09 手当は完了した
「もう! これで手当完了! 終わりだ終わりっ」
俺は立ち上がり、包帯やらハンドタオルやらを棚に戻すことにした。
もう手当はこれで十分だ。
「ねぇねぇ」
「……なんだよ」
ちょっとだけ落ち着いた雰囲気を醸し出しながら、辻崎は別の話題を俺にふった。
「お昼に伊十峯さんと話してたみたいだけどさぁ、その……この前のバレーの事、何か言ってた?」
「この前のバレーって、……あのいじめの件?」
「いじめって……。まぁ、それなんだけど」
辻崎は手いじりをしながら、自らの罪を認めた。うじうじと辻崎なりに思い悩んでいる部分があったのかもしれない。
けど、やっぱりいじめていた自覚はあったのか。
「別に。川瀬達のことは何も言ってない」
「本当?」
辻崎は俺の瞳をじっと見つめて再度問う。
くりっとしたその瞳で見つめられても、俺の返事は変わらないんだけどな。
ここまで感情が顔に現れる人間ているんだな、と思えてしまうくらい辻崎の顔には不安の色がよく出ていた。
「ああ、本当だよ。俺と伊十峯はそういう会話をしてたわけじゃないし」
「よかった~! あたしもさ、あそこまで言う事ないのにって思ってたんだけど、めぐみがもう止まんなくてさ……。あ、そういえばさ、月村って伊十峯さんといつの間にか仲良くなったよね?」
「仲……良いのかな? 俺もよくわからないけど」
「仲良いでしょ! 昼休み一緒にいたし! もしかしてあの一件からなの⁉」
仲良しのハードル低くね?
辻崎の中では、昼休み一緒に居たらもうそれは仲良しって事らしい。優しい世界か。
「まぁ、その件がきっかけで話すようになったのもあるけど、席替えで隣になったしな。それも大きいかもしれない」
いや、本当はASⅯR音声の配信という、俺と伊十峯の共通点が一番でかいかもしれないんだが。さすがにそれを辻崎には言えないわけで。
「あ、そういえば降旗に連絡しておいたぞ。俺と辻崎、授業出られないかもしれないって」
「そうだったんだ! ……ありがとう。でも、月村は今からでも授業戻りなよ。別に戻れるでしょ?」
「ああ、そうだなー。辻崎は戻れそうにないのか?」
「ちょっと歩いてみようかな? せっかく月村に手当してもらったし!」
それほどの信用にたる処置をした覚えはないけどな。
それから、うんしょと小気味良く腰をあげ、辻崎は立ち上がろうとしたのだが、
「あっ!」
「あ、あぶねっ!」
――ドサッ。
上手くいかず前のめりに倒れそうになった。
そのすんでで、思わず俺が辻崎を抱き支えてあげる形になってしまったのは、本当にたまたまだった。
「……!」
制服越しとはいえ、お互いの身体がこうまで密着してしまうと、心臓の鼓動とか呼吸に合わせた微かな胸の動きとか、そういう物まで全部伝わってしまいそうで恐ろしい。
さっき肩を組んだ時と同じで、辻崎の肩は女子らしくとても非力そうな印象を受ける。それも今回は両手。真正面からだし、顔から火が出るほど、というのはこういう時使うんだろうな。うん。とにかく顔から火が出るほど恥ずかしいです!
「あ、ありがと、……月村」
「い、いいって……」
「……」
俺と辻崎の間に名付けようもない空気が流れだした、その時だった。
――♪~♪~。
おおよそこの空気にそぐわないと思われる「ピロンッ」という、どこか間の抜けた着信音が辻崎のスマホから鳴り響いた。
「!」
「離すよ辻崎! も、もう大丈夫だろ!」
「あ、うんっ! 大丈夫大丈夫! 全然平気、痛っ、でもなかったけど、うん、とりあえずね! ちょっと離してもらって大丈夫!」
俺達はお互いの身体を引き離すと、ようやくほっと一息ついた。
「あ、めぐみからだ。あとの二十分自習になったから保健室に迎えくるって」
とスマホをいじりつつ、辻崎。
「マジで? じゃあ、俺はもう教室戻ろうかな。あとは、川瀬達の手借りて教室戻れるよな?」
「うん。月村、ありがとね!」
辻崎はスマホから俺のほうへ視線を移すと、にこやかに微笑んだ。
「いいって。気にするなよ。俺のせいみたいな所あったし」
「うん。ほんとね!」
「ははっ……そこは遠慮するところでは?」
「ぷっ、あはははっ!」
「それじゃあな」
「じゃあねぇ~」
辻崎を保健室に残し、俺は一人で教室まで戻った。
早く出ていかないと、川瀬達にいらない誤解を与える危険性もあった。
他の女子が来るなら俺の手なんて不要だ。
教室へ戻るルートは、あえて最短じゃない遠回りのルートを選んだ。
川瀬達とは、すれ違いたくなかった。
たぶん、川瀬達は教室から保健室までの一番近いルートでやってくる。まあ別にすれ違って問い詰められようとも、やましい事はないんだけど。不安な芽は摘んでおくべきだろうし。
それにしても、一時はどうなるかと思った。
不可抗力だろうと、あんなに辻崎と密着したりして……。
ああいうのは、本来恋人同士でしか体験できない距離のはずだ。現実の恋愛を放棄している俺が味わっていいものじゃない。
俺に現実の恋愛なんて無理だ。そんなもんは、中学時代に捨て去ってきたはずだ。
だから高校だって、同じ中学出身の奴らがいない所を選んだんだ。
今の俺には、ASⅯR音声があればそれで十分。
それが相応で、自分を弁えるって事だと信じている。
教室に戻ると、川瀬が辻崎に連絡していた通り授業は自習になっていて、担任はそこにいなかった。そして案の定、川瀬達もまだいなかった。
扉をあけた音に反応して、何人かの生徒が俺の方を見たが、特に何を言われるわけでもなかった。
素早く自分の席に座り、それとなく伊十峯の方を確認してみると、彼女はどうやらずっと机に顔を伏せたままだった。教科書やノートも全部片づけていた。
昼休みの件があったから、この顔を伏せた体勢は俺のせいなのかとも思った。が、耳を澄ましてみると、それはそれは純粋無垢な「すぅーっ」という穏やかで平和そうな呼吸音が聞こえてくるではありませんか。
隣の伊十峯さんは、夢の世界へ旅立っていたようだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「おいおい、マジか」
肩透かしを食らう、とはこの事を言うんだなと納得した。
いや、そもそも無駄に期待していた俺が悪いと言われればそれまでなんだけど、女の子の部屋って、ほら、実はもっと質素だよねぇって話じゃないの?
お花畑をイメージしました、みたいな愉快でファンシーな異空間はただの理想なのであって、現実はもっとノーマルで実用的な範囲のものしか置いてないのかと思うじゃん。
夢見がちだといざ現実を突きつけられた時の精神的ダメージとかでかいじゃん。
だからこんなにお花畑な伊十峯の部屋を見た時、俺は肩透かしを食らう思いだった。
わざわざ俺が破壊したザ・女子の部屋のイメージ像を軽く飛び越えてくる。
破壊する必要なんてなくて、むしろもっと女子女子してる方向で心の準備をしとくべきだった。
俺が伊十峯小声の部屋へ訪れた時にまず感じたのは、そんな想いだった。
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