033:何者であろうとも

 島を探索し、日が沈み始めた頃。

 俺は部屋へと戻り、社長へと連絡を繋いだ。

 仕事はあるのかと聞けば、暫くは休んでいろと言われて。

 社長は俺の為に色々と手を回してくれているようで、俺に動かれたくは無いようだった。

 少なくとも、敵の監視の目を完全に消してからの方が良いようで。

 それまでは俺はこの島で、バカンスでも楽しんでいれば良いようだった。


 何だか申し訳ないような気持ちがしたが、仕方ないことだと割り切る。

 敵は現実世界にも影響力のある組織で、社長の力は必要なのだ。

 他でも無い社長が今は静かにしていろと言うのであれば、それに従うほかない。

 俺はベッドに横になりながら、施設の中にあった図書室から幾つか借りてきた本を読んでいた。


 今読んでいるはこの世界の成り立ちについての本で。

 この世界には創造主とは違う神様が存在していて。

 その神様が人間たちを教え導き、文明を発展させていったと書かれていた。

 神様は人間が好きで、どんなに愚かな過ちをしようとも見守っていたと書かれている。

 しかし、神様は人間たちから裏切られ、心を傷つけられた神様はそれ以降、人間との関りを絶ったという。

 こうして、人間たちが暮らす世界と神様が暮らす世界が二つに別たれて、それぞれが不干渉の中で時が過ぎていった。


「神は人間と変わらない……神は全てを知っている……神は、間違いを犯さない……変な本だな」


 神が人間と変わらないのなら間違いだって犯すだろう。

 神が全てを知っているのなら裏切られる事も知っていた筈だ。

 神は何故、裏切られると分かっていて人間を導ていたのか。

 神はどうして、間違いを起こさない筈なのに人間を野放しにしたのか。

 何もかもが謎であり、ちぐはぐな記述の本は読んでいても頭が混乱するだけだ。


 俺はパタリと本を閉じて息を吐く。

 ここ最近は慌ただしく落ち着く時間が無かった。

 ふかふかのベッドに体を横たわらせれば眠気が襲ってくる。

 このまま寝ても良いと思った時にガラガラと扉が開けられて誰かが入ってきた。

 ノックもせずに入ってくる人物は一人しかいないだろうと思って視線を向ければ、案の定、バネッサ先生が立っていた。

 彼女はひらひらと片手を上げながら、俺を見つめて。

 話をしようと言いながら、俺にずいっとマグカップを渡してきた。


 白い湯気の上がるそれの中身はココアである。

 鼻を鳴らせば甘い香りが漂ってきて俺はいただきますと言って口を付けた。

 一口飲めばまろやかな口触りのココアが口の中に流れて。

 冷たくなった体を少しだけ温めてくれたような気がした。


 素直に美味しいと感想を伝えれば、彼女は「それは良かった」とだけ言う。

 簡素な椅子に腰かけながら、彼女は窓の外に目を向ける。

 そうして、外を歩いてきた感想を俺に聞いてきた。


「……綺麗でしたよ。現実とは比べ物にならないほど」

「そうだろう。だからちょっとばかしのリスクを承知の上で、此処に移り住む人間もいる。私は違うけどねぇ」


 バネッサ先生はにこにこと笑いながら他愛も無い会話をしてきて。

 俺はそれに笑顔で応対しながら、此処は平和だと思った。

 此処を離れて外の世界に行けば、今も前線で多くの兵士が戦っている。

 至る所で小競り合いが続いており、こうしている間にも人が死んでいるのだ。

 俺も叶う事なら戦いに行きたい。平和は素晴らしいが、俺にとっては物足りない。

 誰かに死んでほしいと願う事は無いけど、強者と戦いたいとは思っている。


「……戦いに行きたいんだろ?」

「え、何で分かったんですか」

「顔に書いてたからねぇ。消極的かと思えば……強さの秘訣はその闘争への意欲かな」

「……かもしれませんね。自分でも不思議なんです。どうしてこんなに戦いたいのか」

「自分で自分の考えが分からないか。それはまた深い悩みだねぇ。私は精神科医ではないから何とも言えないが……別にいいんじゃないかな。誰だってやりたいことがある。ただ君は、戦いたかっただけだ。それだけの話さ。悩むことなんてない。心のままに動けばいい」

「心の、ままに……」


 両手でマグカップを持ちながら、中身をジッと見つめる。

 そこに映る俺の顔は何とも言えない表情で。

 納得してもいいのか分からないものの、この答えはきっと合っている気がした。

 悩んでも仕方のない事で、心がそうしろと言っているのなら従えばいい。

 単純な話であり――俺は口角を上げた。


 

 その時、ふと脳裏に何かが過った。


 

 女性の顔が一瞬だけ映った。

 楽しそうに何かを口ずさんでいて――歌?


「……何を歌っていたんだ……いや、その歌を俺は知っている?」

「……どうかしたのかな? 歌とは何だい」

「あ、いえ……試験の日に襲ってきた無人機。そいつらを倒した時、俺は知らない筈の歌を口ずさんでいました。妙に心が落ち着いて、思考がクリアになったというか……兎に角、自由に戦えたんです」

「……歌を歌う……ふむ、それがトリガーとなって……」


 俺の話を聞いたバネッサ先生はぶつぶつと独り言を言い出した。

 俺は首を傾げながら、どうしたのかと見ていて――ニマリと彼女が笑う。


「そうだね。それは良い事を聞いた。もしも可能なら、その歌を歌ってくれ――あぁ今じゃなくてもいいよ。思い出した時に、聞かしてくれよ」

「あ、はい……思い出せるかな」


 極限まで追い込まれて自然と口から出た歌だ。

 もう一度歌ってみろと言われても難しく。

 俺はココアを飲みながら、どうしたものかと考えていた。

 そんな俺を優しい目で見てくるバネッサ先生はゆっくりと手を伸ばしてきて。

 そっと俺の頭を撫でてくれた。


「大丈夫。きっと思い出せるさ。きっとその歌は君にとって、特別な歌だと思うから」

「俺にとって、特別な、歌?」

「うん。君に力を与えたんだ。きっとそうだよ……思い出せると良いね」


 優しく微笑む彼女を見ていれば、彼女の顔と誰かの顔が重なった気がした。

 急に胸が苦しくなって、俺はキュッと唇を結ぶ。

 そうして何とも言えない表情で彼女を見ていれば、バネッサ先生は手を引っ込めてしまう。


「ごめんごめん。君は大人だから、こういうことは失礼だったね」

「い、いえ。ただ、何かを思い出しそうで……すみません」

「……ふむ。では私はそろそろ戻るよ。何かあったらそこのボタンを押してくれ。コップは適当な場所に置いてくれて構わないからね」


 バネッサ先生は少しだけ目を細める。

 そうしてニコやかな笑みを浮かべながら手をひらひらとさせて出ていった。

 一人になった部屋の中で、俺は空になったコップをテーブルの上に置く。

 ジッと自分の手の平を見ながら、俺は考えた。

 平凡な男に生まれ、平凡な人生を歩んできて――何故、自分を疑うんだ。


 俺は心のどこかで自分を疑っている。

 自分の手を見ている筈なのに、自分のモノではないような気がして。

 何度も手を開いたり閉じたりしながら、俺はゆっくりと目を閉じた。

 暗闇の中には誰もいない。静寂の中で呼吸する俺は――一体何者なのか。


「……俺は、俺だ……」


 当たり前の言葉が、正解に思えない。

 ちぐはぐな気持ちを抱えながら、俺はその日の夜を眠ることが出来なかった。

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