第3章

第18話 新しい出会い①

 志郎はおぼろげな意識の中で、目の前に誰かがいるのを察した。


 その誰かは、大きく息を吸い込むと、志郎の鼻をつまみ、柔らかいなにかを唇に触れさせた。息が吹き込まれてくる。


 おそらく何度目かのその行為で志郎の意識ははっきりとした。ゆっくりと目を開けると、初めて見る女性の顔が離れていくところだった。


 周囲はほとんど暗闇。ろうそく一本のわずかな明かりだけがある。石造りの暗い通路。すぐ近くから聞こえる水の流れる音。そして、不快な臭い。


 下水道だ。その整備用通路の一角で、人工呼吸を受けていたらしい。


 志郎の覚醒に気づくと、その女性はにこりと微笑む。


「よかった、目が覚めたんだね。お水飲む? お水。はい、お口開けて」


 水の入った革袋を口に近づけてくる。志郎はそれを手で受け取り、横になっていた体を起こそうとする。


「ぐっ、うっ!」


 全身がひどく痛み、革袋を落としてしまう。戦闘の興奮状態で麻痺していた痛みが、今になって噴出してきたのだ。


 見れば手当てされたあとらしく、貫頭衣は脱がされ、体中あちこちに包帯が巻かれていた。だからといって傷や痛みが消えるわけではない。


「大丈夫? 無理しないで、横になってていいよ」


「大丈夫。寝てるわけにも、いかない」


 充電率は残り一七%。三時間ほど意識を失っていたらしい。


 ――『神秘の草花』、発動。


 即効性のある鎮痛剤を生成、服用する。


 効果が出るまでの数秒間はじっとする。それから、あらためて体を起こして革袋を拾う。


「お水、いただきます」


「うん、全部飲んじゃっていいからね。間接キスだけど♪」


 志郎は躊躇なく革袋に口をつけて中身を飲み干した。


 間接キスなどと言い出すということは、どうやら転生者らしい。


 女性の身なりは傭兵風で、細身ながら出るところは出ている体つき。肌を安っぽく露出などせず、シャツもズボンも品良く着こなしている。革製の軽装鎧はきちんと手入れされているが、どこかで戦ったあとらしく、少々血で汚れている。武装は護身用と思われるナイフのみ。


 肩口で揃えられた黒髪は艶やかで、装飾品などなくても魅力的だ。少しばかりたれ目で、穏やかで優しげな顔立ち。その印象の通り、にこにこと微笑みを絶やさないでいる。志郎より二、三歳ほど年上だろうか。


 はっきり言って美人だ。志郎の好みのタイプでもある。だが、そんなことはどうでもいい。


 空になった革袋を返す。


「助けてくれてありがとうございます」


「敬語なんて使わなくていいよ。歳、そんなに離れてないし」


「じゃあ……あらためて、ありがとう。手当てまでしてくれて」


「あ、手当ては私じゃないんだ。息が止まっちゃったから人工呼吸はしたけど」


「他に仲間が?」


「んー、追っ手はいる、けど」


「追っ手だって?」


 考えてみれば、こんな下水道で隠れるように人工呼吸を受けていたのだ。尋常な状況であるわけがない。


「状況を説明して欲しい。それと、君の名前は――」


 言いかけたとき、複数の音が響いてきた。鎧の金属が触れ合う音。ひとりやふたりじゃない硬質な足音。話し声。こっちから声がしなかったか?


 女性は慌てず、素早くろうそくの火を吹き消して立ち上がった。志郎に手を差し伸べる。


「逃げよう」


 志郎は迷うことなく彼女の手を取って、立ち上がる。


 ふたりは暗闇に目を慣らしながら、追っ手とは反対の方向へと慎重に歩いていく。


 互いに耳元で囁くように会話を続ける。


「おれが着ていた服は持ってきてない?」


「あ、そうだよね、寒いよね。気がつかなくてごめん」


 確かに寒いが、重要なのはそこではない。


「いや、服の中に大事な物を入れておいたんだ。手のひらサイズの四角い石版。それがないと困る」


「そうだったんだ……ごめん。たぶん、処分されてなければ衛兵の詰所にまだあると思うけど」


「いや、いいんだ。場所がわかるなら、あとで取り戻しに行ける」


 ペルストーンが手元にないのは痛いが、今はこの場を切り抜けることが先決だ。


「追っ手は、この街の衛兵だね?」


「そう、悪党の息のかかった人ばっかり」


「そんな連中になんで追われてるんだ?」


「君を強引に奪ってきたから、かな。あの人たち、君を捕まえてたんだけど、死なせないように手当てして、それから拷問するとか言ってたから」


「君は、なんでそんな危険を冒してまで、わざわざおれを助けたんだ」


「放っておけなかったからだよ。これで私たち、一蓮托生だね♪」


「……ありがとう」


 彼女の笑顔がどこまで信用できるかはわからないが、少なくとも今は敵ではなさそうだ。

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