第2話 宿敵

 彼女が教室を去ってから、私は少しぼーっとしていた。すぐに出ていって万が一彼女に出会ってしまったらと考えたら、時間をずらして帰宅するのがいいと考えた。

 私は手に持った一眼レフを起動し、今日撮影した写真を眺める。

 どれも変哲のない写真ばかりだ。それでも私にとってはどれも魅力的だった。

 夕日差し込む教室も、風になびくカーテンも、放課後で誰もいない廊下も、窓の外を眺める彼女の写真も。

 私が彼女に出逢えたのは奇跡だ。しかも話しかけてもらって、二人で放課後を過ごして。まるで友達のように。

 でも、私たちは友達ではない。それは確かなことだった。

 そろそろかなと、私が帰宅の準備を始めた時、教室のドアが開かれた。

「渚ー! まだいるー?」

 バイトに行ってしまった彼女の名前を呼んだのは、野球のユニフォームを着たショートヘアの女子生徒だった。

「ねえ、渚って帰っちゃった?」

「……」

 キョロキョロする私に女子生徒は言った。

「いや君しかいないでしょ」

 そう言われても、他の人に話しかけているのに私に話しかけていると勘違いして反応してしまった悲しい歴史がそれを認めなかった。

「き、み、だ、よ、眼鏡ちゃん!」

 女子生徒はズカズカ教室に入り込んできて、私の眼鏡をいじってきた。

「うぅ……あ……」

 まともに抵抗もできない自分がみっともなく思った。

「それで、渚は?」

「……彼女は、バイトに行きました」

 私の弱々しくか細い声が届いたのか、女子生徒はふうんと鼻抜け声で応えた。

「そっか。渡すものあったんだけどな……まあ、明日でもいいか」

 そう言って、女子生徒は小走りで机の間を縫って進む。ドアに差し掛かったところで、振り向いて言った。

「眼鏡ちゃんは渚の友達?」

「……いいえ」

 それだけ聞くと、じゃあねと手を振って行ってしまった。

 女子生徒が去って、ひとつ気づいたことがある。

「……明日、開校記念日だけど」


   *   *   *


 金曜日に開校記念日があるおかげで三連休だった。

 私の休日はというと、ふと散りかけの桜を写真に収めようと思い立って外に出た以外は、家でずっと本を読んでいた。最近はもっぱら恋愛小説が私のブームで、禁断の恋愛に憧れを持ちつつも、その非現実さに打ちひしがれる日々だ。

 そして月曜日は足取りが重い。休日の終焉に、平日の到来に、気が滅入る。

 ため息を携えて、私は三年生用の下駄箱へと靴を入れる。すのこ板に音を立てて置いた上履きはそれなりの年季が入っていて、丸二年間の月日の経過を感じさせる。

 四階の教室に入ると、ちょうど外に出ようとする彼女とすれ違った。

「おはよ」

「うん、おはよ」

 すれ違いざま、彼女はいつものように微笑んだ。いい匂いがした。

 私は鞄を机に置いて、席に着く。

 教室中央付近の私の席は埋もれやすい私にとても良く似合っている。

 教室の端々ではいくつものグループがそれぞれ会話を楽しんでいた。私はそんな光景を横目に、彼女が帰ってくるのを待っていた。

 朝のホームルームが始まるチャイムが鳴ったと同時に、彼女は教室に戻ってきた。

 彼女の席は私の一つ前だ。新しいクラスになって早々に席替えが行われ、私たちはこの席になった。この席替えがきっかけで、私たちは少しずつ関わるようになったのだ。

 彼女は席に着いても私に話しかけなかった。

 私からも話しかけなかった。まあ、ホームルム中だし。


「ねえ、これ見てよ」

 ホームルームが終わると、前の席の彼女が振り向いて何かを私にひらひらと見せてきた。

「……セルフ、ティータイム?」

「そ、セルフティータイムっていう今をときめくガールズバンドのライブチケット」

 聞いたことがなかった。俗世間に疎い私が流行りを知らないのも無理はない。

「塁に取ってもらったんだ、三枚」

「へ、へえ……いいね」

 三枚という彼女の言葉に私は内心焦っていた。三枚ということは、彼女とあと二人いるということ。それは恐らく、彼女の友達。私が踏み込めない領域。

「た、楽しんできてね……」

 私はそんな気持ちを抑えつけて、彼女に言った。

 でも、その後の彼女の言葉は思ってもみないものだった。

「いや、一緒に行くんだよ。私と塁と……」

 そう言って、私を指さす彼女。私も私を指さして彼女を見やる。

「……私も!?」

「え、うん」

 高校生になって一番の大きな声を出した気がする。そんな私の反応に彼女は若干引いていた。


 放課後になって、例のごとく私は彼女と一緒に教室で過ごしていた。

 今日の授業はまるで手につかなかった。教科書を開いても彼女の話のことで、先生に指されても彼女の話のことで、体育で外周を走っているときも彼女の話のことで……つまり、彼女の話のことで頭がいっぱいだった。

 朝の時間以来、彼女は特にその話について深く話すことはなかった。ただ、『塁』という名前の彼女の友達を紹介するとだけ、言われていた。

「あ、きた」

 彼女が言うと、教室の後ろのドアががらりと音を立てて開いた。

 私が振り返ると、先週の野球女子がそこにいた。

「あ、先週の」

 今しがた教室に入ってきた野球女子は私を指さして言った。

「え、なに、知り合い?」

 彼女が私と野球女子へと交互に視線を送り、目をぱちくりさせる。

「ううん。先週チケットを渡しに教室に行ったら、その子にもう渚は帰ったって言われただけ」

「そっか」

 彼女は野球女子からの言葉を聞くと、そんなに興味なさげにふうんと両手で頬杖をついていた。そんな彼女は「あっ」と声を上げると。

「この子が塁ね。セルティーのライブに一緒に行くもう一人の子。私の友達」


ーー友達。

 私には到底縁のない言葉に、途端に焦燥感を覚えた。

「よろしくね。眼鏡ちゃん」

 私に手のひらを見せて挨拶をしてくる"塁"という彼女の友達は、とにかく遠い存在に思えた。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

レンズ越しの君は遠い 平沢玲和 @reopon_bish

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ