06 逃げられない席
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
翌日、俺はどんな顔をして伊十峯に会えばいいかわからなかった。
配信の終わり頃にキャットークで『今日はありがとう、また明日』とだけ、平静を装いつつ送ってみたはいいものの……。
いざ学校へやってくると緊張する。というより、平静を装って、配信終了時にキャットークしていた事自体がもはやギャグだ。
降旗や辻崎といった他のクラスメイトの面々が、いつもと変わらぬ様子で今日も過ごそうとしてるのに、俺だけは気持ちに余裕がなかった。
教室の隅っこで朝から細々と読書にふける伊十峯は、至って平然としていた。
綺麗に整った黒髪は、よくよく見れば女の子らしい長さと色香をあわせ持っている。
その髪は丁寧なケアに裏打ちされた上質なシルクのようだ。
それに、あのスクエアタイプの黒縁眼鏡でごまかされているが、ちゃんと見れば顔だって実はそこまで悪くない。
それから、かぼそくてしなやかな指先。本のページをめくるあの伊十峯の指に、昨日俺は何回頭や耳を撫でまわされた事か……。
「――むら? 月村ってば!」
「え?」
降旗が俺の肩に手を置き、がっくんがっくんと揺らしてきていた。首が死ぬ。
「どうしたんだよ? なんか美術室にある彫刻みたいな顔してたけど?」
伊十峯のほうばかり見ていたせいで、俺はずっと上の空状態だったらしい。
彫刻並みの顔はしてなかったと思うが。
「なんでもないよ。それよりどうしたんだ?」
「なんだよー、前田先生の話聞いてなかったのか?」
いつの間にか朝のHRが終わっていた。
辺りを見渡すと、生徒達は個々で談笑をしたりスマホをいじったりしていて、俺は自分が無意識にタイムリープでも使ってしまったのかと疑った。
「前田先生、何か言ってたの?」
「聞いてなかったのかよ~。席替えだよ、席替え‼」
「席替え? 今日やんの?」
「今日っていうか、十分休憩終わったらやるとかって言ってたよ? マジで聞いてなかったのかよっ」
「あ、ははっ。全然!」
「関心うすそ~。ってか話しやすい奴と近いほうがいいよなー」
「うーん。まぁ、後ろのほうであればいいんじゃね?」
「あと俺は辻崎の近くなら割とどこでも!」
降旗の奴は、この前のバレー以来すっかり辻崎にハマってるらしい。
見た目可愛いからな。降旗がんばれ、恋せよ男子。
正直、俺はそこまで席順に興味はない――と思っていたんだが。
「ほーら、席つけー」
降旗との会話のあと、すぐに担任の前田先生がやってきてくじ引きをさせられた。
くじの入った空のティッシュ箱が回されてきたので、ひそかに南無三! と思いつつ手を突っ込んでみる。
慎重に開封してみると、結果はことのほか喜ばしいものだった。
なんと窓際最後尾っ。やるね、俺も。
神か仏に祈りが通じたらしい。今年の運を全て使い切ったのかとも思った。
「はぁ~、窓際の一番前ぇ……」
俺がほくほく顔でくじの結果に満足していると、少し離れたところからそんな声が聞こえてきた。くじの内容に肩を落として嘆いていたのは降旗だった。
前もいいじゃん。黒板見やすいしな。賢くなれるぞ降旗。
全員が引き終わり、前田先生の指示でみんなが机を移動させる事になった。
あちらこちらでゴトゴトと音を立て、くじの番号通りの配置へ全員が移動する。
その時だった。
「つ、月村君……よろしくね」
「え? あ、ああ。って伊十峯そこかっ!」
偶然だけど、なんと俺の右隣りの席を引いたのは伊十峯だった。
なんてタイムリーな神の采配かと一瞬思ったが、逆に今のタイムリーで隣の席になられても困ると思うんだけどな? お互いに。
一体どういう偶然だよ。
「よーいしょっと……ふぅ」
「!」
俺がそんな偶然に目を丸くさせていると、視界に別の女子が入ってきた。
机を重たげにおへその辺りまで持ちあげ、小さな掛け声を自己暗示のようにつぶやいている。
「月村君、よろしくぅー!」
ドンッと、自分の机を俺の座席の真ん前に置くと、その女子・辻崎ゆずは明るく挨拶をしてきた。前の席辻崎かよ。
「よ、よろしくな、辻崎」
「うん。そ、それから、伊十峯さんも、よろしく……」
「……」
辻崎は、伊十峯にとても気まずそうに声を掛けた。
無理もないよな。この前体育用具室であんな事があって、辻崎は一応あの取り巻き連中の中に居たわけだし。
伊十峯は伊十峯で、頷きはしたけど声は出さないし。
てか俺も気まずいな。なんだこの席。
運使い切ったっていうか、マイナスに働いてね?
右に伊十峯。前に辻崎。左は窓ガラスで後ろはロッカー……うんうん、これはもう逃げ場がないね。こんな囲い込み作戦でどうしようっていうんだ。
この角の席は、教室内で一番フリーダムな席だと思っていた。色んな漫画とか見ててもそうじゃん? 大体ここの席って色々許される席じゃないの? 居眠りとかスマホいじったりとか。それなのに周囲のメンツのせいで気疲れしそうなんだけど?
「よーし、みんな移動終わったな。席つけー。授業始めるぞー」
前田先生の声掛けで全員席に着き、通常の授業がはじまった。
はい、先生ー。もう一回席替えしたいでーす。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「――なので、ここの公式を使ってやると、こっちのXは――」
カッカッカッとチョークの乾いた音と共に、前田先生が授業を進める。
そんな中、俺は目のやり場に困っていた。
ライトブラウンの明るい髪色の辻崎が、すぐ目の前にいる。ミディアムサイズのその髪は、辻崎が頭を動かすたびにふらふら、さらさらと揺れ動く。
揺れるたびに、ふわりと甘い花のような香りが漂ってきて鼻腔をくすぐる。
ぶっちゃけこれは集中できない。
そして何より一番集中できないのは、その後頭部のすぐ下だ。
俺達の住む県は、全国的に見ても六月はとくに湿気がひどい。雨が降っていなくてもじめじめとしていて、スポーツもしてないのに汗でもかいたかというくらい服がしなしなに湿ってきたりする。
そして女子はセーラー服の白いブラウス。
そう、ご想像の通りそのブラウスが透け気味になっているわけだ。
じんわり見えてる感じ。何が、とは言わないけど。
本能の赴くままに語るならば、永久にガン見していたい。
けど、右隣には例の女子がいるわけで、そんな男性本能をあけすけにさらけ出すというわけにもいかない。こんな蛇の生殺しがあるか?
おそらくだが、伊十峯は俺のことを観察してるわけじゃない。
視界の左端に俺が軽く映っているだけで、黒目で俺を見ているわけではないだろう。
つまり、「なんとなく視認」できている程度。(のはず)
俺は俺で、視界の右端に伊十峯が映ってはいるが、直接目線をあちらへ向けているわけじゃないので、詳しくは見えていない。
この状況下で最も効果的な戦法。
それは「顔の角度を変えずに目線だけ動かす」だ。
これしかない!
なーに、容易い容易い。
目だけちょろっと動かせば……ほら見えたっ!
辻崎ゆずのブラジャーは、ひまわりのような可愛らしい黄――
「月村君?」
「はいっ⁉」
横からいきなり伊十峯が話しかけてきた。
横やりのタイミングすごいな。偶然ですか? それかサイキッカーだったんですか?
今すぐ問いただしてやりたい。このタイミングは意図的なもんですかと。
「な、何だよ? 伊十峯」
念のため、俺達は周囲の目を気にしながら、声のボリュームを下げて会話を続けた。
「昨日は……ちゃんと眠れた?」
「どっ、どどういう意味だよそれは?」
唐突に問われる。
昨日の夜のことを思い出した俺は、無駄に動揺しまくっていた。
「ふふっ。そんな変な意味じゃないよっ」
俺のキョドり方が面白かったのか、伊十峯の顔がふにゅっと綻ぶ。
すごく可愛らしい無垢な笑顔だった。こんなの不意打ちだ。
俺の中の伊十峯のイメージは、もっとつまらない文学少女だったはずだ。いや、つまらないというのは少々語弊があるかもしれないが。
それが最近、どんどん崩壊してきている。
あんなASⅯR配信を聴いたあとじゃ尚更かもしれない。
もう以前の「無表情」や「地味」に人体を貸し付けただけのような、モブ系無個性少女には戻れないんだろうな。少なくとも俺の認識の中では。
むしろ、俺の個人的な見解で言えば、静かな女子には静かな女子の良さがあった。
先の「つまらない」というのは、周囲からすればの話であって、本人は問題なく充実した生活を送っているのかもしれない。周囲に流されてキャンキャン喚くタイプより、周りに流されることなく自分を貫く静かな女子の方が、よほど気楽かもしれない。
無論、これは好みの問題だ。
「隣が伊十峯でよかったよ」
「!」
だから、何気なくぽつりとそんな言葉を口にしていた。
俺の唐突な発言を受け、伊十峯は戸惑い、その顔を恥ずかしさで強張らせているようだった。ノートにシャーペンを走らせるそのポーズのまま、フリーズしてしまった。
俺は、そんなにおかしい事を言ったつもりはなかった。
実際、うるさい女子や男子が隣だったら嫌だろ。
「今日は普通に配信するのか?」
「……たぶん」
「そっか。伊十峯のファン、多いからなぁ」
昨日はプラべ配信だったから俺しかリスナーはいなかった。けれど、普段の伊十峯のASⅯR配信は、平均して数千人単位のリスナーがいる。
その多くは聞き専で、チャンネル登録者数は確か数万人。
他のASⅯR系配信者を凌ぐ十分な人気っぷりだ。
「……」
そんな人気の配信者が、学校ではこうして粛々と授業を受けている。
現実では、学校でほとんど他人とコミュニケーションを取っていなかったというのも、凄まじいギャップだな。
今となっては俺とこうしてコミュニケーションを取るようになったわけだが、それすらも大進歩かもしれない。
無論、それは俺だけが感じていた事ではなくて、同じようにこの教室に所属する他のクラスメイト達からも見えていたはずだ。
俺は、その事に気付いていなかった。
俺と伊十峯のこうした授業中のやり取りでさえ、気にしている別の存在がいるのだということを。
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