🌸

 博士は桜が好きだった。

 (博士はどの花も愛していた。もちろん最愛はツガザクラだけれど)


 夏の眩しい緑も、秋の紅葉も、冬の…落葉してゆく少し寂しいさまも。


 とりわけ春雨の降るころ、花開くすぐまえがお気に入りだ。

 花はまだだとゆうのにほんのりまわりの空気をさくら色に染める。御伽の国みたいだ。


 「やぁ、ことしもいい花だ」


 それだからいざ花がひらくと毎年、博士は大学生協まえの一本桜の木のしたを陣取り毎日のようにひとり、花見をするのだった。


 「花はいい。ニンゲンの営みなんて関わりなく忠実に季節をめぐる」


 ミサイルで町役場がふっとんで二十三人亡くなっても、

 戦車がのり込んできて原発を占拠しても、

 銃撃戦で東の街が廃墟になっても、

 学生たちが戦地に駆りだされ大学が閑散としても、


 ニンゲン社会のすべてが均衡をなくしても。


 花たちだけはただ緩やかに日々を巡る。季節に忠実に。


 「ニンゲンだけだ、ドンパチしてないと気がすまないのは」

 いつだかぼやくと、

 「それは仕方ない」

 感染症ラボの博士が目を丸くして腕を広げていた。

 「ニンゲンは分をこえたよ、増えすぎた、医療やら福祉やら」

 およそ医学博士がゆうことじゃないけれど、

 「生き物ってのは増えればそのあと衰退期に入る。いまはそれだよ」


 その、生物集団推移グラフに従えば一度、ニンゲンはひとりふたりを残していなくなることになる。


 「それもいいか」


 と、博士は思う。


 そうしてそのあと、緩やかに流れる季節の営みのなかにただ、さくらだけが揺れるのも悪くない。そんな世界も、悪くない。


 満開のさくらをみあげて博士はゆっくり目を細めてひとり、頷いた。

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