第5話 ヤンの初期症状
私の名前はアイリス・ペステローズ。ペステローズ侯爵家の次女です。
上には兄が一人と姉が一人おり、私は末っ子として育てられてきました。
末っ子のせいか、両親や兄姉、そしてメイドのみんなから可愛いと言われてきました。
実際、私のお母様もお父様も美形で、お兄様もかっこよくて素敵だし、お姉様もお母様に似て美人な人でした。
お兄様はすでに学園を卒業しており、現在はお父様の手伝いでお仕事をいくつか任されており、お姉様は学園で勉強を頑張っているそうです。
学園に入学後は寮で生活をしなければいけないため、なかなかお姉様には会えませんが、休暇の時に帰って来た時はよく遊んでくれます。
お姉様は学園を卒業したら結婚して家を出ていってしまうため、甘えられる時にはたくさん甘えたいと思っています。
先日、13歳の誕生日を迎えた私でしたが、ある日お父様とお母様に呼ばれてとあるお話を聞かされました。
「アイリス。今日は大切な話があるんだ」
「はい。何でしょうか」
お父様とお母様の二人が揃ってのお話となると、その話が如何に大切なのかが感じられます。
「先日、アイリスの婚約者が決まったよ。相手はヴァレンタイン公爵家のルイス・ヴァレンタインだ」
ルイス・ヴァレンタイン。私はその名前を聞いて驚きます。
ヴァレンタイン公爵領は我がペステローズ侯爵領から馬車で十日ほど離れたところにあり、帝国内でも北に位置するため冬はすごく雪が降るところです。
そこを治めるヴァレンタイン公爵家の嫡男であるルイス・ヴァレンタイン様は、幼いながらに神童と呼ばれており、類稀な武術と魔法の才能をお持ちだと聞いたことがあります。
数年前に一度だけパーティーでお見かけしましたが、綺麗に伸ばされた銀髪と、神秘性すら感じさせる金色の瞳。
あまりの美しさに、一瞬女の子かと思いましたが、着ていた服が男の子であることを証明していました。
しかし、見た目とは裏腹に性格に少し問題があり、我儘で才能に溺れてまともに訓練をしていないそうです。
それでも公爵家の後継者だから、言い寄る女の子は多かったし、周りもかなりチヤホヤしていたのを覚えております。
(少し不安ですね…)
「大丈夫よ。どうしても嫌だったら、私たちがどうにかするわ」
「あぁ。何せ公爵夫妻と私たちは友達だからな。話せば分かってくれるさ」
私が浮かない顔をしているのを見て、お父様とお母様は優しく声をかけてくれます。
ただ、いくら仲が良くても、婚約破棄をするのが簡単じゃないことくらいは分かります。
でも、お父様とお母様は気にしなくて良いと言ってくれました。
そして二人と話し合った結果、とりあえず今は会ってから決めようということになり、私もそれに頷きました。
それから数週間後、私たちは顔合わせのため公爵領へとやって来ました。
季節はまだ夏だというのに気温が低くて涼しく、ペステローズ領よりも快適に感じられます。
そして、領内もとても賑わっており活気があり、領民たちの表情もとても明るいものでした。
馬車に揺られながら街道を進んでいくと、大きな白いお屋敷が見えてきます。
雪のように真っ白な壁の綺麗なお屋敷。それを見た私は驚きを隠せませんでした。
「驚いたようだね。まぁ、私も初めて見た時は驚いたものさ」
「そうね。それに白い壁がとても綺麗だもの。アイリスの気持ちもよくわかるわ」
どうやらお父様とお母様も、このお屋敷を初めて見た時はかなり驚いたらしく、その時の話を楽しそうに話してくれました。
二人の話を聞いているうちに、あっという間に馬車はお屋敷の前に着いて動きを止めます。
私たちは馬車から降りると、目の前には公爵夫妻がおり、私たちを出迎えてくれました。しかし、その場にルイス様の姿はなく、話を聞くと体調が優れないとのことでした。
ただ、全く動けないというわけでもないらしく、あとで呼ぶつもりだと話してくれます。
私たちは応接室に案内されると、ソファーに座ってお互いに挨拶をしていきます。
ヴァレンタイン公爵様は銀髪と青い瞳の落ち着いた雰囲気のある方で、隣に座る公爵夫人は濃紺の髪に神秘的な金色の瞳をした美しい人でした。
お二人ともとても優しい方で、私のこともよく気にかけてお話をしてくれます。
それからしばらくすると、部屋の扉がノックをされて開かれました。
ようやくルイス様がいらっしゃったのだと思いそちらに目を向けると、私たちは驚いてしまいました。
(う、浮いていらっしゃいます…)
部屋に入って来たルイス様は、魔法で作ったらしき水のクッションに座りながら、少し怠そうにして宙を浮いていました。
私も水魔法を得意とはしていますが、あそこまで緻密な魔力操作はまだ出来ません。
公爵様たちもこの姿を見るのは初めてなのか、とても驚いていらっしゃいます。
しかし、ルイス様はそんな周りのことなど全く気にすることなくソファーに座ると、公爵様の方へと顔を向けます。
「それで?婚約者殿がくると聞いたのですが?」
「…あ、あぁ。その通りだ。…いや、まて。このまま話を続けるのか?」
全くもってその通りです。あまりの登場に私だけでなく両親も何も言えずに固まっています。
「別に良いでしょう。今日は顔合わせ。それだけなのですから。過ぎたことは気にせず、早く進めてください」
「う、うむ。わかった」
ルイス様は早く話を終わらせたいのか、公爵様に話を進めるように言います。気を取り直した公爵様は、ルイス様に自己紹介をするように言いました。
「お初にお目にかかります。ヴァレンタイン公爵家が嫡男。ルイス・ヴァレンタインです。以後、よろしくお願いいたします」
ルイス様は先ほどまで感じさせていた気怠さが嘘のように、しっかりとした表情で挨拶をして来ます。
その時に私に向かって微笑んでくれましたが、その笑みを見て私の胸が高鳴ります。
(な、何でしょう。胸がすごくドキドキします)
お父様とお母様は、入って来た時との雰囲気の違いに驚いていましたが、すぐに気を取り直して挨拶をします。
私も二人に続いて挨拶をしたあと、ルイス様に微笑みます。すると、ルイス様も微笑み返してくれて、私の胸がまたドキッと跳ねました。
しかし、それ以降ルイス様がこちらを見てくれることはなく、最後に挨拶をするまでお話しすることはありませんでした。
顔合わせが終わると、お父様たちはお話があるとのことで、私たちは庭園を見てくるように言われました。
ルイス様に案内されて庭園に来ましたが、彼は私のことを一切見ようとせず、話をしようともしてくれません。
「ヴァレンタイン様は、私との婚約がお嫌なのでしょうか」
何となく雰囲気からそう感じた私は、躊躇いながらも尋ねます。
これは親同士が決めた政略結婚です。お父様とお母様は嫌なら断っても良いと言ってくれましたが、二人が私たちが結ばれることを願っていることは知っています。
「仕方のない話だと思います。私たちは今日、初めて会ったばかりですし、お互いのことを何も知りませんから」
私は今自分が思っていることを素直に話します。実際、初め会った人と将来結婚するんだと言われても、どうしたら良いのか分からないでしょうし、嫌だと感じる場合もあるでしょう。
私の気持ちを聞いたルイス様は、少しだけ真剣な顔をすると、彼も自身の気持ちを話してくれました。
「正直な話、この婚約自体に俺は興味がありません。政略的なものですし、ペステローズ嬢のおっしゃる通りお互いのことをよく知らないので。それに俺たちはまだ子供なので、今後、別の誰かを好きになることもあるでしょう。なので俺としては、どちらでも良いというのが正直な気持ちです」
興味がないと言われ、私の胸にチクリと何かが刺さるような痛みを感じましたが、それ以上に聞き逃せなかったのは、他の誰かを好きになる可能性があるという部分でした。
(ルイス様が…私ではない他の誰かを好きになる…)
そんな未来を想像しただけで、何故だか私はとてつもない怒りが湧いてきます。
この気持ちが何なのかは分かりませんが、私はそれ以降こちらを見ないルイス様の後についていき、庭園を歩くのでした。
それから私は、ルイス様のことがどうしても気になり、何度かお話をしようと試みますが、返事はしてくれるものの、やはり私に興味がないようでした。
結局、最後までちゃんとしたお話をしたのは庭園の時だけでしたが、自分のお屋敷に帰ってきてからも彼のことを忘れられませんでした。
そのことをお母様にお話しすると、「あらあら、もしかしてアイリスは恋をしたのかしら?」と言われました。
恋と言われた瞬間、私は自分の今の気持ちに納得することができました。
(なるほど。私はルイス様に恋をしたのですね)
おそらく彼が私に微笑んでくれたあの時、胸がドキッと高鳴ったあの瞬間、私は彼に一目惚れをしたのでしょう。
自分の気持ちが分かった今、さっそく行動することに決めた私は自室へと戻り手紙を書きます。
(ルイス様に振り向いてもらうために、頑張らなければ)
ルイス様はとても素敵で美しくもかっこいい人でしたが、どこか儚くて危うい雰囲気のある方で、何故だか私は彼のもとにいなければならないと感じました。
私が彼の支えになれれば、それはこの上ないほどの幸せなのです。
それに、彼が他の人を好きになり私を捨てる。そんな未来を想像しただけで私は…
とにかく、まずは私のことを知ってもらい、そしてルイス様のことを知るためにも、お手紙をたくさん書いて送ることに決めます。
「絶対にルイス様の心を掴んでみせます!」
こうして、私は初恋を実らせるためにも、頑張ってルイス様にお手紙を書き続けるのでした。
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