第9章
第59話 狂った歯車
神力は尽きたはずなのに、なぜ自分はまだ生きているのだろう?
志郎は精神を集中して、神力の充電率を確認する。
ゼロ……ではない。
コンマ数%ほどだが、神力が回復していた。
ちらり、と祭壇にいるペルを見やる。
周囲の人々の中には、再びペルシュナへ祈りを捧げる人がいる。
状況を鑑みるに、元はペルシュナ教の教会だったこの場所が、再びペルシュナの信仰を集めるようになったのだろう。
志郎も、ペルも、これで生き延びることができる……。
安堵すると同時に、実感が湧いてくる。
親友を、殺した。
事故や誤りではなく、明確な意志をもって殺したのだ。
神竜政樹という人物を。共に友情を育んだ、あの心を。永遠にこの世から消し去った。
目の辺りが熱くなる。視界が滲み、ぽろぽろと涙が溢れ落ちていく。
「志郎くん……」
気づけば鏡子がそばにいた。手を差し伸べている。
その手を借りて、志郎は立ち上がる。
鏡子は志郎の片腕を自分の肩に回し、志郎を支えてくれる。
「ひどい怪我。早く治療しないと、志郎くんも死んじゃうよ」
「ああ……そう、そうだったな」
自分も死ぬはずだったから、怪我のことなど意識の外だった。
志郎は自分自身に治療魔法をかける。
その間も、涙は止まらない。
ふわり、と鏡子は志郎を包み込むように抱いた。
鏡子はなにも言わなかった。志郎もなにも聞かなかった。
慰めるような、労うような、柔らかいぬくもりを拒絶することはなかった。
「私ね……」
やがて鏡子は、ぽつりと穏やかな声で語りだす。
「サンクニオン教会で、あったかい気持ちにさせてくれる人がいるんだって教えてもらって、そういう気持ちが幸せなんだって志郎くんに教えてもらって……。知って、感じて、だからその幸せをなくして、すごく、すごく悲しかった。もう会えない子たちがいるのが、すごくつらかった……」
ぎゅっ、と鏡子の抱擁が少し強くなる。
「自分でも不思議。私、神父さんが言ってたみたいに、殺人鬼じゃなくなっちゃうのかもしれないね。志郎くんは殺人鬼の私は嫌いみたいだから、そうなれるなら、なりたいって思うの」
「そっか……」
いつもならもっと刺々しい気持ちになるのに、今は穏やかにそう言ってやれた。
親友に向けられなかった許しを、ただ他の誰かに与えたかっただけかもしれない。
「もっと知っていけば……知って、感じられたら、きっともっと私は変われるんだと思う。誰も殺さない私になれる気がするの。だから、教えて。私は今、志郎くんが泣いてる意味を知りたい」
「意味……?」
「いなくなったら泣くほど悲しい相手を、自分で殺してしまえるのはなぜ?」
どっ、と重い衝撃が腹に響いた。
治療魔法で治まりかけた痛みが、再び熱を帯びて燃え上がる。
鏡子はいつの間にか右手にナイフを持っていた。その刃先は、志郎の腹部に深々と突き刺さっている。
鏡子は志郎を抱きしめたまま、何度も何度も繰り返し刃を突き立てる。
「その矛盾を……その涙を、私も、知りたい」
出血が激しい。治療魔法が追いつかない。
意識が遠くなっていく。全身から力が抜けていく。
「ねえ、これで私、わかるかな? 志郎くんの気持ち、わかるかな? ねえ志郎く、ん?」
鏡子はハッとしてナイフを手放した。真っ赤に染まった、震える自分の手を見る。
「あ……あ、あっ」
まるで狂っていた歯車が、正しい位置に戻ったように。
「う、あっ、ごめんなさい。ごめんなさい! やだっ、やだ、こんなのやだ……!」
大粒の涙をぼろぼろと流す。
鏡子は志郎を刺したその手で、志郎の出血を抑えようと腹部を圧迫する。血はとめどなく溢れ、決して止まることはない。
「う、ああっ。やだよ、いやだっ、死なないで。ごめんなさい、違うの、殺したかったんじゃないの! いやあ! 志郎くん、死なないでっ。ごめんなさい、ごめんなさい!」
志郎には、鏡子がなにを言っているのか、もうわからなかった。
「私、私やっとわかったのに。好きな人が失うのが、どんなに悲しいのか。なのに志郎くんがどんな気持ちで政樹くんを倒したのか、やっとわかったのに! 私のせいでっ、私なんかのために死なないで! お願い、死なないで!」
ただ、この状況は知っている……。
腹を刺されて。誰かが死んでいて。女がわめいていて。
そうだ……。殺されたんだ。妹が。こいつに。
志郎が、もっと早く決断していれば妹は死なずに済んだ……。
殺さなければ。そうだ、こいつは殺さなきゃならない。
早く。一刻も早く。
志郎は女に体重をかけ、自分もろともに押し倒す。
両手で首を絞めつけた。
「がっ、く……、志、郎……く、んっ」
女の顔が充血していく。
手足をジタバタさせて逃れようとするのを体で押さえつける。
妹の顔が思い浮かぶ。
ペルの顔が思い浮かぶ。
これまでの戦いが、一瞬のうちに脳裏を過ぎていく。
朦朧としていた意識がはっきりしたときには、女はもう動かなくなっていた。
志郎は鏡子を、再び殺していた。
そのまま脱力して、ごろり、と志郎は床に転がる。
ただただ涙が溢れてくる。
二度と立ち上がるつもりもなく、目を閉じる。
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