14 辻崎のメモ
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
まだ右隣に伊十峯がいない。
居たところでそれほどトークに花を咲かせたりはしない。けど、授業中ふとしたタイミングで、なんとなくそこに穴を見つけたような気持ちになる。
カーペットをめくってみたらいつの間にか床がカビていた、みたいな、おおよそ求めていない発見に出くわした時の、やるせないあの感情に近い。
「はいっ」
「うん」
授業中、前に座る辻崎から、授業で使うプリントを回される。
こんな何気ない日常の一動作に、何を気にしようというものでもないんだけど、辻崎から渡されたそのプリントには、小さなメモが貼っ付けてあった。
ふせんメモって奴だ。
メモの内容は、辻崎らしい気の回された内容だった。
『ちょっと話あるんだけど、今日の昼休み屋上来れる?
こういうプリント渡すついでのメモのほうが、
めぐみに見つからないからいいと思って。
あと返事はキャットークで送って?
あたしのアイディー××××――』
そのメモに辻崎の連絡先が載っていた。
なるほどな。
確かにプリントにメモを貼って渡せば、周囲に気付かれずに意思疎通できる。賢いな。
まぁ辻崎と俺の席が前後だからこその方法だけど、カモフラージュにはもってこいだ。
ただ、ここで素直に連絡先に追加していいのか……?
さっきの川瀬達とのやり取りを見ていたが、万が一にも辻崎のスマホが川瀬達に見られるような事があったら――。
そう想像するだけで嫌になる。
たぶん、その可能性はゼロじゃない。
辻崎が仲間にスマホを見せるタイプなのか、それもわからない。
そして、俺とのメッセージのやり取りを川瀬に見られる可能性もゼロじゃない。
なんなら辻崎は今猫を被っているだけで、本当は俺のやり取りを、仲間内でせせら笑うパターンだってあり得る。
辻崎にその意志がなくたって、不意に誰かがメッセージを見てしまう事もあるだろう。
通知が来れば、表示方法次第じゃ最初の一文がバナー通知で見えたりするし。
いやでも、ここまで悩むのは拗らせすぎか……?
教えた方が、こんなふせんメモみたいな事をする必要はなくなるしメリットだってあるだろ。
まぁ、晒し者にされるならそれはそれで構うもんか。どうせ元から女友達だっていないし、嫌われたところで恋愛する気もないしな。何よりも俺にはASMRがある。
それから授業中、こっそりと担任の目を盗んで、俺は辻崎の連絡先をキャットークに登録した。
意外と猫好きらしく、三毛猫が腹を見せて寝ころんでいるところの写真がアップでアイコンに使われていた。
一瞬、逆なでしただけのブランケットかと思ったが、肉球で理解できた。お世辞にも綺麗な肉球じゃないが、ぷにっとしている。
別に昼休みに用事もなかったので、俺はすぐに「了解」と送った。
授業が終わるタイミングになると、ようやく伊十峯が学校へやってきた。
「大丈夫か?」
彼女が席に着くなり、すぐさま尋ねてみる。
「大丈夫。ちょっと風邪っぽかっただけ」
と、いつにも増して小さな声でそう答える伊十峯。
確かに少しだけ頬や鼻先が赤く、熱っぽい顔色だった。
「あんまり無理するなよ? きつかったら帰ったほうがいいと思う」
「あ、ありが――」
「伊十峯、体調大丈夫?」
伊十峯のありがとうをかき消すようにして、降旗が伊十峯に話しかけていた。
珍しい。降旗はそれほど伊十峯と話す間柄だと思ってなかったんだけどな。
どういう心境の変化なんだ?
「だ、大丈夫……です」
降旗の質問に、伊十峯は戸惑いの色を見せつつも答えた。
なぜか敬語だったが、伊十峯の性格上「まだ敬語」なんだろうなと思っていた。
彼女の中で線引きがあるんだと思う。俺がその線引きを正しく把握できているわけじゃないが、それでも最近は付き合いがあるほうだ。いや、むしろこの学校では伊十峯と一番付き合いがある生徒ナンバーワンかもしれない。まぁオンリーワンかもしれないが……。
「降旗。お前どうしたんだ? 朝こっちの席に来なかったくせに……」
「いやぁ~、あっははは! それは、ねぇ?」
ねぇ? と言いながら、俺達とは対角に当たる位置の集団に目をやる。
二か所ある教室出入り口の黒板側。
そこには、川瀬めぐみを囲む会が出来ている。通称、天下無敵のギャル軍団。
「はぁ……降旗も所詮はあの集団を前にしたら怖気づくと……」
俺の言葉に一瞬むっとした降旗だったが、それでも向こうのたまり場に一瞥もくれる事はなかった。
どうやら図星らしかった。怖いよな。わかる。特に川瀬な。
朝、俺の席の近くに来なかったのは、まぁお察しの通りギャル軍団が俺のすぐそばにいたからなんだろう。
いなければ、今のように俺の席のそばまでやってきて、世間話の一つでも交わして笑っていたはずだ。
男女の学内カーストというのは、大雑把に考えると並列するものだ。もっと言えば、男女という性別の隔たりは存在していないのかもしれない。
つまりカーストというのは男女ミックスされているもので、カースト上位の女子と、カースト下位の男子では、そもそもお庭が違うのである。噛み合わないし、括られない。
友人を勝手にカースト下位だなんて言って申し訳ないが、少なくとも川瀬達のグループは、俺や降旗よりも上に立つグループなんだろう。
「伊十峯って、話しかけやすくなったよなー、なんか」
「そ、そうですか……?」
だからというわけじゃないけど、降旗は伊十峯に話せるんだろうなと思う。
伊十峯小声は、カーストの下にいる人間。忖度なしに言えば、カーストにそもそも入っていなかった人間と言えるかもしれない。
「そうだよ! なぁ、月村ぁ?」
「あ、ああ。そうかもなー。っていうか、伊十峯体調悪いんだからあんまり絡んでやるなよ降旗」
「それもそだね。ごめんね、伊十峯っ」
「わ、私は大丈夫です! ありがとう……。月村君も!」
そう言って、少しだけ笑いかけてくる伊十峯だった。
俺は降旗と伊十峯の会話に、少しだけ嫉妬心のようなものを抱いていた気がする。
ただ恋愛感情で嫉妬していたわけじゃないと思う。
これまでずっと孤独で、誰とも積極的に会話せず無口だった伊十峯が、俺以外の誰かと仲良くしゃべる事。その事に、変な焦燥感みたいなものが芽生えていたんじゃないかと思う。
「私、ちょっとトイレに行ってくるね」
「あ、ああ」
伊十峯がトイレのために席を立つ。
すると、それを見計らったように、降旗が耳を疑う事を言い始めた。
「あーあ。伊十峯さん、完全に月村じゃん」
「……は? 何がだよ」
脈絡のない降旗の発言に戸惑う。
降旗はなぜか、やれやれ感満載だった。
「何って、そりゃあ好きな人だろ」
「はぁあっ⁉」
――ガタタッ。
急に何を言い出すかと思えば!
降旗の言葉に驚きを隠せず、いきなり大声を出してしまった。その上座席から立ち上がる始末の俺だった。
教室にいた他の生徒が皆こっちを見ている。なんなら川瀬達も見ている。
「あっはっはっは! 何そんな驚いてんだよっ」
「何ってお前……そりゃ驚くだろ。なんでそうなるんだよ」
取り乱した恥ずかしさから、俺は小声でつぶやくように答える。
「はぁ……察しが悪いですね~、月村君?」
なにそのふざけた口調。鼻つねっていい?
「月村がこんな鈍感ばかやろうだったとはなぁ~。反応見てたらわかるだろ、そんなの。むしろあそこまでわかりやすい女子も珍しいけどなぁ」
「違うって! 伊十峯はそもそもが恥ずかしがり屋だからな? お前は勘違いしてる」
「勘違いじゃないってー」
そのまま「すっとぼけんなよー」と話し続けながら、俺の机をトントントン、と三回指で叩かれる。その表情はもちろんニヤついてニヤついて。
そんなうっとおしいやり取りをしているうちに、次の授業の担任が教室にやってきた。
離席していた伊十峯も同じタイミングで戻ってきたけど、まさかさっきみたいな会話を離席中にしていただなんて、夢にも思わないだろうな。
それからは、授業中辻崎の呼び出しの件について考えていた。
一体何なんだろう、とぼんやり考えたが全く身に覚えがなかった。
なんか呼ばれる事やったっけ?
答えの出ない小さな疑問を抱えつつ、その日の午前の時間割が終わりを告げた。
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