててみようか」


 クッキーは人間と同じく化粧をする。それは見た目を良くするというものもあるが、一番は色艶や香りを良くするのである。


 人間の化粧道具とは違って、ちゃんと人間が食べられるように人体には無害の物が使われている。


「アイシャドウはリーシーの春一番。口紅はキョウコーキョーの07番卒業の花束、当たっているかな?」

「…?クッキーの化粧道具の知識がないのでよく分かりません」


 桜子がポカンとしているので、本当に知らないのだろうとベーカリーは悟った。


 彼はクッキーならばクッキーメイクブランドの一つや二つは当たり前に知っているものだとばかり思っていたからだ。


 ちなみにリーシーとキョウコーキョーというのは極東の有名なハイブランドであり、しかも彼女が使っている春一番と07番の口紅は人気があり、手に入りづらい品である。


「クッキーの有名メイクブランドを知らないって…嘘だよね?」

「興味がないので。そういったお洒落は全て信濃さんが決めますから」

「従順な事はいいことだけど、流石に最低限の知識は付けないとね」


 流石にこんな良い化粧道具を使っているのに、興味がないのは非常に勿体ないなと彼は思った。このドレスだって、布の質感からして高いだろう。


「興味がないので」

「それだけで全てが曲がり通ると思わない事だよ」


 にっこり笑顔でそう言われたので、桜子は少し化粧道具について勉強しようと考えた。無論、彼女が勉強する所は化粧道具の歴史についてだ。


「で、君の中身は餡子かな?どうも餡子とバターの匂いがする。買われた時の値段はいくらかな?相当値段はすると思うけど」

「ベーカリーさん、それは失礼です。初対面で話す話題ではありません」


 この館の人間やクッキーもそうだが、この世界のクッキーには配慮しなくても良いという風潮がある。


 勿論、信濃のようにちゃんと生物として扱う者も居るが、世の中にはクッキーを物とも思わないド屑がいる。

 そういう輩は普通に嫌がられるし、社会の村八分にされてしまう。しかし、こういった配慮やデリカシーのない言葉を言っても誰も咎めない。


「あぁ、ごめんね。僕も料理長の前にクッキー職人でもあるからさ。気になるんだよ」


 彼はメアリーとシャンティは自作のクッキーであると教えてくれた。

 クッキーは職人の腕と素材によって人格の土台が形成されると聞くが、今のところ彼の要素はない。


 クッキーは素材と腕だけではなく、周りの環境によって人格は完成するので環境のせいなのかもしれない。


「信濃さんに値段や買った買われたという話をするのは外道に成り下がるぞ、と言われましたから、お答え出来ません」


 桜子は信濃から言われた事を思い出した。

 彼は過激とまではいかない愛護派なので、そういった金関係の話を禁止の話題にしている。


 その系譜を彼女はちゃんと守っている。実際、彼女もそういった話は気分が悪くなるので話題にしない。


 彼は少し惜しいなといった感じの表情をしていたが、すぐさま笑顔になった。


「おーおー従順だなぁ。ここのクッキー共にも見習って欲しいぐらいだ」

「自由奔放でいいと思いますが」


 クッキー共、どうもこの人には何かが引っかかる。桜子を見る目が時折、獣のようになるのは何故だろうか。


「自由よりも責任だよ。僕が課した責任をクリアしてくれないとさ」

「課した責任…?」

「何でもないよ、ほらここが遊戯室だよ」


 そして着いた先の扉の古いプレートには遊戯室と、掠れた文字で書かれていた。彼が扉を開けると中の声が一気に漏れだした。

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