🌕

 「きょうは満月ですよ」


 夜になると青年は、月を模した地下温室の灯りを設定する。


 ここのところ毎晩のように空襲警報が鳴るものだからいっそ地下倉庫に寝泊まりするようにしていたのだ。


 半分にわけてそこに避難させたアカツガザクラの温室を、青年はいたく気に入っていた。


 毎日、日の出日の入りに合わせてライトのタイマーを設定し、月齢に合わせて月明かりを調整する。


 一定の法則に従って規則正しくうごくものを彼は気に入っていた。


 逆に、気まぐれなものや二面性のあるものは青年を混乱させる。

 一か百じゃない、などとひとはゆうけれど、灰色なんか理解できない。


 「美しい! 宇宙のすべてはなんだってシンプルで完璧な数式です!」

 数式に従う世界、法則から外れない世界。それから外されるものを彼は理解できないのだ。


 『宇宙がそうやって動いているのだから、宇宙に住むものだってとうぜん、そうだろう?』


 大人の顔をして灰色の見解を押しつけてくるニンゲンに、博士はいつもそういってやりたかった。


 こんなにもよく笑いよくしゃべり宇宙を支配する法則に忠実な彼が、どうしたって家族に見捨てられ教会に追いだされて畑違いの研究室で助手の仕事などしなければならないのか。


 はじめこそ青年の奔放さと多動多弁に戸惑っていた博士だったが、いまはむしろそう、声高に叫んでやりたかった。


 いま、頭を埋めた猛禽類のよう、微動だにせずなにがしか呟きながら数式を睨む彼がほんとうの彼だと。

 宇宙の片隅の小さな惑星のこれまた片隅の大学の地下室で、外から見た宇宙のかたちに、そんな壮大な難問に挑む彼の姿が。


 「キミ、夜桜を見たことがあるかね」

 「……、」


 夜。

 博士の声は彼に届かない。


 「きょうみたいな満月の夜はそれは美しくて、」

 「……、」


 空襲警報も、時を刻む時計の音も、サーモの振動音も、


 「ぜひキミにも見せてやりたいな」

 「……、」


 「けどほら、いまは夜間外出禁止だろう? だから、」


 だから、ことしは、


 「来年は夜桜を見よう」


 来年にはこの戦争も終わっているだろう?


 「キミもはやくねなさい」


 届かない おやすみ をすると、博士は寝袋に身を沈めた。

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