第349話 地獄の始まり
「うぅ…ここはぁ……」
目を覚ますとそこは石の床に壁、そして石の天井で覆われた見慣れない場所で、周囲を見渡すとボクの他にもカマエルやクシャナたち、それに見たこともない同じ年齢くらいの子供たちが意識を失って倒れていた。
「ほぉ。貴様が最初に目覚めたか。記録は……ふむ。一日と三時間か。そこそこ抵抗力があるようだな」
「何を…言ってえ……」
「ふむ。まだ薬が残っているようだな。呂律が回らぬか」
そう言ってボクの目の前に立っていたのは、まるで実験動物でも見るようにボクのことを見下すアルバーニー伯爵で、彼はいつもと変わらない抑揚のない声で話を続ける。
「他の奴らも時期に目覚めるだろう。貴様はそれまで、そのまま地面に這いつくばりながら待っているがよい」
「ここは、どこ…なのぉ……」
「それは全員が目覚めてから説明してやる。何度も説明するのは面倒だからな。薬が切れる頃にまた来る。貴様たちは引き続き監視と記録をしておけ」
アルバーニー伯爵はそれだけを言うと、部下らしき人に監視を任せて部屋から出て行った。
それから数時間後。
一人、また一人と目を覚ましていくと、言葉通りアルバーニー伯爵が戻ってきて、床に転がっているボクたちを見渡す。
「ふむ。未だ目覚めぬ者が二人おるな。そ奴らは鈍すぎるゆえ使えぬな。始末しろ」
アルバーニー伯爵はボクたちを監視していた部下らしき人たちにそう言うと、未だ眠っている二人の子供をこの場にいる全員の視界に映る場所に移動させ、いつの間にか握っていた短剣を振り上げる。
「まさ…か…」
カマエルのそんな声が聞こえた瞬間、短剣を握っていた人たちはそのまま眠っている子供たちの胸に向かって短剣を振り下ろすと、刃先から柄まで一気に胸へと突き刺さる。
「ごふっ……」
「っ……」
短剣で心臓を貫かれた子供たちは体を僅かに跳ねさせると、そのまま口や傷口から血を溢れさせ、そのままあっさりと死んでしまう。
「あ…あぁ……」
「ひぃ……」
目の前で人が殺されたことで、その一部始終を見ていた他の子供たちから恐怖に満ちた声が漏れ出るが、未だ薬とやらが残っているのか悲鳴を上げることも泣くこともできず、さらには逃げることもできずにいた。
「薬が効いていると、目の前で人が殺されても静かで良いな。では、そのまま私の話を聞け。まず、貴様らが今いるこの場所について説明してやろう。貴様らも知っての通り、我がアルバーニー伯爵家は暗殺を生業とする一族だ。そして、この場所は我がアルバーニー伯爵家が代々後継者および暗殺者を育成するために使用してきた施設である」
「こう…けい…しゃ……?」
誰かが辿々しい声でそう呟くと、アルバーニー伯爵は小さく頷き話を続ける。
「そうだ。アルバーニー伯爵家は少し特殊でな。後継者を育てる際、その過程で例え実子でも死ぬことがあるのだ。そのため、我が伯爵家では実子に加えて貴様らのような孤児たちを集め、その者たちにも後継者となる教育を行っている。かくいう私の父も、貴様らと同じ元孤児だった」
なるほど。これでやっと全部分かった。
アルバーニー伯爵に引き取られてからの三ヶ月間、どうしてボクたちを引き取ったのか、そしてどうして勉強までさせてくれるのか分からなかったけど、つまりはボクたちを引き取った時から、彼の言う後継者教育というものが始まっていたのだろう。
「これから貴様らには、後継者として必要となる暗殺者としての知識、あらゆる毒や薬に対する耐性、そして戦闘技術など、アルバーニー伯爵家の全てを身につけてもらう。そして、最後に生き残った唯一の者が、このアルバーニー伯爵家の家名を名乗り後継者となれるのだ。ちなみに、貴様らに拒否権はないぞ。散々良い暮らしをさせてやったのだ。今さら断ることは許されぬ。それと、逃げるなんて考えも捨てろ。この場所は限られた者しか知らぬ場所にあり、さらには常に私の部下が監視を行っている。逃げようとした瞬間、真っ先に殺されるものと思え」
なんて自分勝手な話なんだろう。
勝手にボクたちの家に来て、勝手にボクたちを脅して引き取ると言って、勝手に施しを与えたくせに。
それを良い暮らしをしたのだから逃げることも断ることも許さないなんて、あまりにも傲慢で身勝手で一方的な話だけど、アルバーニー伯爵を含めたボクたちを見ている全員が、それが当たり前だとでも言ってるかのようで何も言い返すことができない。
「では、訓練については明日から行うゆえ、今日はこのままここで休むがよい」
アルバーニー伯爵は最後にそう言うと、踵を返して部下たちと一緒に部屋を出て行き、ボクたちと二人の死体だけが残されるのであった。
それからの日々は、これまでとは比較できないほどに酷いもので、むしろ三ヶ月間の快適な生活のせいで、より今の生活を地獄だと感じるほどだった。
施設を囲む森での体力訓練に、施設内での格闘や武器を使った実戦訓練。
さらには後継者になった際に必要となる勉強に加え、不定期に盛られる毒入りの食事。
最初の頃はそんな生活に耐えかねて逃げようとした子たちもいたけど、次の日には必ず捕まってボクたちの前に並べられ、容赦無く目の前で殺される。
そうして徹底的な恐怖によって支配することで、アルバーニー伯爵たちはボクたちから反抗心と自意識、そして自尊心を奪い、従順で感情の無い完璧な後継者を作ろうとする。
そんな状況の中でもボクとカマエルたちは互いに正気を失わないよう声を掛け合い、ボクたちだけで暮らしていたあの時のように寄り添い合いながら生活していた。
それでもやっぱり、こんな環境でずっと正気を保つなんて無理な話で、ボクたちの精神はまるで今にも溢れ出してしまう水のように不安定な状態で、少しでも衝撃を与えられてしまえば壊れてしまうなほどに危険な状態だった。
「今日から次の訓練に入るゆえ、今から呼ばれたものは私について来い。ハラン、ターナ……」
そんな生活が二年ほど経ったある日。
突然ボクたちのことを集めたアルバーニー伯爵は短くそれだけ言うと、次々と名前を呼んでいく。
「そして、最後にカマエル。今呼ばれた八名は私と一緒に来い。他の者たちは、いつも通り訓練を行え」
「カマエル」
「みんな、大丈だよ。必ず戻ってくるから」
フローラが心配した声でアルバーニー伯爵のもとへと向かおうとしていたカマエルを呼ぶと、彼はいつもと変わらない優しい笑顔で微笑み、他の子たちと一緒にどこかへと消えていく。
そして、残されたボクたちはまたいつものように訓練をすることになり、暗殺者としての技術を磨くため、森での実戦訓練を行う。
この二年間で、五十人ほどいる仲間は半分以上が入れ替わり、五人いたアルバーニー伯爵の実子もすでに三人が死亡して現在は二人しか残っていない。
とは言っても、入れ替わりという言葉からも分かると思うけど、アルバーニー伯爵たちは人数が減ればまたどこからか孤児たちを拾ってきては補充する。
多分、彼が言っていた唯一の後継者が決まるまでは、全員が死ぬ可能性も考えて常に新しい候補者を補充してるんだろうけど、そんなもの、想像しただけで吐き気がする。
そうしてその日の訓練を終え、夕食の時間になった時、アルバーニー伯爵に呼ばれて朝からどこかへと行っていたカマエルたちが戻ってくるけど、八人いたはずがそこにはカマエルを含めて三人の姿しかなく、残りの二人も何かに怯えるように、それでいて何かに取り憑かれたかのように虚な瞳をしていた。
「カマエル、大丈夫?」
「うん。大丈夫だよ。だからみんな、そんなに心配しなくて良いよ」
クシャナが戻ってきたカマエルにそう尋ねると、彼は朝と同じ優しい笑顔で笑ってくれて、ボクを含めたみんなが安心したように息を吐く。
本当は、大丈夫じゃなかったはずなのに。
この時、ボクたちは気づくべきだったんだ。
ボクたちに大丈夫だと言って笑いかけてくれたカマエルが、何かを堪えるように自分の腕を強く握りしめていることに。
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