19 降旗友一の罠

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



『月村君? ごめんなさい、通話切れちゃってたね!』

『そ、そうだね……』


 ビデオ通話を切って十分後。伊十峯から改めて通話がかかってきた。

 今度はビデオ通話じゃない、音声のみの普通の通話だった。


 俺はいけない物を見てしまった罪悪感と後悔に押しつぶされそうになっていた。

 うう……ごめんな伊十峯。見たくて見たわけじゃ……いやそれはそれで嘘だけど。


 伊十峯は俺が色々見た事に気が付いていなかった。

 俺が一方的に覗き見る形になっただけで、自白しない限り俺は無罪のままだった。

 それにしても、伊十峯のあれ、大きかったなぁ……。

 ダメだ! もうそんな煩悩は一度捨て去ろう! 仏になれ!


『――そういえば、なんかメロディ鳴ってなかった?』

 気持ちを切り替えて、あの通話の最後に聞こえていたメロディの正体を探る事にした。


『え? あ、あれは目覚ましだよ!』

『目覚まし?』


『うん。配信してた時に使ってたの。……卓上の小さくて可愛い目覚まし時計! けどあの音、聞こえちゃってたんだね。……もう配信してないから本当は止めておけばよかったんだけど、ついうっかりそのままにしちゃってて……えへへっ』


 なるほど。配信の開始時刻か何かに設定していたんだろう。

 それが偶然鳴ってくれたようだった。


『それでね、アルバイトの件なんだけど……』

『ああ、そうだな。どうしようか?』


 そうだよな。元々はアルバイトの件で相談したかったんだ。通話の方が都合が良いと思って。それが、まさかあんなアクシデントに見舞われるとはな。神に感謝しとこう。


『実はお姉ちゃんの友達が、三條の古本屋で働いてるの。だからそこがいいかもって思うんだけど……月村君、どう?』


 三條市は、鴨市に隣接する町だ。

 鴨市よりも商業施設などが充実していて人口もずっと多いし、新幹線や高速道路も整備されている。この辺では一番発展している地域だと言える。


『三條の古本屋って、セカンドブック?』

『そう! セカンドブック! あそこが今求人出してるかはわからないんだけど、お姉ちゃんに聞いてみてもらおうかなって思ってるの。月村君は、古本屋でアルバイトしても大丈夫?』


 セカンドブックは、全国展開されている古本屋チェーンのお店だ。

 巷ではセカ本の愛称で呼ばれたりもしている。


 読書家な伊十峯らしいチョイスだと思った。加えて小春さんの友人がいてくれるなら、伊十峯も多少安心かもしれない。その人がどんな人物かは知らないが……。


『俺は全然かまわないよ?』

『わかった! じゃあセカ本で決まりね。ふふんっ♪』


 伊十峯はとても嬉しそうな声をあげた。

 電話越しに、伊十峯のご機嫌な姿が目に浮かぶ。そんな喜ぶ伊十峯の下着姿を、俺はさっき覗いてしまったんだよな……。でももし下着まで飲み物で汚れていたら、それこそあの続きはもっと過激な事に……。


 いや何妄想してんだ俺は。それにあれは事故だ、事故!

 脳裏に焼き付いてしまった伊十峯の下着姿を、俺は必死に振り払う。


『伊十峯、俺一学期が終わったら電話してみるよ。アルバイトを募集していればだけど』

『うん。私もそうするね。それじゃあまた明日! 月村君』

『ああ、じゃあな』

 そこで通話は終わるのかと思っていたんだが、


『あ、あの……』

『ん?』


 伊十峯は、まだ何か言い残した事があるようだった。

 言い出すまで俺はじっくりと待っていた。


『おやすみ……なさいっ』

『……ああ、おやすみ。伊十峯』


 直接伊十峯の姿を見たわけじゃない。けれど、その「おやすみ」を口にしている時の伊十峯は、絶対恥ずかしがっているんだろうなと想像できた。


 伊十峯の恥じらう顔は、俺の脳裏に一番色濃く焼き付いてる伊十峯の顔かもしれない。

 その会話を最後に、俺達の通話は終わった。

 ただ、その後の就寝時、俺はやはり上手く寝付けなかった。


 あれだけの出来事があったし、無理もなかった。

 伊十峯の扇情的なあの身体のせいももちろんあるだろうけど、罪悪感もその分たくさんあった。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 その週の日曜日、俺にしては珍しく予定が入っていた。


「なぁ、月村~。今週ちょっと俺に付き合ってくれないか?」と教室で降旗に誘われていた事がきっかけだった。


 取り立てて用事のなかった俺は、降旗の行き先が三條市である事を知って誘いに乗ることにした。

 セカ本の下見も兼ねていければ、程度の気持ちだった。

 その「ついで」がなければ、きっと断っていたと思う。


 日曜の午前十時。天候はカンカン照りで、空はほぼ快晴。

 遠い西の空に薄雲が広がっているくらいで、あとは一面の青空だった。


 外に出てみると、蝉の鳴き声にいよいよ本腰が入ってきていた。

 この町をリサイタルの会場に選んだらしい。本当にうるさくて耳がいかれる!


 家から最も近い鴨駅の西口から、駅の中に入る。

 西口は東口に比べ寂れていて、ここは基本的に無人駅だった。


 鴨駅から各駅停車に乗り、数駅先で乗り換えて目的地の燕三條駅まで向かう予定だった。

 一応、途中で降旗が乗ってくるという事だけれど、もしかしたら先に向かっているかもしれないという話だった。


「――ご乗車のお客様は、危険ですので黄色い線の内側でお待ちください――」


 ほどなくして、目的の電車が駅のホームに滑り込んでくる。

 グレープフルーツみたいな黄色とピンクの色合いのダブルラインが描かれた車両に乗り込み、一人でドア付近の座席に座った。


 車内には、両手で数えられる程度の人数しかいなくて、日曜にしてはガラガラだった。

 まぁ、この暑さで外に出ようなんて方が物好きだよな……。


 車内は冷房がかなり効いていた。だが、それでも車窓から差す日差しはえげつなく肌を熱してくる。


 それが証拠に、数少ない乗客の中でも取り分け年齢の若そうな女子が、日焼け止めクリームをポーチから取り出している。あんまり見ちゃ悪いけど、斜め向かいの席に座っていた彼女は、熱心に腕や肩にクリームを塗り込んでいた。


 電車に揺られる事数分、乗り換える駅に到着した。

 乗り換えをするため、番線を移動していた、その時だった。


「よっ! 月村~」

「おわ!」


 ホームを歩いていたタイミングで、後ろから誰かに肩を叩かれる。

 振り返ると、いつも通りの降旗がそこにいた。


「なんだ、降旗かよー」

 そういえば私服姿の降旗を久しぶりに見た気がした。


 降旗友一。相変わらずの中肉中背に、夏らしい明るい緑色の半袖シャツを羽織った服装だった。

 今更だけど、降旗は俺よりも顔が整っている方だと思う。

 恋愛には積極的な性格だが、未だに誰とも付き合えていないらしい。


 降旗は割と良い奴だし、一緒に話していて俺は楽しい。だから、そのうち彼女だってできるだろうと思っていた。


 ただ、まさかこんな早く降旗の隣に「女子がいる」のを見る事になるとは、思ってもみなかった。


「え⁉ ふ、降旗? そっちの女子二人って……?」

 降旗は、見知らぬ女子を二人連れてきていた。


「ああ、紹介するよ。こっちの小っちゃいのは俺の従妹の降旗萌絵ふりはたもえ

「ちょ、ちょっとひどくない⁉ 何が小っちゃいのだ!」


 まず片方の女子を紹介されたが、すでに降旗の言い方にぷんぷん怒っていた。


 従妹の萌絵は、俺達よりも身長が頭一つ分くらい低い小柄な女子で、黒髪のボブカットだ。

 運動部のようなさっぱりとした爽やかな印象がありつつも、可愛げのある顔立ち。淡い青の半袖ワイシャツと、動きやすそうなデニムのショートパンツ姿がとてもよく似合っていた。


 というか降旗にこんな可愛い従妹いたのか⁉ そこそこ幼く見えるけど、いくつ離れてるんだ? 中学生……?


「で、そっちが萌絵の友達」

「――音森惹世おともりひかせです。よろしく」


 そう降旗に紹介され、その女の子はぺこりと頭を下げた。


 降旗の従妹よりも少し背が高い。切れ長の瞳とそこへ添えられたような涙ぼくろ。それからセミロングの茶髪を後ろに束ねたポニーテールにまず目が行く。半袖の黒いミニワンピース姿は、その下に伸びる足をコントラストでより白く強調しているようだった。


「え⁉ と、友達……? 萌絵ちゃんはたぶん中学生くらいだよね⁉」

 俺は思わず、彼女達を指差して何度も往復させてしまった。

 降旗の従妹と音森は、いくつか年齢が離れているように見えたからだ。


「むぅー、友達だよっ! あんた、友一とタメ語だったって事はあたしらとも同い年なんでしょー? 失礼だなあ! あたしだって十七なのに!」


「いいでしょ、萌絵。もうこのやり取り何回目なの?」


「じゅ、十七だって⁉」

 俺は思わずそう口に出してしまった。


「惹世は上に見られてるからむしろ良いじゃんっ! あたしは下なのよ⁉ 年下! もういい加減我慢できない! う~う~!」

 俺の驚きなどよそに、二人は慣れた様子でそんな会話していた。


 どうやら俺以外にも、色んな場面で誰かからこの二人は誤解されるらしい。

 でもまぁそりゃそうだろうと思った。降旗に紹介されたところで、依然として年の差コンビにしか見えないしな。親戚同士とか、部活動の先輩後輩とか……。

 服装の印象も手伝って、なんというか「取り合わせを間違えた二人」という感じだった。


「お、おい。それにしても降旗! どういう事だよ⁉」

 俺は彼女達に背を抜け、降旗にこっそりと耳打ちした。


「あっはははは~……ごめん、月村! いきなり予定変わったんだっ」

 小声で謝りだす降旗。


「はぁ? 予定変わったって……どういう事だよ!」

「ふふっ、嘘だ、嘘。予定変わったっていうか、初めからこの予定だった……」


「はぁ⁉ 聞いてないんだけど⁉」

 俺が大きい声でそう反応すると、すぐ近くにいた彼女達の視線がこちらへ向く。


「ちょっとー?何二人でコソコソ話してるの~?」

「で、そっちの人は誰? 名前教えてよ」

 不意に音森に名前を尋ねられる。


「えっ……いや、その」

「まぁさ、三人とも! と、とりあえず乗り換えないといけないから行こう! これ逃すと、あと三十分も待たないといけなくなるし!」


 降旗に促され、俺達は目的地に向かうための電車へと乗り込むことにした。

 番線を変え、二両編成の列車に乗り込む。


「四人掛けのボックス席に座ろう」とか言い出した降旗に、あとの女子二人も異論はないようで、俺達はボックス席に腰を下ろした。


 こっちの車内は、俺が一人で乗ってきた時よりもさらに過疎っていて、俺達以外誰も乗っていないようだった。

 俺と降旗、萌絵と音森で並んで座り、男女で向かい合う配置になった。


「で? 友一の友達? 誰なのよ、あんたは」

 俺の斜め向かいに座っている萌絵が、俺に視線をぶつけて問いかける。


「俺は月村つむぎ。降旗の同級生だよ」

「ふーんっ。……まぁ、どうでもいいんだけどね~」

「はぁ⁉ どうでもいいって、聞いてきたのはそっちだろ!」

「呼ぶ時困るから聞いただけだしー」

「くっ……」


 いきなり失礼な奴だなと思った。

 萌絵が生意気そうな態度でしゃべっていると、降旗が今回の事情を話し始めた。


「萌絵! お前が誰か呼んでほしいっていうから呼んだんじゃん。それなのにそんな態度はないだろ? あ、月村。今日な、ちょっと俺の友達誰か一人呼んで、四人で出かけようって話になったんだよ」


 そうだろうなとは思ってたよ。この状況見て。

 というか降旗、従妹と仲良いんだな。意外でした。


「ああ。でもそれならそうと最初に言ってくれよ! こんな騙さなくったっていいだろ……」


「えー? けど月村、女子がいるって知ってたら来なかっただろ? いつも学校でも興味無さそうだし」


 うっ、鋭い。さすが俺の唯一の友人。俺の性格を熟知している。


「……本当は来たくなかったの?」

 俺の目の前に座っていた音森が尋ねてくる。


 音森は、萌絵よりもさらに整った顔立ちをしていた。泣きぼくろも相まって大人びた色気が全体から醸し出されているようで。


「……」

「もしかして男が好き……?」

「いや違う違うっ。そういう事じゃないから!」

「じゃあどういう事……?」


 音森にじっと瞳を覗き込まれる。

 なんでそんなじろじろ見るんだよ。詳しく話せ、みたいな圧も感じるし。

 音森の瞳は、俺のすべてを見透かして探ろうとするかのような瞳だった。


「単にめんどうってだけだよ」

「へぇー……」

 興味のなさそうなトーンなのに、それでも尚じろりと見つめられていた。

 ちょうどそんな会話をしていると、


「――間もなく発車致します。危険ですので、黄色い線の内側へお下がりください――」


 駅の発車アナウンスが耳に入ってきた。

 やはり俺達以外、誰も乗り込んでこないようだった。


 暑いし、そりゃそうだよな。車内はまだ涼しいからいいけど、ホームじゃ熱風がしつこいくらいだったし。


 それから間もなくして、電車の扉が閉まった。

 俺達を乗せた電車は、気だるそうにのろのろと動き始める。

 かくして、半ば強制的に見知らぬ女子達とのお出かけがスタートしたのだった。

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