03 フツメンにクールな役は似合わない

◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「じゃあ、本日の体育はこれで終わりー。では戦績が一番低かったチームは、決められた道具の片付けをして教室に戻るように!」

「「ありがとうございましたー」」


 授業が終わり、担任の言った通り最下位チームが道具を片付ける流れになった。

 男子の方は俺と降旗のいたチーム。女子は辻崎達のチームが最下位だった。


 試合のためにビンッと張っていたネットを緩め、固定されていた支柱を床から引き抜く。

 その他、ボールや得点板などの道具も、手分けして体育用具室へと戻していった。


 ぞろぞろと他の生徒が帰っていく中、俺達は働きアリのごとくせっせと片付けていく。

 そうして気が付けば、先生はもう体育館におらず、最下位組だけがぽつぽつと最後まで残っていた。


「月村があそこでちゃんとスパイク決めてりゃさ~」

「それ言う……? 俺は俺で必死だったんだけど?」

「腕振った時の風でスパイク打つんかと思ったし!」

「ぷふっ、そんなわけねーだろ! どんだけ腕振るの早いんだよ俺」

「あっはっはっはっは!」


 降旗とふざけながらも、使ったボールを用具室に戻そうとしていた。

 その時だった。


「伊十峯! あんた本当に邪魔くさかったんだけど!」


 用具室の方から、そんな罵声が響いてきた。


「おい、あれ」

「ん? ああ、川瀬……まだ怒ってたのかよ」

 どうやら、体育用具室の中でギャル軍団が揉めているらしかった。


「あんたのせいで負けたようなもんじゃん! それでうちらも片付けとか、マジでやってらんないんだけど⁉」

「……」


 川瀬が怒りを露わにしていた。その場にギャル軍団の取り巻きも引き連れている。

 俺と降旗の位置からはギャル軍団の後ろ姿しか見えないが、セリフからして伊十峯をどやしつけているんだと悟った。たぶん、あの向こうに伊十峯がいる。


 他の生徒達は、道具を片付けるなりさっさと教室へ戻ってしまっていた。

 男子も女子も、残っているのは俺達二人と、用具室にいる彼女らだけだ。

 たぶん、見て見ぬ振りをして戻った生徒もいたと思う。


「はぁー、月村、どうする? 俺達一応このボール戻さないとなんだけど」

「そうだなー」


 バレーボールをポンポンと手でいじりながら、俺達は向こうに近付けずにいた。

 俺達が立ち往生している間、尚も伊十峯への怒声は続く。


「負けたの伊十峯のせいなんだから、今度から全部あんた一人で片づけてよ! いい? わかった⁉ わかったら返事の一つくらい――」



 ――ドゴォッ。


 瞬間、川瀬の後頭部に勢いよくバレーボールが直撃した。


「痛っっ⁉」

「きゃあっ!」


 いきなりボールをぶつけられ、取り巻きの女子連中も驚いている。

 何を隠そう、それは俺が投げつけたバレーボールだった。

 しっかりクリティカルヒット。意外とコントロールいいな俺。


「だ、誰⁉ 何すんのよっ‼」


 ボールのぶつかった所を痛そうに手で押さえた川瀬が、俺達のほうへ振り返る。

 こちらに向けたその顔は怒りに歪み、眉根を吊り上げていた。


「あ、ごめんごめん。手が滑って~!」

「ぷふっ! あっはっはっはっは! 月村! お前、いきなり何やってんだよっ! 今のは滑ったとかいう速度じゃないだろっ……ぷっ、あっはっはっは!」


 俺の投球シーンを間近で見ていた降旗は、腹を抱えて笑っていた。

 そして俺の肩を何度もたたいてくる。そんなたたくな。痛い。


「ふざけてんの⁉ 何よ、あんたら! 邪魔しないで!」

 いきなりボールをぶつけられた川瀬は、少し涙目になっていた。

 その取り巻きガールズも、みんな慌てている。

 どうやら、いじめをしている後ろめたさが元々彼女らの中にあったのか、俺の制裁に面食らっていたようだった。


「もういいだろ、川瀬。邪魔してんのはお前だよ。いい加減ボール片づけたいんだけど」

「お、月村言うねぇ~。かっこいい!」

「降旗、ちょい黙って?」


 俺達と川瀬がいがみ合ってると、すぐ隣であたふたしていた辻崎が川瀬の手を取り、

「め、めぐみっ。もう行こう?」

「……うん」

「何なの、あいつ。キモッ」

「伊十峯が悪いんじゃん!」


 ギャル軍団は、ぶつぶつ文句を垂れながら体育用具室から離れ、教室へ戻っていった。


 体育用具室に残されていたのは、案の定伊十峯だった。

 伊十峯はマットの上で、力なくぺたん座りをしていた。

 首を垂れ、その顔を両手で隠している。と、ここで


「あ! やばい! そういえば俺、次の数学、宿題やってない!」

「え?」

 降旗がだしぬけにそんな事を言ってきた。


「悪い、月村! あと片付けるのはボールだけだし、最後頼んだわ! ちょっと時間無い、ほんと!」


 両手を合わせ、俺に軽くお祈りポーズを見せると、降旗は教室へ駆けていく。

 驚異的な逃げ足の速さだった。


「……」

 そんなわけで急遽、伊十峯と二人きりになってしまった。

 というか、俺もとりあえずボール片付けて戻らないと、伊十峯共々次の数学遅刻じゃね?


 仕方ないので、俺はとりあえずそばにあったボールカゴを、用具室の中まで持っていく事にした。


「――大丈夫?」

 何も話しかけないのは気まずいと思い、丁重に話しかけてみる。


 けど正直、伊十峯の表情は手で覆われていて見えないし、長い黒髪も相まって、若干薄気味悪い様相を呈している。これじゃあ貞子か毛髪の化け物だ。


 俺が話しかけても、伊十峯は一向に返事をしない。

 しないというより、今はできないのかもしれない。


 たくさん罵られて、たくさん傷付いて。

 気持ちの整理で一杯一杯なんだろう。

 それが証拠に、伊十峯の肩は小刻みにプルプルと震えているようだった。

 悲しさか悔しさか、もしくは両方からなのか。


「伊十峯、あんまり気にすんなよ」

「ぐすっ」


 いじめられて泣いてしまっているようだった。

 伊十峯のすすり泣く音だけが、小さくそこで響いていた。


 だがあまり時間を掛けていると、本当に次の授業に遅刻してしまう。けれど伊十峯は泣いてるし、放っておくわけにもいかないし……。


 迷った末、俺はひとまずポケットから青いハンカチを取り出し、紳士的に渡すことにした。不用意な優しさは良くないとも言うけど、これはもう放っておくわけにもいかない状況だ。フツメン程度の俺じゃこんなクールな役は似合わないだろうけど。


「一回、涙拭きなよ」

「あ……ありがとう」


 そこで俺は、初めて伊十峯の声を耳にしたような気がした。

 教室にいる時は滅多にしゃべらないし、普段誰かと談笑してる姿も見たことがなかった。

 だから伊十峯はこんな声だったのか、と新鮮な気持ちになる。


 俺の差し出したハンカチを受け取ると、伊十峯はゆっくりとその涙を拭いた。

 黒縁眼鏡を避けて目元を拭くその仕草が、ちょっとだけ愛らしいとか思ってしまった。


「……ごめんなさい、月村君」

「いや、いいって」


 涙を拭き終えた伊十峯は、俺に謝罪をしながらさらに言葉を続ける。


「これ、洗って返すね」


 そう言いながら、伊十峯はすっと立ち上がり、体育用具室から出ていった。

 非力そうな、弱弱しい歩き方だった。


 さらさらのそのロングストレートの黒髪が、伊十峯の動きに合わせてなびくと、ほのかにシャンプーの香りが漂ってきた。

 品の良い、どこか安らげる香りだ。


 それからはたと気付いたが、伊十峯の声に俺は多少の聞き覚えがあった。

 とても可愛げがあり、それでいて甘すぎない絶妙な声色。


 一体それをどこで聞いたのか、俺はうまく思い出せなかった。

 視線を体育館の出口へ向けると、ちょうど伊十峯の出ていく後ろ姿が見えた。

 ただじっとその後ろ姿を見ていても、やっぱりあいつは教室の隅で本を読む、それこそ影の薄い地味な女子にしか見えなかった。


 それから一日中考えてはみたものの、伊十峯のあの声をどこで聞いたのか結局俺は思い出せなかった。

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