第44話 この世のルール

「神父さん、改宗のことですが……」


 志郎は努めて平静に話す。少しでも大きな声を出せば、胸に渦巻く感情が爆発してしまいそうだったから。


「断れなんて言うなよ、志郎? どう考えても、ここは飲むべきだ。そうすりゃ、みんなも助かるし、ペルちゃんだって無事に返してもらえるかもしれない」


 どこか緊張した面持ちで政樹は志郎に目を向けてくる。


「……政樹の言う通りだ。改宗するべきだと思う」


 志郎の言葉に、政樹はほっと息をつく。


 レジス神父は目をつむって小さく頷く。


「志郎くんが言うなら、そうしよう」


「ありがとうございます、神父さん。これで、おれとは無関係になる」


 政樹は目を丸くする。


「なに言ってんだ、志郎」


「みんながサルーシ教徒になるなら、これからおれのすることで迷惑をかけなくて済む」


「お前、なにする気だよ」


「君にも関係ない」


「バカお前! まだ戦うつもりだろ! やめろ! 今度こそ死ぬ! 殺されちまうんだぞ!」


「構うもんか」


「俺が構うんだよ! 残されるダチの気持ちも考えろ! 他のみんなのことも! 神父さんや、ペルちゃんのことも!」


「ペルなら、わかってくれる」


「バカヤロウ! バカ、ヤロウ……。まだわかってねえのかよ、この世のルールってやつをよ」


「ルールならわかってる。こんなことをする悪党は、生かしておかない」


「違う。違うんだよ、志郎。この世に悪があるとすりゃ、そりゃお前だ。ペルシュナ教徒だ。弱い人間全部のことだ」


「違う。弱い人を喰い物にするやつらこそが――」


「いいや! よく考えてみろ、志郎。この世は力が支配してるんだ。法律とか信仰とか正義とかじゃない。

 仮に日本で悪いことをすりゃあ警察が来る。侵略すりゃ自衛隊が出てくる。法律や平和を守るための力だ。

 でもな、そいつらを全部やっつけられるような力があったらどうなる? わかるよな? 止められないんだよ、法律があろうとなかろうと。

 力こそがルールってことだ。力がないやつらが我を通そうとすることこそルール違反、つまり悪なんだ。

 そんで俺たち転生者には、それに近い力が与えられた。今は集団でもっとでかい力になってる。この街を、世界を支配してる力だ。

 それがお前の敵なんだよ。勝てるやつなんていない。だったら仲間になって、従うしかない。だから……」


「おれは、何人もそういうやつを殺してきた」


「それは手加減されてたからだ! お前みたいなやつは、これまで何人もいた! みんな強かった。正義感に燃えてた。でもな、サルーシとつるんだ悪徳転生者ってのは、容赦がなかったんだ。

 あるやつは守ってた人たちに裏切られて、別のやつは街ぐるみで孤立させられて殺された。仲間だった転生者たちに集団でなぶり殺されたやつもいる。合法的にギロチンにかけられたやつも、人知れず肥溜めに捨てられたやつもいる……。俺は、それを間近で見てたんだ。だからわかるんだよ! このままじゃお前が、みんなと同じになるって」


「そうなりたくなくて、君はサルーシに寝返ったのか」


「……正しかったと思ってる。お前はどうだ? この惨状を見て、正しいことをしてたと言えるのか」


 志郎は焼けた教会を見て、すぐ目を逸らしてしまう。


「目を逸らすな! よく見ろこの惨状を! 焼けた教会を! 殺された人を! わかるか、これはやつらの作戦だったんだ。魔族から守りきれなきゃ負け。守り切っても、他より被害が少ないからって責められて負け。敵がちょっと本腰入れたらこのザマだ。

 お前になにができた? なにもできなかっただろう! そのせいでたくさん死んだ。お前のせいで死んだんだ!」


 志郎は心の最も弱いところを貫かれた気がした。


 血のように滲み、広がっていくのは罪悪感と後悔。


 だが、刺し貫かれた穴から、煮えたぎる怒りまでもが溢れ出てくる。


「黙れ……」


「お前がわかるまで黙らねえ」


「黙れ!」


「ぅぐっ!」


 衝動を抑えきれず、志郎は政樹の左頬を殴りつけていた。


 政樹はその場で尻餅をつく。口の端が切れて、血がひと筋流れる。


 殴りつけた右拳が熱く、痛い。


 振るう相手が違う。こんなのはただの八つ当たりだ。


 わかっているが、怒りは消えない。謝ることもできない。

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