13 ギャルの文化

◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「――よし、そろそろ目標に動きが見られる頃合いだ」


 俺は、鴨高校の正門脇にある電柱の陰に隠れていた。

 なんだか自分が、悪の組織の尾行に精を出すスパイか何かみたいだなと苦笑しそうだった。精っていうか、汗しか出してませんけども。


 新潟の夏は暑い。

 七月の初め、午後四時半とはいえ、外の気温はそこそこに暑い。電柱や地面のアスファルトを素手で触ることさえ少しためらいが生まれるこの頃。


 これじゃあ今年の八月には気温が四十五度を超し、外は灼熱地獄と化するのでは? と並々ならぬ温暖化の余波を感じずにはいられないわけだが、それにしたってもうちょい涼しくなれ。熱中症で倒れるぞ俺。


 目標・伊十峯小声の姿がそこに現れる頃には、俺はもうすっかりこの場で蒸発してるんじゃないか?


 それくらい、尋常じゃない汗が俺の足元に滴り落ちている。何も知らない人が後から見たら、絶対ここに犬がマーキングしたんだろうと誤解されるほどだった。


「!」


 やってきたやってきた。

 目標さんがいよいよお出ましとなった。


 いつものように黒くて長い髪。スクエアタイプの黒縁眼鏡。そこまで着こなしていない学校指定のセーラー服。学生鞄を手にして、女子らしい穏やかな速度で歩き下校している。


 俺と伊十峯は同じクラスだが、あえて彼女には遅めに学校を出てもらう事にした。

 伊十峯が校舎のほうからやってきて、俺の前を素通りする。

 そのまましばらく距離をあけてもらってから、俺は彼女の尾行を開始する。


 学校から伊十峯家までの間。その間でストーキングは行なわれている。

 となれば、やはりこれが対策として一番いい方法かもしれなかった。


 そう。別にこれは、俺、月村つむぎが、ただの欲望で伊十峯を尾行しているわけじゃない。

 これはあくまで、作戦のうちのものだった。



「ストーカーって、尾行する事に注意を払ってるから、まさかストーカー自身が尾行されてるなんて思ってもみないよな?」

「え?」



 ――伊十峯の家にお邪魔した時に説明したもう一つの解決策。


 それは「伊十峯のストーカーをストーカーする」といういささか奇妙なものだった。


 自分で提示しておいてなんだが、これが一番ほどよい距離を保ったまま、ストーカーの正体を白日の元に晒せる手段だと思った。


 ストーキングなんて俺自身やった事もないんだけど、伊十峯の頼みなら仕方ない。俺は彼女の力になってやる義理がある。


 何しろ、伊十峯小声は俺の夢を一つ叶えてくれた存在だ。

 俺の名前を呼んでくれる特別なASⅯR音声。この夢を叶えてくれただけでも、彼女には十分な恩義がある。


 その代わり、俺も彼女の悩みは極力解決してやりたい。

 変態でも筋は通す。それが俺の流儀だ。


 伊十峯と俺はその距離を保ったまま学校を出て、寂れた鴨市の街を歩いた。

 街の往来を歩く者は少なく、車が時折何台か通る程度のものだ。

 ただこの寂れ具合が、非常に環境的に良かったと思う。


 あまり人が多いと、それはそれで俺のストーキングを訝しむ視線に俺自身が耐え切れなくなってしまうので、この閑散とした街ならではのメリットだったと言える。


 初夏の日の入りまでの長さからか、放課後とはいえまだまだ外が明るい。

 空には千切れたようないわし雲がまばらに浮かんでいて、その下を滑るように烏が何羽も飛んでいた。


 適度な距離感をあけて建てられた電柱の陰に、俺はぺたりぺたりとその身を隠して進む。


 視界の先に映る黒髪の女子高生は、俺につけられていると知りながらも、知らないふりをして家までの帰路を進んでいる。


「……」


 しっかし――――ストーカー現れなくね?


 校門を離れ、市街地を進んでおよそ十五分もしないくらいだろうか。

 なかなか姿を現さないストーカーに、俺はやきもきとしていた。


 このまま本物のストーカーが姿を見せないと、なんだか俺がそのストーカー当人みたいに思えてしまう。そんなの嫌なんだけど……。


 だが途中で投げ出すわけにもいかない。ちゃんと伊十峯が自宅に辿り着き、キャットークか何かで「今日はありがとう」とお礼の一つでも言われなきゃ、妙案だとか言ってた自分が恥ずかしい。


 ただ、そんな事を考えているうちにどんどん伊十峯は進んでいってしまう。

 気がつけば、もう伊十峯の向こうに「純喫茶ろぱん」の年季の入った黒い看板が見えてきていた。


 あの看板はいわばゴールだ。斜め向かいにはもう伊十峯の家がある。


 ――で、結局そのまま伊十峯は自分の家に到着してしまった。


 ん現れないのかよっ!!


 盛大にこけそうだ。

 伊十峯も不思議そうにキョロキョロと辺りを見渡し、仕方なしといった様子で家の中へ入っていってしまった。


 今回、俺視点からでも特にストーカーらしき人物を見つける事はできなかった。


 一体どういう事だ?

 もしかして、今日はただの気まぐれで現れなかったのか?

 それとも、本当は伊十峯の思い過ごしとか……?


 この結果には納得がいかない俺だった。が、この時俺は知らなかった。


 悩みの種である当のストーカーが、実は俺の数メートル後方に居た事に。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 翌日の朝、俺が学校に行くと珍しく俺の席の周りに人が集まっていた。


「そーそー。それでさー、ゆずの元カレがすっごいしつこくってー」

「もー、やめてよめぐみぃ~その話何回すんのっ? あははは!」

「でもそれでめぐみにちょっかい出すとかどんだけだよ? きゃははは!」


 あ、俺の席じゃなくて辻崎の席の周りでしたね。見間違えた。


 集まっていたのは、いつかバレーボールをぶち当てたギャル軍団。

 川瀬めぐみを筆頭に、それぞれがそれぞれ、癖の強い面々だった。


 髪色や髪型、ピアスやアクセサリーの類いも、個々がファッショニスタとしての心掛けを忘れる事なかれと言わんばかりの外見をしている。


 グループ内の顔面加工偏差値も軒並み高く、普段から化粧の匂いで多くの生徒達の嗅覚を終わらせにきていた。


 前述にもあったと思うけど、夏季の制汗剤の大気汚染被害は深刻で、教室の七割の酸素が割とマジでダメになってしまっていると思う。


 そんなテロリストじみた彼女らが、今俺の席の目の前、つまり辻崎ゆずの机を中心として輪を形成している。


 ぶっちゃけあの後ろの席が俺の席でなければ、絶対近寄ったりしないだろう。


 一体何の罰ゲーム?

 俺は彼女らの異臭を覚悟しながら、自分の席へゆっくりと近づいていった。

 物音を立てない忍者か何かのように、そろりと近寄ってその座席に腰を下ろす。


 意外にも、鼻をいじめてくるのは化粧や香水の匂いくらいなもんだった。


 辻崎の席の右隣りは、後藤君というそれはそれは大人しい男子生徒の席だった。

 だったのだが、ギャル軍団団長の川瀬によって、朝からその席は陣取られていた。

 そして他の軍団員二名は、窓のへりの辺りに腰掛けているといった陣形だった。


「あー、っにしてもあっちぃー」

「めぐー、あたしにも風ぇー」

「ゆずこっちくる? 窓際涼しいヨ?」

「まきは痩せてるからっしょー?」

「いんや、まきはゆずと違ってひんにゅーだからね♪」

「紗枝に言われたくないー!」


 あっちぃーとぼやきながら、ブラウスからチラッと赤いブラジャーを見せている川瀬めぐみ。その手には下敷きがあり、びにょんびにょんと上下に振って風を起こしている。


 その風を我にも当ててくれたもれと絡んでいるのが辻崎で、窓際でちこうよれと提案してるのが玉木まき。その玉木をひんにゅー呼ばわりしているのが堤紗枝だ。


 今目の前で繰り広げられているこのギャル軍団劇場のうっとおしさたるや。


 俺の席は、強制的に付き合わされる仕様らしい。

 このうっとおしさに付き合わされているような感覚は、実際かなりのストレスだ。


 その上、目には毒。


 彼女達はそれぞれ異なったレベルのだらしなさをそこに顕現させている。


 川瀬はブラウスをはだけさせている。辻崎はセーラー服の三角タイをほどく程度でまだマシなものだが、玉木と堤は窓際に寄り掛かりながら上履きやソックスを思い思いに脱いだりしていた。


 暑いといってもここまで乱れる必要はない。けれど、彼女達からすれば、ここまでフリーダムに振る舞う事までがセットで学生生活なんだろうと思う。

 総括して言わせてもらえば、俺にギャルの文化はわからないって事だ。


「あれ、月村。おはよっ」

 俺の登校に気が付いた辻崎が、振り返りながら一言。


「お、おはよう」

「……」


 おい辻崎いいのか。

 そんな気やすく話しかけて大丈夫なのか?


 一応、俺はこの前川瀬の後頭部に思い切りバレーボールをぶつけた張本人なんだぞ。

 俺だってこんなシチュエーションで、辻崎に気安く話しかけたりはしない。そもそも席に座った時点で、川瀬の鋭い眼光が身体のあちこちに刺さってたし。


「あっ……!」


 どうやら辻崎も、そんな川瀬の様子に気付いたようだった。


 窓際にいた玉木と堤も、あーやばっみたいな顔している。やばっ、じゃないんだよ。

 お前ら仲間ならちょっとくらいフォローしてやれよな……。


「ゆずって、月村と仲良いの?」

 落ち着いた声音で川瀬が問いかけている。

 その落ち着きの裏には、怒りや苛立ちが立ち込めていたんだと思う。


 なんだこの空気。川瀬は、俺ではなく辻崎に睨みをきかせているようだった。

 ピリついてる。

 さすがにギャル軍団の相関図に詳しくない俺でも、この空気は読める。


「うーん、まぁ……?」

 辻崎の答えは、なぜか疑問と肯定を合成したような口ぶりだった。


「はっ。仲良くないだろ……」

 ボソッと。本当にボソッと俺の声が出てしまった。


「月村、ひどくない?」と、辻崎。

 やっぱり聞こえちゃったんですね。


 それから一瞬の間をあけて、辻崎は言葉を続けた。


「嘘嘘。別に仲良いわけじゃないよ? めぐみ、勘違いしないでよー」

「ふーん? ……ま、いいけど」


 辻崎の答えに、川瀬はもう興味なさそうな顔をしていた。


 二人のやり取りに固唾を飲んでいたのは、俺以外にも二人いた。

 それは窓際にいた玉木と堤だった。


 さっきまで脱いだ靴下を手でいじって遊んでいたのが、空気のピリついた瞬間だけは天災を察した猫のように固まっていた。

 その二人も、川瀬の返事にほっと胸をなでおろしたようだった。


 ギャル軍団、というか女子は皆、共感や協調性の中に生きている動物で、男の共感とはまた違った意味や価値をそこに見出しているんだろうなと感じていた。


 共感こそが正義であり、絶対であり、人生なんだろう。

 とても疲れそうだが、彼女らはそんな事を当たり前のように、月並みにいえば息をするように行なっている。

 しかしどういうわけか、さっきの辻崎はそこにわざわざ手を出そうとしていた。


「でさー、昨日見たドラマの続きが漫画のほうでやってて――」

「あー、それウチも読んだよ――」


 もうすっかり先ほどのピリついた空気は無くなっていて、川瀬も辻崎も、遺恨なく談笑を再開しているようだった。


 辻崎、切り替え早いなぁ。

 保健室ではうじうじしている一面もあったはずなのに、今ではそれもすっかりなりを潜めている。皆の前ではうじうじしないんだという、辻崎ゆずの信念のようなものさえ感じる。


 そうこうしているうちに教室に前田先生がやってきて、朝のHRが始まった。

 ギャル軍団が各々の席に散っていくと、後藤君がやっと解禁されたとばかりに自分の席へ戻ってきた。おかえり。


 あれ、伊十峯は? と気になって横を見ると、まだ教室に来ていなかった。

 不思議に思っていると、前田先生がその理由を説明してくれた。

 伊十峯はどうやら医者に寄ってから遅刻してくるとの事。


 いいなぁ。俺も今日は遅刻してくればよかった。

 もしくは後藤君のように、どこぞで身を潜めておけばよかった。

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