05 【耳責め♡こえちゃんねる】さんから招待が届いています。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 ある種の契約を結んだ俺と伊十峯は、それから何度かキャットークを介して連絡を取り合った。

 その日の夜、俺は自室のベッドでスマホをいじっていた。


 時刻は夜十時。両親はもう寝てしまっているし、誰にも横やりを入れられる心配はなさそうだった。

 おそらく、もうそろそろ伊十峯の方から連絡が来るはずだ。


 伊十峯ほどじゃないけれど、俺もキャットークでクラスメイトと連絡を取るのは久しぶりな気がしていた。女子ともなれば尚更だ。下手すると何年かぶり?


 そんな事を考えていると、ピロンッというチープな効果音が鳴った。

 メッセージの着信通知音だ。


『今日のプラべ配信、何時からが良い?』

『いつでもいいけど、伊十峯がいつも配信してた時間は?』

『うん。いいよ。私もそっちのほうが良いかも』

『じゃあいつもの時間で』


 それから一分もしないうちに、動画配信サイトのマイアカウントに赤いポチマークが表示された。

 それは【耳責め♡こえちゃんねる】さんからの招待通知だった。


 いやもう何も事情知らない人からしたら、危ないアカウントのお誘いみたいだけど。


 ぽちっと招待通知を押し、招待されている配信画面へとページが切り替わる。

 配信画面のタグに、しっかり『非公開』と書かれていて、俺はちょっとだけ優越感を覚えた。

 そう。これは俺だけのために用意された配信。


 タグの『非公開』が、それを再認識させる。

 それだけに、俺の胸の鼓動は高鳴っていく。


 いつも日常的にお世話になってるASⅯRライブ配信が、自分一人のためだけに行われる……。今更だけど、これはとんでもない事態だ!


 ていうか配信中、俺の名前呼ばれることになるだろうし、もう最高か。

 っああ! やばい! そんなの絶対やばいだろ!

 どうにかなっちゃいます!


 ていうか伊十峯……今回の件、そんなに嫌そうじゃなかったけど、本当に嫌じゃなかったのか?

 そんな不安要素も含め、俺の気持ちはひどくかき乱されていた。


「……」


 配信画面には『予約中』の文言が表示されていて、間もなく十分ほどで幕を開けようとしていた。

 伊十峯から、俺に対する個人的なASⅯR配信……。


 部屋の電気を消し、ベッドの上で横になる。

 俺は心を躍らせ、白色のカナル式イヤホンを両耳にさした。


 何も変わらない、いつものルーティンワークのはずだ。

 それなのに、ここまでバックバックと鼓動がうるさく鳴り続けるのは、すべてプラべ配信という特別感のせい。


 視聴したくても部外者なら視聴できない、禁じられた超限定配信。

 他の誰のためでもない、自分のため。配信者との一対一の空間。


 伊十峯の語る言葉はすべて自分へ向けられ、自分の耳へ届き、自分の意識を誘惑する。

 そんな罪悪感や背徳感にも似た感情が、まとめて全部俺の心をざわつかせていた。


 暗闇に埋もれた部屋の中で、俺はたかぶる気持ちを必死に抑えながらその時を待っていた。抑えなければ、おかしくなりそうだ。



「んんっ、んっ! ……こーんばーんはぁ~」


 イヤホンから、聞き慣れた声が流れてくる。

 やっぱり俺がよく耳にしてきた、ASⅯR配信者本人の声だ。


「ちょ、ちょっと……はず、かしいね、これ……」


 緊張しているのか途切れ途切れの口ぶりで話し出す伊十峯。

 そりゃ恥ずかしいよな。よくオッケーしたもんだよ。


 大体【耳責め♡こえちゃんねる】なんていやらしいチャンネル名の時点で恥ずかしさなんてマックスのはずだ。

 そう感じつつも、俺は静かに耳を傾け続けていた。


「んんっ……よし。えっと、そ、それじゃあ、がが頑張ります! つきむらくん……」


 ぎこちなく、けれど一生懸命に取り組もうとする伊十峯の様子が伝わってくる。

 名前を呼ばれた瞬間、それまでよりも一段と俺の鼓動は速くなった。


 甘くとろけるような声色は、至って特別でもなんでもないもののはずだ。

 これは、伊十峯からすれば平常運転の配信。


 俺だって、伊十峯の声やASⅯRの音には普段から悶え慣れていた。

 悶え慣れて? で合ってるよな、うん。悶え慣れていた。

 だからこれも、音自体でみればさしたる違いはない、のだが……。


「つーきむーらくーんっ……っふ~……っふ~……ねぇ、きもちいい? ふふっ♡」


 ――ああ、やばいっ! 身体が!


 声を聞いてるだけ。音を聞いてるだけ。ただそれだけなのに!

 一体なんだ、このいけない事してる感は。いきなりやばい。いきなり!


 伊十峯の蠱惑的な音声に、耳が、脳が、全身が反応してしまう。


「ふふっ……つきむらくんてぇー……私にこ~んなことさせちゃうくらい、すっごい変態さんだったんだねぇ~……っふぅぅ~~」


 ああっ! やめろっ! 

 腕のあたりが無意識にびくつく。


 イヤホンの向こうで俺に囁きかけている伊十峯は、やっぱりずいぶん手慣れているようだった。もはや役に入り込んでいる感じ。


 この音声を聞いてる相手(つまり俺)が、現在どんな状況なのか、まるでどこかから覗いているかのようなしゃべり方。

 リスナーの心情をいとも容易く手玉に取っている。


「ちょっぴり残念だなぁ~……体育館でぇ~……わたしのこと、助けてくれてぇ~……とーっても、かっこいいなって思ってたのにぃ。んふっ♡ まさか、こーんなこと、頼んでくるんだもんっ……いやらしいんだね……つきむらくんはぁ~♡」


 声が鼓膜を震わせる。

 耳の輪郭が、ぞくぞくっと音を立てて鳥肌になってしまう。

 頭皮も全て、毛が逆立ってしまうかと思うほど、感覚が研ぎ澄まされ敏感になる。


 ていうか、俺のことかっこいいとか思ってくれてたのかよ。

 やばいな。なんか尚更変な意識が……。顔もあっついし。


「でもぉ~……っふぅ~~。こーんなふうに、耳をいじめられてぇ~……ふ~っふぅ~……責められてぇ~……感じちゃうのかなぁ~?」


 甘々な吐息をはさみながら、マイクまでの距離を詰められていく。

 ちょっとずつ、ちょっとずつ、伊十峯に詰められていく。


 伊十峯の口元が、その存在が、だんだん俺の耳に迫ってくるかのよう。


 これは緊張感と高揚感。それに……虐げられているような、相手に従属する気持ち良さのようなものまで感じる……。


 ついに俺も禁断の扉が開かれつつあるのかもしれない。

 というか、これが伊十峯の本性なのか……?


「そろそろ~、炭酸もこもこしちゃうぅ?」


 何……? たんさんもこもこ……だと……?


 やばそう! けどそれ、炭酸シャンプーだよね⁉ いつものアレでしょ⁉

 かわいい言い方しちゃっただけだよね⁉


 しかも今回は、向こうがこっちの事知ってる状態だし……。可愛く呼んでる自分を見せたかったのか……? 可愛いところあるじゃん。


 ああ、なんだか怖いくらい興奮してくるっ……。

 伊十峯の声を聞きながら、俺はいつも通り興奮していた。


 やっぱり変態さんと言われても否定できないと思う。

 ただその一方で、俺は彼女の本当の姿がどちらなのか考えてしまっていた。


 学校で見掛ける、あの黒縁眼鏡の内向的な伊十峯。

 あれは、地味が服を着ているような女子だ。


 一方で、こっちのASⅯR音声を自由自在に扱い、視聴者を魅了する伊十峯。


 たぶんASⅯRを配信している時は、もっとリラックスして、淫らな格好だったりするんだろうか……ああ、ダメだダメだ!

 クラスメイトで何を妄想してんだ俺は!


「しゅわしゅわの~……きもちいーい炭酸。流し込むよぉ~~?」


 ――ジュジュジュワアアァァァ。


 ああーっ! 耳! 耳から炭酸入ってきちゃうって!

 鼓膜! 鼓膜がっ、耳全体がおぼれる! おかしくなっるぅぅぅ!



 ――その日、俺は二時間ほどASⅯR配信を視聴した。


 伝家宝刀もかくやという容赦のない耳責め。お見事だった。

 骨抜きとはまさにこのことだ。


 視聴が終わる頃、俺は興奮のあまり全然寝付けなくなっていた。

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