第380話 憧れた領域へ

「あっはは!やっぱ早いな!!」


「まずはそのうるさい口から切り裂いてあげるよ」


 シャルエナとモーキュラスの戦いが始まってからしばらく。


 モーキュラスは揶揄うように笑いながらも、その内心ではずっと驚きが止まらなかった。


(いやぁ、強くなったとは思ってたけど、強くなりすぎじゃねぇか?俺、これでもあと百年もすれば悪魔王になれるくらい強いんだけどな)


 モーキュラスの言う通り、現在のシャルエナの実力は彼がローグランドの中にいた時とは比較にならないほど上がっており、悪魔王の次に強いと言われている彼ですら感心してしまうほどに、今のシャルエナは強くなっていた。


「けど、速いだけじゃ俺は倒せないぞ!」


 しかし、モーキュラスも己の実力だけで何百年と生きてきた実力者であるため、シャルエナが自身の顔を狙って放った一刀をしゃがんで避けると、その状態のまま拳に魔力を集めて拳打を繰り出す。


「それくらい、予想済みだよ」


 モーキュラスの完璧なカウンターは、しかしその攻撃を読んでいたシャルエナが器用に刀の柄に魔力を纏わせてぶつけると、彼女はその衝撃を利用して少し離れたところに着地し、次の瞬間にはまた距離を詰めて連撃を放つ。


「くぅ。まじかよ」


 近接と近接。


 それは、魔法や弓などによる遠距離戦とは異なり、互いの間合いを奪い合う争奪戦だ。


 シャルエナの刀であれば、腕から刀身の先までが基本的な間合いとなるが、体術を得意とするモーキュラスの間合いは腕と足が届く範囲が彼の間合いとなる。


 そのため、二人の間合いには同じ近接でありながらも多少の差があり、その差を利用して如何に相手に自由を与えないか、そして如何に自分と相手の間合いを支配できるのかが勝利の鍵となる。


 そのために必要となるのは、自身と相手の間合いの正確な把握、相手の動きから次の動きを予測する判断力、そしてどんな状況でも恐怖を抱かない冷静さと相手の懐に入り込む勇気、最後にそれらを可能とさせる経験だ。


「くっそ!俺の間合いを完璧に潰してきやがる!何なんだよマジで!」


 モーキュラスが悪態をついてしまうのも当然のことで、改めてモーキュラスとの距離を詰めたシャルエナは、彼が拳打を放とうとすれば肘が伸び切る前に刀をぶつけ、蹴りを放とうとすれば足を動かそうとした瞬間にさらに一歩踏み込み、足を動かす余裕すらないほどに間合いを潰してくる。


 まさに完璧に間合いを支配されてしまったモーキュラスは、本来の実力の半分も出せないまま、ゆっくりと追い詰められていく。


「私の訓練の相手をしてくれていた子は、君よりも強くてね。そのおかげで、君の動きが手に取るようにわかるんだ」


「いったい誰だよ!こんな化け物じみた強さまでこいつを強くしたのは!!」


「ふふ。それは、私ですら一度も勝ったことがない、真の化け物だよ」


「はっ。とんだ化け物がいたもんだ」


 シャルエナが真の化け物と語る相手は当然だがモーキュラスと同じ体術を得意とするフィエラで、そのフィエラと比べれば、モーキュラスの体術は少し物足りない。


 実はシャルエナがここまで強くなれた理由には、大きく分けて二つの要因がある。


 その一つ目は春休みの間に行っていた単独でのダンジョン攻略で、次の階層に行くにつれて魔物の強さが変わっていく明けの明星は彼女が強くなるためには最適な場所となっており、そのおかげでかなり実力を上げることができた。


 そして二つ目はサルマージュでの一件以降、ルイスをはじめとしたフィエラたちと関わる時間が増えたことで、その時間のおかげでシャルエナはフィエラたちと手合わせをすることが多くなり、その経験が今の彼女の実力へと繋がったのである。


「こんにゃろぉ。このままだとちょっと不味いな。お前は花嫁だからなるべく傷つけたくなかったんだけど、ここは本気でいかないとやばそうだ」


「まだそんなことを言う余裕があるんだね。その口、やっぱり切り裂いた方が良さそうだ」


「うわっ?!」


 言葉通り、モーキュラスの口を狙ったシャルエナの横への一線は、しかしバク転するように後ろへの仰け反ったモーキュラスによって空を切ると、彼は地面に手を付いて一度距離を取る。


「『霹靂拳』!!」


 そして、シャルエナが距離を詰めてくる前に気合の入った声でモーキュラスがそう叫ぶと、まるで雷でも落ちたかのような轟音が鳴り響き、次の瞬間には彼の両拳がバチバチと赤い雷を纏っていた。


「いやぁ。まさかこの能力まで使うことになるとは思わなかったな。やっぱお前、凄いわ。ますます欲しくなった」


「なるほど。それが君の本来の戦い方か」


「おうとも!これが俺が最も得意とする雷魔法『赫雷』だ。どうだ?かっこいいだろ?ちょっと威力が高いんだが、お前ならこれくらい耐えてくれるよな」


「耐える?私をあまり舐めないで欲しいね。耐えるんじゃない。君をこの場で倒して見せるよ」


「あっはは!やっぱお前、最高だ!!行くぞ!!」


 モーキュラスは楽しそうに笑った後、バチっという雷の音がシャルエナの耳に届いた瞬間には、すでに彼女の目の前で赤い雷を纏った拳を振り上げていた。


「くっ!!」


 左側からの攻撃。


 利き手に持った刀では防御が間に合わないと判断したシャルエナは、すぐに氷魔法で氷の刀を作り出すと、それを自身の体とモーキュラスの拳の間に挟ませ、何とか防ごうとする。


「あはは!その程度で防げるかよ!そのまま吹き飛べ!!」


 しかし、急ぎで作ったためか強度も魔力密度も足りなかったその氷刀は、モーキュラスの雷撃によってあっさりと打ち砕かれると、さらにその拳はシャルエナの左腕を殴りつける。


「うっ!?」


 そのあまりの威力にモーキュラスの言葉通り吹き飛ばされたシャルエナは、何度か地面を転がってようやく止まると、それでも離さなかった愛刀を支えに何とか立ち上がる。


「おぉー。今のを食らってもすぐに立ち上がるとは、思ったより頑丈なんだな」


「君。女の子に頑丈は失礼だからやめた方がいい。嫌われるよ」


「おっと、そうなのか?なら、これからは気をつけるよ。けど、その腕はもう使い物にならないだろ?左目も見えないだろうし、無理して続けることもないと思うんだがな」


 モーキュラスの攻撃が当たったシャルエナの左腕は雷による高熱で焼け爛れ、その熱は首から頬へと広がり、そして左目まで失明させ、さらには高威力の雷によって神経が麻痺したことで、指の一本すら動かせない状態となっていた。


「確かに、この腕も目も治療しない限りダメかもしれないが、だからなんだって話だよ。この程度で、私が諦めるわけないだろ」


「あっはは!その気概!その消えぬ闘志!あの頃とは比べ物にならない強い意志と覚悟が、今のお前からはめっちゃ伝わってくるよ!お前、あの後良い出会いをしたんだな!」


「まぁ、良縁には恵まれたかな」


「かぁー!いいな!俺もそんな出会いをしてみたいが、生憎と悪魔は我欲に塗れた奴らしかいないからな。けどその分、競い合う相手には困らない」


「ふっ。それは私もだよ。私が出会った彼らは、ただ仲良く過ごすだけの浅い物じゃない。互いに競い合い、技を盗み、そして教え合う。それが私たちだ。だから、私は君に負けるわけにはいかないんだよ。あの子たちに教えを乞い、一緒に過ごした時間がある以上、もう私に負けは許されない。それは、彼女たちの教えを、そして経験を、侮辱する行為だからね」


 シャルエナは覚悟を決めた瞳でそう言い切ると、初心に戻って刀を腰の辺りへと構え、そしてゆっくりと呼吸を整えてから腰を落とす。


「この一撃で終わらせるよ」


「あはは!その言葉、乗った!なら、俺も次の一撃に全てを込めようじゃないか!!」


 現在の戦況を客観的に評価するのなら、誰が見てもシャルエナの劣勢だと答えるだろう。


 片腕を潰され、左目も失い、残っているのはほぼ右半身のみのシャルエナ。


 それに対してモーキュラスは、シャルエナの連撃による切り傷はあるものの、戦闘不能に至るような傷は一つも無く、さらにはシャルエナですら防ぎ切れなかった高威力の雷撃。


 最初はシャルエナが有利に見えたこの戦いは、たった一つの技によって形勢が逆転し、今は逆にモーキュラスが有利な状況となっているのは間違いない。


 しかし、たった一つの技。


 その一つの技によって簡単に形勢が変わってしまうほどに、二人の間には実力による差が殆どなく、まさに拮抗している状況ということだ。


 そして、この一撃で終わらせると言ったシャルエナを見て、モーキュラスは自身も全力を出さなければ負けることを直感で悟った。


 何故なら、片腕と片目を失ったにも関わらず、それでもシャルエナが身に纏う闘志は増していく一方で、自身を見るその瞳には、揺るぎない勝利と、気を抜けば怯んでしまうほどの殺気が込められていたのだから。


「『赫魔の雷拳』!!」


 最初に技を放ったのはモーキュラス。


 防御に回していた魔力も、この後のことを考えて残して置いた魔力も全て右の拳に集めた彼は、音を置き去りにする速さで地面を蹴ると、一瞬のうちにシャルエナとの距離を詰め、これまでとは比較にならないほどの赤い雷を纏った拳を振り下ろす。


 しかし、そんな暴力的な雷が迫っているにも関わらず、シャルエナは防ぐどころか動こうともせず、まるで彼女だけが時が止まったかのように瞬き一つしない。


 モーキュラスの雷拳が当たるまで残り一秒を切り、いよいよ彼の拳がシャルエナの顔に触れようとした瞬間……


「抜刀術肆ノ幕『冷廟讃歌』」


 恐ろしいほどに冷ややかで、そして落ち着いたシャルエナの声がモーキュラスの耳へと届く。


 そしてその瞬間、彼の腕に纏わりついていた雷が凍てつき、気がついた時にはモーキュラスの腕と胴体は切り裂かれ、さらには彼を突き抜けるようにその背後には氷で作られた斬痕が残っていた。


「私の勝ちだな」


 それは、神速を超えた認識外の一刀。


 切られたことにすら気づけず、いつ動いたのか、いつ刀を抜いたのかすら分からず、予備動作すら認識できない神のような一刀。


「まったく。マジで化け物だな」


 モーキュラスのその言葉は、紛うことなき彼の本心であり、無意識に出てしまったシャルエナへの畏敬の言葉だった。


「ありがとう。ずっとその言葉を目標に頑張ってきたから、少し嬉しいよ」


 化け物。


 それは、彼女がずっと目標にしてきた領域。


 それは、彼女がずっと憧れてきた到達点。


 その言葉に相応しい実力を持ったルイスたちに憧れ、彼らと同じ世界を見るために、彼らの横に立ち、そして共に歩み続けるために目指してきた一つの到達点。


 シャルエナは今この瞬間、一流という一つの限界を超えると、ずっと目標にしてきた化け物と呼ばれるその領域へ、足を踏み入れるのであった。


「悔しいな。お前の目には、端から俺は映ってなかったんだな。俺のさらに向こう。そこにいる奴らだけを見て戦ってたんだな」


「そんなことはないよ。君のこともちゃんと見ていた。けれど、私の目指すところが君を倒した向こう側にあったというだけのことだよ」


「あっはは!そうか!」


 致命傷を負ったモーキュラスの体は、すでに形を保つことができなくなり、ゆっくりと切られた箇所から灰のように塵となって消えつつあった。


「最後に教えてやるよ。本当は秘密にしなきゃいけないんだが、俺を楽しませてくれたお礼だ。お前の家族、あの大きな城にいるんだろ?」


「そうだが。何故知ってる?」


「それは、まぁ何年もローグランドの中にいたからな。あいつの記憶や感情が俺の中に流れ込んできたのさ。お前を実の子供のように可愛がり愛していたことや、お前を傷つけてしまったことへの後悔と罪悪感。そして、お前が自分を殺してくれることを願う希望なんかもな」


「そうか。叔父上が」


「だから、当然お前やその家族のことも分かる。俺たちが召喚されたってことは、もう間に合わないかもしれないが、急いで城に向かった方がいいぞ」


「まさか……」


 シャルエナも、彼らが現れる前に皇城の方から禍々しい魔力が溢れ出たことには気がついていたが、実際に何が起きているのかまでは分かっていなかった。


 しかし、モーキュラスの最後の言葉によって、すぐに城で起きているであろうことを理解すると、血液が沸騰したように沸き立ち、心臓の鼓動が速くなっていくのを感じる。


「おそらくはお前の想像通りだ。だから早く行け。例え手遅れだとしても、全てを失う前にな」


 焦燥と憎悪。


 それらの黒い感情がシャルエナの冷静さを奪い、すぐにでもこの場を離れて城へと向かおうとするが、最後に一つだけ、シャルエナは彼に聞きたいことがあった。


「何故、私にそれを教える」


「さぁな。自分でもわかねぇよ。もしかしたら、ローグランドと一緒にいすぎたせいで、お前に情が湧いたのかもな。ほら、もう行けよ。俺はもう消えるだけだし、わざわざそれを見届ける必要なんてないだろ」


「わかった」


 シャルエナは最後にそう言って踵を返すと、怪我を治すことなくそのまま真っ直ぐに城の方へと向かって走っていく。


「はぁ。ほんと、なんでこんならしくないことしちまったんだか。まぁ、お前とはそれなりに長い付き合いだったしな。これくらいは…な……」


 その言葉を最後にモーキュラスは満足そうに笑うと、燃え尽きた灰のように体の全てが塵となり、肉体を失った彼は魔界へと帰るのであった。






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