面倒事

風が強い。強烈な嵐の存在を背中に感じながら、僕たちは歩みを進めていた。


 観測地点から「シェルター」への入り口は徒歩で3時間程度の距離だった。4人で縦列に並んで丘を登る。僕は列の最後尾で殿だ。


 誰も口を開かない。「外界」の急激な天候の変化の恐ろしさは全員が承知していた。自然と足が早まる。最初に下ってきたなだらかな坂道を、より早い速度で上っているのだった。


 まだ行程の半分も歩いていなかったが、既に僕は疲れを感じ始めていた。


 身動きの制限される防護服を着用している上に、灰で覆われた地面に足元を取られるため、一歩一歩踏ん張るように歩く必要があった。


 さらに僕たちは観測機器の部品を背負っていた。いかなる環境でも正常に動くよう大型で頑丈に作られている。細かく分割はできるものの、明らかに4人で運ぶことを想定した大きさではなかったので、一人一人の負担は大きいものだった。


 額を滑り落ちる汗が鬱陶しかったが、防護服を着ているので対処のしようがなかった。


 立ち止まって少しでも休みたい気分だったが、先頭を行くジルの歩調は変わらない。観測員として、時々に同行を命じられる僕とは違い、彼女は専門教育を受けていて、日頃より案内役として外界での活動に当たっていた。ジルと僕は同期だったが、身体能力には大きな差があった。


 おまけに彼女は気候の天候の変化に敏感だ。僕でも強い風を感じられるくらいの距離に嵐が迫っているのだから、彼女が感じている圧力と恐怖は並々のものではないのだろう。普段は感情を露わにしない人間だったが、行動は案外愚直で、自分に正直だった。


 そんなジルとは対照的に僕の前を歩くミラーはかなり疲れているようだった。歩速は次第に低下し、ジルとベール、僕とミラーの間隔が広がってきていた。


 強風により灰が舞い上がっていて、視界が悪くなっていた。このままでは前の二人とはぐれてしまうかもしれない。


「ジル」


 僕は無線の個別回線で連絡を取った。


「小し休憩の時間は取れないかな?ミラーが辛そうだ」


「…速度を緩める。荷物は私が持つ」


 立ち止まるつもりはないようだった。


「5分でいいんだ。そんなわずかな時間も取れないくらい危ない状況にあるのか?」


「私は時計を持っていない」


「僕はそういう話がしたいわけではないんだけれど…」


 確かに時計は高価品で、各班の計時担当しか所有を許されていない。そして計時担当は僕だった。だが、それなら時間を尋ねるなどの方法を取ることができるだろう。


 どうもジルは個人的な感情を優先しているようだった。


 彼女とは違って僕は天候の変化を読む訓練を受けていないため、実際にどれほど近くまで嵐が迫っている知ることはできない。だが、彼女の性分を考えると、出せる限りの速度で無暗に「シェルター」の入り口を目指しているだけなのではないかと考えてしまうのだった。


 常に死の危険性が伴う外界での活動は、案内役の判断が最も重要視される。まじて班長を兼任しているジルの言葉や行動は非常に重たいものとなっているのだが、彼女はその自覚が無いようだった。


「もう少し歩けば入り口につく。ミラーに頑張ってもらうしかない」


 念を押すようにジルは言う。


 一連のやり取りの間に歩く速度は全く変わっていなかった。ミラーどころか、ジルのすぐ後ろを歩くベールまで遅れ始めていた。


 体の大きいベールは班内で一番多くの荷物を持っていたし、おまけに外界調査には初参加だった。


 時計を見やる。


「ジル、歩き出して1時間ほど経過している。行きの道は全体で3時間かかっている」


 返事はない。


「入口までの残りの距離は君にしか分からないが、この速度を保ち続ければ落伍の可能性さえ考えられるだろう。本当にそれだけのリスクを冒さなければならない状況に僕たちは陥っているのかい?」


「…10分の休憩。計測はコナンに任せる」


 ようやく自分の判断が理にかなっていないことを認めてくれたのだろう。ジルが折れてくれて、休憩を全体回線で簡潔に伝えてきた。


 僕たちは起伏が少し小さくなっているところで立ち止まり、観測器具を傷つけないように慎重に地面に置いた。


 材質の都合から防護服は柔軟性に欠けており、座ることはできなかった。


「ジルに助言したのは君か?」


 休憩時間を測り始めてすぐに話しかけてきたのはベールだった。


 僕は簡潔に返事をした。


「ありがとう。本当は年長者の私がジルに言うべきだった。ミラーが後ろに付いてきていないことは分かっていたんだが…」


 申し訳なさそうにベールは言う。


 暦の使用は禁止されていたので正確には分からなかったが、確実に上だと分かるくらいには、ベールの言動からはを年齢差を感じさせられた。


「ベールは他班からの異動で、実務は今日からじゃないか?」


「あぁ、元々は外殻検査の方で活動していた」


 外殻というのはシェルターの最も外側で、外の空気と接しているドームのことだ。


「じゃあ意見しても、聞いてもらえないって考えるのが普通だよ」


 初等教育を修了した後、能力適性に応じて各人は班に割り振られ、それから専門教育を受けるのだが、実際の活動は知識以上に経験に依る部分が大きかった。


 基本的に最初に配属された班で、同じような労働に生涯従事することになる。事情は詳しく知らなかったが、ベールが受けた異動というのは相当に例外的な処遇なのだった。


「君だって臨時の担当じゃないか、コナン」


「僕はジルの同期だから昔から話すことが多かったし、彼女は話の分からない奴じゃないから…」


「フーン…同期なら互いの能力は良く知っているという訳か。彼女はかなり頑固な性格みたいだが、君の言うことは聞いたんだな」


 ベールは穏やかな口調で続けた。


「君も異動でこの班にやってきたらしいな。前はどんな仕事をしていたんだ?」


「少々特殊な事情なんだ。あちらこちらの班を移動している。守秘義務があるので詳しく言えないんだけれど…」


 適当に誤魔化しておく。


 他人の事情を深く詮索するのは禁則事項だ。違反が分かればどんな罰則があるか分からない。


「なるほど、訳アリってことだな。英知班の人間であることには違いないんだろうが、知りすぎることは時に不幸を招く、これ以上は何も聞くまい…君のおかげで助かった。実は私も限界だったんだ」


 ベールは僕に対して警戒心を抱いたようだった。その事務的な返答に相応の返答を返しておく。


 どうも信用できない。こちらのことを聞いてくる割に自分の事情は明らかにしない。彼は気さくで物腰も柔らかかったが、問題が何もなければそもそも異動などという処置がとられることはまず無いのだ。


 先入観と実態のギャップが却って不気味さを助長しているように感じていた。もっとも不信感を抱いているのはお互い様だろうが。


 ベールの次に話しかけてきたのはミラーだった。


「ありがとう」


 ミラーは個別の回線で、他の班員には聞こえないようにコッソリと謝意を伝えてきた。


「大丈夫、気にしないで」 


 年少であるが故に、中々小休止を言い出すことができなかったのだろう。ミラーは班の中で一回り幼く、小さい体格だった。ジルと同じく外界案内役としての教育を受けていているが、活動に従事し始めてから日が浅かった。


 彼が肉体的負荷の高い外界調査班に選ばれているのは、彼がわずかな変化も見逃さない優れた目を持ち、捜索活動にその能力を発揮できると判断された為だろう。だが、若年であることを考慮しても、その身体能力をお世辞にも優れていると評価することはできなかった。 


「君が付いていけないのは別に今日に限った話じゃないだろ?」


「…うん。以前は後ろを歩く僕たちのことを一番に考えてくれたのに、最近は常に焦っているように見えるし、異常が起こるとすぐに帰ろうとするんだ。ジルはちょっと変だよ。」


「それって僕の前任者が亡くなった時から?」


「…うん。知っていると思うけど、この前の嵐に巻き込まれてさ…」


「管制システムは、ジルの活動内容に責任はなかったと結論付けていたけれど」


 前任の外界班観測担当は元々身体能力に難があり、しかも歳も取っていたようだから、天候の変化速度もいれると犠牲は不可避だったとの判断がされていた。


「犠牲を出したことなかったんだって」


「…自分が班を率いているときに?」


 ジルは優秀なナビゲーターだった。自分の能力に自信を持っているが故に、ショックが大きいのだろう。


「うん。ジルはあまり話をするのが好きじゃないみたいだから、分からないけど」


 ミラーは彼女を心配しているような声色だった。


「…じゃあ、僕がジルに聞いてみることにするよ」


 ミラーは過度に気を遣ってしまうタイプの子のようだった。


「コナン、君は優しい人なんだね」


 ジルを心配する気持ちは全くなかった。だが一瞬の判断ミスで死にかねない危険な環境下において、最も重要な判断を迷いのある人間に任せることはできなかった。


 僕は後任の初等教育が修了するまでの一時的は外界調査班員に過ぎないのだから、ジルに嫌われても別に問題はないだろう。


 そこでちょうど時計が10分を刻み終え、音を鳴らしたので、ミラーとの会話を切る。


「ジル、時間だ」


「移動する」


 荷物を降ろさないまま10分をじっと待っていたジルは、間髪入れずに歩き始めた。僕たち3人は慌てて荷物を担ぎ、その後を追った。

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