第350話 あの日を思い
それからの一ヶ月は、カマエルを含めた何人かの子どもたちが週に一回くらいの頻度でアルバーニー伯爵に呼ばれてはどこかへと消えていき、人数を減らして戻ってくる。
ボクたちはその度にカマエルに大丈夫かと尋ねるけど、彼はいつも笑顔で大丈夫だと答えるだけだった。
そうして二ヶ月ほどが経ったある日。
いつものように森で訓練を行っていたボクは、訓練中に太ももを切ってしまい動けなくなり、治療のために岩陰に身を潜めていた。
「はぁ。最近、さらに訓練が過激になってきたなぁ。その内、ボクたちで殺し合いとかもやらされるかもぉ」
幸いにも、今のところはアルバーニー伯爵や訓練の担当者から殺し合いは命じられていないけど、アルバーニー伯爵の言葉が本当なら、生き残ることができるのは一人だけのはず。
それはつまり、いずれはボクたちで殺し合いをしなければならないというわけで……
「そうなったらボクはぁ……」
果たして、みんなを殺すことができるのだろうか。
一瞬そんな考えがよぎったけど、そもそも自分が生き残るためにみんなを殺すなんてことを考えること自体があり得ない話で、ボクはすぐに頭を振ってそんな考えを追い出す。
「ラヴィ?」
「あれぇ?カマエル?」
そうして、ボクが着ていた服の袖を破って太ももに巻いていると、正面からカマエルの声が聞こえて顔を上げる。
「怪我をしたのかな?」
「うん。そうなんだぁ。ちょっと罠に引っ掛かっちゃってぇ」
「なるほど。大丈夫かい?」
カマエルはそう言って、いつものように笑顔をその顔に浮かべながらボクの方に近づいてくる。
「大丈夫だよぉ」
「そっか。でも、その足じゃ森の外に出るのは大変だろ?僕が連れて行ってあげるよ」
「いやぁ、大丈夫だよぉ」
そう言って近づいてくるカマエルを見ていると、何故か今すぐにここから逃げないといけないような気がして、ボクはゆっくりと岩を背にして立ちあがろうとする。
「うん?どうしてだい、ラヴィ。昔のように、僕が家まで連れて行ってあげるよ」
あぁ、そっか。ようやくわかった。
どうしてボクが今のカマエルを見て逃げようと思ったのか。
それは、今ボクの目の前にいる彼が、怪我をしたボクを見て笑っているからだ。
「ねぇ、カマエル。どうして今、笑ってるのかなぁ」
「笑ってる?あぁ、ごめんね。そっか、今僕は笑ってるんだね。だからラヴィが警戒したのか。でもごめんね。もう、どうしても我慢できそうにないんだ」
「我慢?」
「そう。君の血を見た瞬間から、どうしようも無いほどに君のことが殺したくて殺したて殺したくて、心の奥底から溢れてくる興奮を抑えきれないんだ」
「くっ……」
ボクはカマエルが正気じゃ無いことを悟ると、すぐにこの場から逃げようとするけど、突然足元にあった影が蛇のように動いてボクの体に絡みつき、まるで拘束されたかのように一歩も動けなくなる。
「はは。すごい能力だな。そして、なんて開放感なんだ。あぁ、僕はずっと、こんな快感を我慢して抑えていたんだね。本当に、なんて愚かだったんだろうか」
「あぁぁぁあ!!!」
「あはは!ラヴィ、今の声はすごく良かったよ。はぁ、家族の苦しむ姿が見られるなんて、僕はなんて幸せ者なんだろうね。そして、その苦しみを与えているのが僕なんだと思うと、幸せすぎて頭がおかしくなってしまいそうだよ」
カマエルはいつもとは違う歪み切った醜悪な笑みを浮かべながら、ボクの怪我をした太ももを掴んで指で押すと、痛みで思わず叫んでしまったボクの声を聞きながらさらに楽しそうに笑う。
「あぁ。君の血って、こんな味なんだね。悪く無いかもしれない。なら、他のみんなはどんな味なんだろうね。気になってきちゃうなぁ」
「ラヴィ!大丈夫か!!」
「リュー、グ?」
手についたボクの血を舐めているカマエルを見ながら、ボクはこのままここで殺されるんだと思った瞬間。
ボクの名前を焦った様子で呼ぶリューグが現れると、彼はカマエルに向かって勢い良く体をぶつける。
その瞬間、ボクを拘束していた影が消え去ると、ボクはそのまま地面へと倒れる。
「いたた」
「カマエル、お前……」
「やぁ、リューグ。突然体当たりしてくるなんて驚いたじゃないか。それに、ここで何をしてるんだい?」
「それはこっちのセリフだ!お前、ラヴィに何をしてるんだよ!!」
リューグに体当たりされて飛ばされたカマエルは、しかし特に気にした様子もなく立ち上がると、また気持ち悪い笑みを浮かべながらボクたちのことを見てくる。
「僕は見ての通りだよ?ラヴィが怪我をして辛そうにしていたから、楽にしてあげよかと思ってね」
「お前、それは楽にの意味が違うだろうが!!」
「ボクもそう思うよぉ」
「あはは。別になんでもいいじゃないか。死んで楽になるのも、助けられて楽になるのも同じようなものさ」
いや、やっぱり全然違う気がするけど、今はそんなことを言い争っている場合じゃなくて、まずはこの状況をなんとかしなければならない。
「リューグ、どうするぅ?」
「ラヴィ、お前は逃げろ」
「え?」
「逃げろって言ってんだ。お前は俺より勘がいいから分かるだろ。今のあいつは正気じゃ無い。それに、俺が全力で体当たりしてもほとんど無傷だったんだ。二人で立ち向かったところで二人とも死ぬだけだ」
「でも、もしかしたら正気に戻る可能性もぉ」
「現実を見ろよ!その可能性が仮に半分はあったとしても、正気を取り戻すまでに俺たち二人が殺される可能性の方が高いだろ!」
リューグの言う通りだった。
今のカマエルが正気に戻る可能性なんてどれほどあるのかも分からないのに対して、さっきの能力を見る限り、ボクたちがカマエルによって殺される可能性の方が極めて高い。
そんな状況でボクたち二人が残るよりも、どちらかが足止めをして、もう一方が助けを呼びに行った方が全員助かる可能性がある。
「すぐに助けを呼んで戻ってくるからぁ」
「はは。なるべく早く頼むぜ」
ボクはリューグのその言葉に頷くと、すぐに二人に背を向け、痛む足を引き摺りながら今出せる全力で森の出口を目指す。
そして、それがリューグとカマエルと話をした最後だった。
ラヴィエンヌが去った後、残ったリューグは短剣をその手に握り、カマエルと幾度となくぶつかっては距離を取り時間を稼ごうとする。
「はは。リューグ、君は昔から頭は弱かったのに、こういう戦闘になると頭は回るんだね。君にそんな才能があったなんて驚いたよ」
「チッ。それは俺も同じだ。昔はいつも椅子に座って作業していたお前が、どうして俺より身体能力が上なんだよ」
「それは、この特別な力のおかげかな。今、最高に気分がいいんだ」
カマエルはそう言って笑うと、ラヴィエンヌの時と同じように影を操作してリューグを捕えようとするが、リューグはそれを察すると、地面を転がったりしながら避けていく。
「あはは。頑張って避けてる君の姿は、見ていて面白いね」
その後も、リューグはなんとかカマエルに捕まらないよう逃げ続けるが、やはり影を操ることができるカマエルの方が有利だったため、リューグはあっさりと追い詰められてしまう。
「予定が変わっちゃったけど、君を最初に殺すのも悪くなさそうだね」
「まったく。とんだサイコ野郎だな」
「ふふ。ありがとう」
カマエルはリューグの言葉に笑ってそう返すと、右手に握った短剣を彼の胸へと突き刺す。
「ごふっ………」
「………え?」
ちょうどその時、何かに支配されたように視界が黒く染まっていたカマエルは、その黒い何かが晴れると、ゆっくりと今までのことが頭の中へと流れ込んでくる。
「リューグ?」
「はは。よう、やく…正気を、取り戻したのか…よ。ほんと、手の掛かる…兄貴、だな……」
リューグはそう言って笑うと、最後に残った力を使ってカマエルを抱きしめ、そして力無く腕を下げた。
「リューグ?リューグ!!」
カマエルはすぐに握っていた短剣から手を離すと、すでに息絶えたリューグを地面へと横たわらせる。
「あ、あぁ…あぁぁぁぁぁ」
そして、流れ込んできていた記憶の整理が終わった瞬間、自分がこれまで何をしていたのかを理解したカマエルは、まるで壊れたかのように泣き叫んだ。
「ダメだ。僕はもう生きていちゃダメなんだ。このままだと、大切なみんなのことを殺してしまう……」
自分が何をしたのか、そして自分の身に何が起こっているのかを察したカマエルは、リューグの血で赤く染まった手で地面に落ちていたリューグの短剣を拾うと、それを首筋へと当てる。
「みんな、ごめん…」
カマエルは最後にそう呟くと、みんなで楽しく暮らしていた昔のことを思い出しながら彼らしい優しい笑顔で微笑み、首へと当てた短剣を思い切り引き抜いた。
こうして、カマエルとリューグの二人は、その短い生涯に幕を下ろしたのであった。
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