22 内情視察

 どうやら降旗は、扇風機コーナーを物色し終えて暇なようだった。

 さほど興味もないだろうに、俺のそばにあった商品棚に手を出してみては元に戻したりしている。


「それにしてもさー、音森さんと仲良さそうだったじゃん?」

「え?」


「いやぁ、本当今日は困ってたんだ。いきなり萌絵が『日曜ヒマでしょ? どこか遊び行こうよー!』とかって連絡入れてきたんだけど、よく話聞いてみるともう一人女子がいるとかっていうからさー」


 降旗は少しだけ悪びれて、今回の事の流れを話してくれた。

 本当はもっと早く説明したかったのかもしれない。だが乗り換えで鉢合わせた時点で、すでに女子がそばにいたから話すに話せなかったのだろうか。


「もう一人の女子って、音森か」


「そうそう。俺さー、萌絵と二人で出掛けるのは抵抗無いんだよ。でもさすがにもう一人別の女子がいるってなると話変わってくるだろ? その女子も、気心知れた奴ならいいんだけどさ。音森さんとは今日初めて会話したし」


「え、そうなのか? 家が降旗ん家と近かったって聞いたから、てっきり幼馴染とかそういう事なのかと思ったんだけど?」


「……ああ。それなー。別に近いのは今日知った事だし、向こう三軒両隣ってほどじゃない。クラスが隣だって事も今日知ったしなぁ」


「へぇ、そうだったんだな。で、見知らぬ女子が一人追加されると聞いて、助け舟に俺を呼んだと……」


「そういう事っ。いいだろ~? 月村はバイトとかもやってないんだし。それで、月村的に音森さん、どう思うんだよ?」


「どうって、何についてのどう?」


「バッカ、恋愛的な意味でだよ! 音森さんて、スタイルも良いし顔も綺麗系だし、大人っぽい魅力満載って感じじゃね? 同い年か疑わしいレベルで。まぁちょっと胸は控えめっぽいけど、それを差し引いても良い感じだろ?」


「ああ、そうだな。確かに大人っぽいよな。ていうか泣きぼくろが良い」


「ふふっ。あのさー、前から思ってたけど月村ってフェチっ気あるもの好きだよな。泣きぼくろもそうだけど、ポニテで見えてるうなじとか、そういう所も見てそう。ははは!」


 鋭っ。気付いてたのかよ。洞察力半端ないな降旗。


「い、いや別にそんな事ないけどな⁉」

 俺は一応否定しておく事にした。ここはあくまで泣きぼくろオンリーで貫こう。


 俺の性的嗜好をどことなく掴みかけている降旗だったが、助け舟に俺を呼んだのはミステイクだったんじゃないか?


「またまた~。冗談だろ? 隙間産業大好きって顔して~」

「ふっ、それどんな顔だよ一体」


 降旗が俺に肘をうりうりと当ててきていたので、それを手刀でやめさせる。

 もう何度目の手刀かわからないなと思っていると、


「ねぇ、そろそろセカ本行かない?」

 ぴょんっと後ろから立ち現れた萌絵に声をかけられた。


「ああ、そうだな」

「じゃ、あたし惹世呼んでくるっ!」


 マッサージチェアに滋養強壮の効果なんて無いはずだが、萌絵は一段と元気よく音森のいるコーナーへ駆け足で向かっていった。

 その後、俺達四人は家電量販店から徒歩五分圏内にあるセカンドブックへと移動した。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「こっちも涼しいねぇ~」

「っふぁ~、また生き返った~」

 一体何度生き返るのかわからないが、俺と音森の前を行くダブル降旗はやはりここでも生の喜びを実感していた。


 セカンドブックはなかなかの盛況具合で、立ち読み客があちらこちらにいた。

 家族連れらしき客も見受けられるが、さすがに絵本を床に広げて眺めている子供には躾が必要なんじゃないか? もしくは店員が注意してやるべきじゃないのか?


 そう思っていたのだが、働き蜂のようにせっせと業務に勤しむ店員に、そんな余裕は微塵も無いようだった。


 俺もここで働くのかな、と夏休み中の自分の姿を想像していると、そばにいた茶髪お団子ヘアの若い女性店員に声を掛けられた。


「いらっしゃいま、あ、お疲れ様~!」


 え? お疲れ様……?

 俺は一瞬、この店員の挨拶に違和感を覚えたが、それはその後すぐに解消された。


「お疲れ様ですー」

「え、音森?」


 声を掛けてきた店員に向かって、音森が「お疲れ様」を言い返していた。


「音森さん、お疲れ様って?」

「あ、まだ言ってなかったけど惹世ね、ここでバイトしてんだよねぇ~」

 萌絵にそう説明されて、俺と降旗は音森の方を見た。


「そういえば言ってなかったね。ちょっとシフトの確認もしたかったから、ちょうど寄りたかったんだ私」


 音森がセカ本でアルバイト⁉

 まさかの事実に俺は度肝を抜かれた。まぁ音森が三條に住んでいるのなら、きっとここのお店から自宅までそれほど距離はないのだろうけれど。

 それにしてもこんな偶然あるのか⁉


「どうしたんだ? 月村。そんなに口開けてると、ホコリ入るぞ?」

「月村? 何、そんなに私がここで働いてるのが意外だったの……?」


 降旗の声に反応した音森が、俺の顔を覗き込むようにして質問してくる。

「ああ、ちょっとな」

 いや、意外っていうか、意表を突かれたというか……。


「あたしちょっと少女漫画のほう行ってくるー!」

「いってらー」

 萌絵は俺達にそう告げて、また一人離れていった。自由奔放を絵にかいたような立ち回りだった。


「音森、いつからここで働いてるんだ?」

「高一からだけど?」


 もう一年間も働いてるんだな。俺自身めったにこの辺りに来ないし、知らなかったのも当然といえば当然だけど。


 今日か明日、伊十峯に配信レクチャーの件を連絡する時にでも、この偶然の出来事を話しておこうか……。とりあえず、今この場で俺と伊十峯がバイトしたいと考えている事は伏せておく事にした。


 俺がそんな風に思案していると、


「じゃあ、俺は少年漫画の方かなぁ~」

 降旗も萌絵にならい、単独行動に出るようだった。


「ははっ、団体行動の出来ない奴らだなぁ」

「単独行動、月村は嫌いなんだ?」


 特に誰に言うでもなく自虐の意味も含めてつぶやいた俺のセリフに、音森が応える。


「いや、むしろ好き」

「ふふっ、じゃあ今なんで言ったの?」


「なんとなく。そういう行動を取られる側って、こういう気持ちなんだろうなって思って」

「月村も単独行動が好きなら、「そういう気持ち」にはならないんじゃない?」

「……」


 音森の言葉に俺が無反応でいると「じゃあ、私は休憩室でシフトチェックしてくるから」と言い残して、店内の向こうへ歩いていってしまった。


 黒のミニワンピース姿なので、しばらくは視界の中で目立っていた。

 だが棚の角をくいっと曲がってしまい、あえなく視界からは消え去ってしまった。


 そこから俺は一人でぶらついていたわけだけれど、家電量販店で何かを物色していた時くらい興味のそそられるなにがしかは無かった。


 一般小説のコーナーで、背表紙をなんとなく眺めながらだらだら歩いていると、横から肩をトントンと叩かれた。はっと顔を向けると音森惹世がそこにいた。


「音森……」

「うん、私っ」

「どうかした?」

「あのさ、月村はさっき理由聞かなかったよね。ASMR、なんで始めるのかって」

「ああ、そうだな」


 唐突に、さっきの電気屋で話していた内容を持ち出される。


「気にならない?」

「気になるけど。…………言いたくなかったら悪いだろ?」

 俺の言葉に、音森はしばらく何も返してこなかった。


 俺が言ったそのセリフは本心だ。興味がないわけじゃない。話してくれるなら聞いてみたいと思っている。


 どんな理由で、ASMR配信を始めようと思っているのか。

 けれど、それはあまりにもプライベートな理由な気がして。

 伊十峯に聞いた時だって、彼女は言い出しづらそうにしていた。あの時は俺が無遠慮に聞いた。それだけに悪い事をしたなと思っている。


 だから音森に対してだって同じだ。


 俺みたいな初対面の人間が、その理由を知ってしまう事は許されないような気がしたから。だから質問しなかった。それは、ほとんど無意識にそう判断していた。


 もし音森が自分で話してくれるなら。それなら知ってしまっていいんだと思う。


「いいよ? 配信してみたいって気持ちは、もう月村に教えちゃったわけだからさ」

 そう言って後れ毛を耳にかける音森の仕草は、やっぱりどこか高校生にしては大人びていた。


「じゃあ……どうして?」

 沈黙を破った音森の発言の語尾を掴むようにして、俺は質問をしていた。


「うん。……私、弟がいるんだけどさ、その弟、今一緒に暮らしてないんだよね」

「そうなのか? 中学一年って言ってたっけ」


「うん。実は両親が離婚してて、父親の方についていったから」

「そ、そっか」


 さらりと話すけれど、内心ではきっと寂しいんだろうと思った。それが証拠に、音森の表情は、声のトーンに比べて気持ち沈んでいるようだった。


「私、弟とかなり仲良かったと思うんだよね。自分で言っちゃうとおかしいのかもしれないけど。だって私が小学校六年の時、小二だよ? 可愛くないわけない。あはは!」

 音森はまた、芯の入っていないような、乾いた笑い声をあげていた。


「それでも親とかお金とか、そういう都合で子供は引き離されたりするんだよ。いくら姉弟の仲が良くったって」

「それで、なんでASMR……?」


「うん。最初は、本当にたまたま、動画サイトで『疲れを癒やす音』みたいなタイトルの動画があって、それを開いた事がきっかけだったんだ。その時は私、ちょっと嫌な事があって疲れていたから……。そしたらその関連動画で、視聴者を甘えさせてあげるような主旨のASMR動画が出てきたんだよ。うわ、何これって最初は思ってたんだけど……。怖い物見たさでそれを聞いてみたら、見事に甘やかされたんだよね。私」


 ふふっ、とほくそ笑みながら、音森は事の経緯をつまびらかに説明した。


 おそらく買う気はないのだろうけど、音森はおもむろに書棚から本を抜き取った。

 白いハードカバーに、赤い斑点が大小散らされているという装丁で、一見するとそこそこのインパクトがあった。


 初めはその斑点が血液かとも思ったけれど、よく見てみると無数の赤い風船が飛ばされているイラストだった。古本屋だし、立ち読みし放題だから誰かの鼻血でもついたんじゃないかと思ったが違った。


 風船の周囲には無数の手紙と、女性が一人だけ描かれている。

 その表紙の女性の佇まいが、どことなく音森に似ているような気がした。


「その動画のせいだと思うんだよね。すごく楽しそうに配信してたから……。だから私も誰かを甘やかしてみたいって思ったっていうか……」


 そう言いながら、手にしていた書籍の裏表紙を見る音森。

 ハードカバーの裏面にはあらすじも何も書かれていなかったようで、音森は無言で本を書棚に刺し直すだけだった。


「なるほどなー。誰かを甘やかしたい、か……」

 事情を聞いていて思う。


 会えなくなった弟に代わって、誰かを甘やかしたいって事なのかもしれない。


 ASMR配信の逸材か! いや真面目に!

 というか、初対面でもがっつり事情話してくれるんだ。俺のどこにそんな信用があったのかは、俺が一番知りたいところである。


 どんなASMR配信をしてくれるのか、とても期待感の高い音森だったけれど、問題は伊十峯だよな……。

 果たして教える事を了承するんだろうか。そこだけが懸念材料だ。


「たぶんその願望はASMR配信で叶うよ。疑似的だけどな」

「ふふっ。そうだといいけど」


 ミステリアスな笑みを浮かべる音森は、それでもどこかやはり寂しげだった。

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