第54話 アレス・ホーネット④

 両断された柱は倒れ、建物全体が再び震動にさらされる。


 天井が崩れ始める。志郎の目の前に瓦礫が落ちてくる。政樹は自分の頭上に落ちてきた瓦礫を容易く切り払う。雨のように細かい破片が降ってくる。


 避難や救助は少ししか進んでいない。志郎と政樹が戦闘している付近は、誰も逃げられずにいる。そんな怪我人たちの上にも、大きな瓦礫が落ちてくる。


 ――『瞬間加速』、発動!


 すぐに救出し、一番近くにいた衛兵に預ける。しかし、天井の崩壊は加速度的に進んでいく。とてもではないが、全員を助けることはできない。


「政樹、なんてことをするんだ!」


「見りゃわかるだろ! 全員殺せば、口封じもできる。お前が殺したいやつも全員死ぬ。ウィンウィンってやつだ!」


「無関係な人を巻き込むな!」


 叫びながら、瓦礫に足を挟まれて動けない人を救出する。


「無関係なやつがいるもんかよ! みんなサルーシ教徒なんだぜ、実行犯じゃなくても差別や弾圧には加担してたさ! だったら放置してみんな死なせたほうがいいんじゃねえか? これが神罰だって言ってやりゃあいいんじゃねえのか!? なあ!?」


「そんなことは助けてから考える!」


 また瓦礫が落ちてくる。直下には、幼女を背負った包帯まみれの少年。動きが鈍い。このままじゃ潰される。志郎は救出に走る。


 その目の前に、政樹が立ち塞がる。


「あとで殺すために助けるのかよ!」


「うるさい邪魔だ!」


 ――『瞬間加速』、発動!


 政樹の脇をすり抜ける。


 間一髪。滑り込むように幼女と少年を抱いて、床を転がる。


 背中が激しく痛む。振り返れば、政樹は剣を横に振り抜いた姿勢だった。


『瞬間加速』ですり抜けた刹那に、斬りつけられたらしい。


 歯を食いしばって痛みに耐え、幼女と少年を近くの衛兵に預ける。


「その速さにも慣れてきたぜ。次は一刀両断かもな」


 今度は二ヶ所、ほぼ同時に瓦礫が落ちてくる。下には逃げようと走っている男と、転んで起きあがろうとしている少女。


 政樹など無視して、即座に『瞬間加速』を発動させる。


 軽い体当たりで男を瓦礫の落下地点からどかし、転んだ少女を抱き上げようと姿勢を低くして走る。その軌道上に、政樹の凶刃が割り込んでくる。


 咄嗟に身を逸らすが、避けきれない。右の胸元を裂かれてバランスを崩し、あらぬ方向へ転がっていってしまう。


 すぐさま顔を上げる。


 天井を見上げる少女の瞳が、恐怖に染まっていくのが見えた。


 間に合わない。


 瓦礫が、人を押し潰す。


 瞬間、志郎は目を逸らしてしまう。


 だが、落下音が聞こえてこない。再び目を向ければ、瓦礫は宙で止まっていた。いや、正確には落下速度が極端に低下しているだけだ。


「早く! 今のうちに逃げて!」


 ペルの声。少女が起き上がり、走って逃げていく。


 ペルが、神の奇跡を起こしてくれたのだ。


「くそ、台無しだぜ。どんな神性技能だよ、ちゃんと調べときゃよかったぜ」


 ぼやきながら、政樹が志郎のもとへ迫ってくる。


 志郎は正面に剣を構えて、待ち受ける。


「志郎くん、ここは私に任せて」


 鏡子が背後から現れる。志郎の隣で、政樹に向かって剣を構える。


「ペルちゃんが呼んでる。神力が足りないんだって。早く行ってあげて」


「お前じゃ、政樹の相手にならない」


「大丈夫。死んでもすぐ転生して戦うから。時間稼ぎくらいにはなるよ」


 志郎は鏡子を一瞥。政樹、そして背後のペルにも目を向ける。ペルは、聖堂の崩落していない床に立っている。大穴の淵の辺りだ。


 再び鏡子と目を合わせる。


「……頼む」


 志郎は反転して、瓦礫を駆け上る。切り裂かれた背中と胸が痛む。傷は幸いにも、骨に防がれて内臓にまでは達していない。治療は後回しでいい。


 ペルが食い止めているのは瓦礫ひとつだけではない。落下途中だった瓦礫すべてと、崩壊しかかっている天井そのものも支えている。たった数秒維持するだけでも大量の神力を消耗するはずだ。


 ペルのもとへ駆けつける。


「ペル! 大丈夫なのか、怖くはないの」


「怖いです……。でも、目の前で人が死んでいくのは……誰も助けられないのは! もっと、もっと怖いんです!」

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