031:真実を知る時

 真っ白い部屋の中で立っていた。

 空の上のような場所で立っていて、辺りを見ても誰もいない。

 幻想的な風景の中で、鼻を鳴らせばほのかに花の香りがした。

 暖かな陽光に包まれているような安心感と共に、自分が何をしているのかを考えようとした。

 そんな時に目の前にパソコンが置かれている事に気が付いて、俺はそこに流れる映像を黙って見ていた。


 血で血を洗う闘争、人を騙し笑みを浮かべる悪漢、飢餓に襲われて兄を手に掛けた弟――映像は続く。


 やがて人々が手を取り合い仮初の平和が訪れる。

 少ない土地を守る為に作られたドーム状の施設。

 セクター1から始まり、セクター325まで作られた”生命維持庭園”の中で人々は暮らす。

 戦争が終わり人類保護機関が培養していた細胞から肉や野菜が作られて空腹も満たされていく市民たち。

 平和が訪れ空腹を満たし、次に市民たちが求めたのは娯楽であり、彼らは偉大な研究者たちが作った仮想世界へと旅立った。

 大勢の人間たちが仮初の世界を本物であると認識し、そこで永住する覚悟を持った人間も生まれて。

 現実は庭園から一歩でも出れば死の灰に塗れた地獄と呼び、仮想世界を自然に溢れた天国だと呼んだ――映像が切り替わる。


 冴えない顔の男が出てきた。

 その人間は鏡で目にする己の顔で。

 毎日毎日、汗水たらして汚い工場で働いていた。

 同僚から給料をたかられ、社長からはくどくどと嫌味を言われて。

 それでも男はずっとずっと働き続けた。

 出会いも無い、幸せも無い、何もない人生――妙な違和感を抱いた。


 自分を見ているのに、全くと言っていいほど感傷に浸れない。

 人の痛みが分からない子供のように、自分の苦痛を理解できていなかった。

 何故、俺はこんなにも辛そうなのか。

 何故、俺はこんなにもへらへらと笑っていられるのか。

 何故、何故、何故、何故――映像が止まった。


 一時停止でもしたように映像は止まる。

 ゆっくりと画面にノイズが走っていき、ブツリと電源が落ちてしまった。

 真っ黒な画面には俺が映っている。

 しかし、暗くてよく見えない。もっと近づいて見ようとして――手を掴まれた。


 誰もいなかった空間に誰かが立っている。

 ゆっくりと振り返れば、そこには小さな体の少女が立っていた。

 雪のように白い肌に、穢れの無い純白の髪。

 目鼻立ちが恐ろしく整った十代半ばと思える年の頃の少女が、その金色の目で俺を見ていた。


「――」

「……?」

 

 少女が何かを口にした。

 しかし、声が全く聞こえない。

 無音になった空間には音という概念が綺麗さっぱり消えているようで。

 俺は少女をジッと見つめてから、チラリと後ろの画面を見た。

 深淵のように暗く何も映さないであろうそこには俺が立っている。

 

 アレを見なければいけない気がした。

 目を背けてはいけない気がした。

 だから俺はゆっくりと少女の手を解いて、画面へと近づいて行った。


「――!!」


 後ろで少女が何かを叫んでいる気配がした。

 しかし、もう彼女へと意識を向ける余裕はない。

 御馳走を目の前にぶらさげられた餓死寸前の人間のように吸い寄せられて。

 俺はゆっくりと画面の前に立ってから、闇へと顔を近づける――あぁ、そうか。


 

 少女が止めた理由が分かった。

 

 

 少女が必死になって叫んでいた理由が分かった。

 

 

 画面に映っていたのは誰でもない。

 

 

 俺でも無ければ少女でもないのだ。



 

 そこにいたのは――顔が黒く塗りつぶされた人間だった。




 |||




 意識がゆっくりと浮上していく。

 目を瞬かせながらのそりと起き上がって、辺りに目を向けた。

 すると、今自分がいるのは何処かの施設のベッドの上のようで。

 清潔な洗剤の匂いのするシーツを剥がしてから、俺は床に足を付けた。

 ひたひたと裸足で歩きながら、ゆっくりと窓に近づく。

 すると、窓の外に広がる光景は見渡す限りの青で――此処は海岸だろうか?


 思い出せるのは、昇級試験の時にゴースト・ラインの無人機たちに襲われたことで。

 死にかけていた俺は何とか戦ったけど……俺は死んだのか?


 死んだ感覚はしていない。

 生きた心地もしなかったけど、取りあえずは死んでいないだろう。

 となると、俺は戦いに勝ったという事か。

 あの状態で勝てるなんてことがあるものなのか……分かんねぇな。


 ぼりぼりと頭を掻きながら首を傾げる。

 すると、部屋に繋がる扉ががらがらと開かれた音がした。

 ゆっくりと振り返れば、白衣を身にまとったグラマラスな体つきの女性が立っていた。

 湯気の昇る白いマグカップを持ちながら、ぼさぼさであろう腰まで伸ばした紫色の髪を後ろで結んでいて。

 青いセーターを着た彼女は、伊達眼鏡をくいっと上げながら猫のように笑った。


「やぁやぁ、起きたみたいだねぇ。調子はどうだい? イカズチ君」

「……貴方は何方様でしょうか?」

「お? もっと慌てふためいて私を襲うとばかり思ったが……ふむ、君は噂よりももっと消極的な性格なのかな。なるほどなるほど……あぁすまないね。えっと、私についてだが。私は、ピース・メイカーに雇われている医療スタッフであり、此処の管理を任されているバネッサというものだ。一応、元現世人だが、訳あってこの世界に移住した人間だ。だから、現世に戻る体は無い。因みに君の名誉の為に言うが、誓って君の体に悪さはしていないよ……本当だからね?」

「……いや、別にそこは気にしていませんけど……ピース・メイカー? てことは、社長が俺を此処に?」

「そうそう。昇級試験で思わぬアクシデントがあってね。特例ではあるけど、君のSランクへの昇級が認められて、今、傭兵統括センターは内部調査で忙しいらしいよぉ。社長は君の身の安全を第一に考えて、今まで住んでいた所からこの場所まで極秘で移送してきたんだからねぇ。今はまだ、君のバディーにも居場所は教えていないから。あ、呼んだりするのはもう少し待ってね。それと、これからは移動の時はなるべきファストトラベルはしないように。説明しなくても分かると思うけど、敵に居場所が知られない為だよ……そして、これを君にぃ」


 バネッサさんから説明されて、俺は彼女からある物を受け取った。

 一つはこの世界で使える国際パスポートであり、開いてみれば偽名が使われていた……誰だよジョン・マーマレイドって。

 もう一つは傭兵統括センターから発行された公式ライセンスで。

 そこにはSランクの証としてセンターからの特別な刻印が印字されていた。

 真っ黒いカードに金の刻印……良いね。


 ライセンスは気に入って、パスポートも諸々の事情で受け入れた。

 俺は確認の意味も込めて、彼女に俺はどれくらいまで眠っていたか尋ねた。

 すると、彼女は腕に巻いた時計をチェックして――


「大体、半日ってところかなぁ。まだそんなに経っていないからね」

「……そうか。良かった……ゴウリキマルさんたちは無事なんですか?」

「大丈夫だと思うよぉ。身辺警護人にBランク以上の傭兵を数名つけているって言ってたから……今は、君の為に色々と頑張っている頃だと思うよぉ」

「頑張っているって、何をですか?」

「ふふふ、それは後のお楽しみってことで……良かったら外でも歩いてきなよ。此処は会社の人間しか立ち寄れないプライベートリゾートだから。所謂、バカンスの為に存在する島だよ。どう? 楽しみでしょ」

「え、あぁ、まぁ……じゃお言葉に甘えてちょっと歩いてきます」

「うんうん、行ってらっしゃ……あぁ、忘れてた。君が起きたら確認することがあったんだった」


 バネッサさんはマグカップをデスク置いてから俺を見る。

 真剣な顔を作ってから彼女は俺に一つの質問をした。

 それは体に不調は無いか、何かを思い出したことは無いかというもので。

 俺は逆に彼女に思い出す事とは何かと質問してしまう。


「……うーん。そうだよねぇ難しい質問だ……要するに、君の強さの秘訣を知れる手がかりはないかと思ってさ。ほら、君傭兵になって日が浅いのにめちゃくちゃ戦い慣れしてるし、妙に人間離れした感性もしていて……社長が興味本位に君について調べたけど、その内容がザ・平凡の一言で終わるものでさぁ……あぁごめん。君を傷つける意図はないんだよ。ただ純粋に、一医療スタッフとして、君の違和感に疑問を持っただけなんだよ……どうかな? 質問に答えられそう?」


 彼女の質問の意図を理解して、俺は頷いた。

 確かに傭兵としての日は浅い。

 戦い方についても動画で学んだり、配信者の方の真似をしたり。

 出来ると思ってやったら出来ただけで、特にこれといって特別な事はしていない。

 殺し屋として活動していたぁとか実はスーパーヒーローでしたぁとか。

 そんな裏のエピソードだって俺は持ち合わせていないかった。

 ただ平凡に生まれて平凡に生きて、平凡に働いて平凡に――そうだったかな?


 自分で考えて妙だと思った。

 小さな疑問だったからそこまで深くは考えないけど……そういえば夢を見ていたような。


 寝ていた時に見ていた夢の内容が思い出せない。

 何かしっくりくるような内容だったはずなのに、今では欠片も記憶にないのだ。

 俺はボケっと虚空を見ながら考えて――手を振るバネッサさんに目を向けた。


「特にこれといって無いですね。俺は普通ですから。何となくでやったら出来ただけです」

「……ふむ、生まれながらの天才肌かな? まぁ今はそういう事にしておこうか……それじゃ改めて気を付けていってらっしゃい」

「はい、行ってきます」


 俺は笑顔で彼女に頭を下げる。

 そうして、近くに置かれていたサンダルを履いて部屋から出た。

 疑問を抱かなくてもいい考えなくてもいい――別に不思議な事は無いから。

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