第5章

第32話 侵入

 ウェルミングの街にはサルーシ教の教会が複数ある。その中で最も大きく目立つのは、高くそびえる鐘塔を持つ中央区の教会――マーフライグ教会だ。


 彩り豊かなステンドグラスに、荘厳な祭壇、巨大なパイプオルガンを備えた大聖堂は見る者を圧倒する。ウェルミングの街において、かつてペルシュナ教の活動の中心だったここは、今は改装されてサルーシ教の重要拠点となっている。


 教区長であるメートフ司教の寝所もここにある。


 その日の深夜。神学生の黒衣を着た志郎と鏡子は、その部屋に侵入した。


 レジス神父のお陰で容易かった。


 ペルシュナ教が栄えていた頃、レジス神父はかなりの地位にあったらしく、このマーフライグ教会に勤めていた。その際に、緊急時のための秘密の脱出路の建造にも関わっていたのだという。


 志郎たちはレジス神父から教わった隠し通路を使って、まんまと厳しい警備をすり抜けたのだ。あとは鏡子が、得意のピッキングでメートフ司教の寝所の鍵を開けるだけだった。


 それほど広い部屋ではない。置かれているのはベッドやテーブル程度の必要最低限のものだった。質はかなり良いが、聖職者らしく地味なデザインで揃えられている。


 メートフ司教はベッドで寝息を立てている。頭頂部から側頭部、襟首から後頭部にかけてまで髪を剃っており、鉢巻をしているような形でのみ髪が残っている。その黒髪に白髪は混じっていない。レジス神父よりも若く、体格がいい。太っているほどではないが、若干脂肪が余っており、充分以上の食事を摂っていることが窺える。


 ペルストーンに反応はない。メートフは転生者ではない。


 志郎はメートフの左小指をおもむろにへし折る。


「が――ッ!?」


 瞬間的に目を見開くメートフ。その叫びかけた口を、志郎は塞ぐ。


「騒ぐな」


 メートフの荒い鼻息が落ち着くまで待ち、それからゆっくりと口を塞いだ手を離してやる。


 メートフは額に脂汗を浮かばせ、こわばった表情で志郎を見上げる。


「ラバン殿を、殺した者ども……か?」


「質問するのはこっちだ」


 志郎はメートフの左薬指を握り、力を込めようとする。


「ま、待て――ッ!」


 再びメートフの口を塞ぎ、そのまま薬指をへし折った。


 メートフは苦痛に悶え、体を亀のように丸めた。必死に目をつむり、歯を食いしばっている。


「立場は理解したな? 質問に答えてもらう」


 目尻に涙を浮かべて、メートフはゆっくりと頷く。


「アレス・ホーネットの正体を聞かせてもらおう」


 メートフは首を横に振った。


「知らない。私でも、直接会ったことのないお方だ」


「もー、聖職者が嘘ついちゃダメでしょ。私、知ってるんだからね」


 横から口を出してきたのは鏡子だ。


「司教さん、この前アレスに会いに行ってたよね? ラバンさんが死んだって知らせがあったすぐあとだよ。呼び出されたって言ってたじゃない」


「でたらめを、言うな。お前がなにを知っているというのだ」


「あなたがアレスを知ってることを知ってるよ。いいじゃない、教えてくれても。そのうち私にも会わせてくれるって言ってたんだし」


 メートフは怪訝そうに鏡子を見る。やがて息を飲む。


「まさか、お前は、桜井、鏡子……か?」


「顔も体も変わっちゃったけどね」


「裏切ったというのか」


「そういうこと♪」


「おのれ、サルーシ様への恩義を忘れてよくも――ぐっ!?」


 鏡子に食ってかかろうとするメートフの鳩尾に、志郎は右拳をめり込ませた。


「裏切りはお互い様だろう。かつては敬虔なペルシュナ信者だったお前が、今はこうしてサルーシの司教だ」


「ぐ、く……くっ。私が裏切ったのではない。裏切ったのは――先に我らを見捨てたのは、ペルシュナのほうだ」


「ペルシュナは見捨ててなんかいない」


「ならばなぜ、誰も救ってくれなかったのだ」


 メートフの声が震えた。痛みではなく、悲しみの震えのように聞こえた。


「善良な者が魔族に蹂躙されていく中、我らがどんなに祈っても、どんなに助力を願っても、ペルシュナはなにもしなかった。戦ったのは勇敢なる人間のみだ。

 だが、やがてその人間から女神ペルシュナの名を貶める者が現れた。彼らはサルーシ教を興し、暴虐の限りを尽くした。

 私はやつらが、殺した幼子の顔を踏みつけ笑っているのを見た。私は何度も神罰が下るのを願った。

 だがペルシュナは……やはりなにもしなかった! 見捨てられたのだよ、我々は!

 私が――悪魔の誘惑に応じたこの私が、こうして罰も受けずにのうのうと暮らしているのが証拠だ」


「おれは、その神罰を代行するために遣わされた」

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