第15話 一度目の死
それは十八歳の冬、受験シーズンの最中だった。
妹も同じく高校受験の年だった。その日、妹が模試でいい結果を出したので、志郎はご褒美を用意した。妹が欲しがっていたゲーム機だ。イカのキャラクターがインクで染め合うゲームをやってみたいと言っていて、けれど受験だからと我慢していたのだ。
しかし息抜きも必要だし、本番でよほどのミスがなければ合格は間違いないくらいに仕上がっていたこともあって、両親の許可の下、志郎が小遣いをはたいて買ったのだ。
「お兄ちゃん、大好き!」なんて言って、妹ははしゃいでいた。
ただその日、志郎は疲れていた。年末商戦の時期で、どこへ行ってもゲーム機は売り切れていたのだ。やっとのことでゲーム機だけは手に入れて、ソフトはダウンロード版を買うことにして帰ってきたところだった。
妹は「じゃあネット……ワイファイっていうの? 繋げて繋げて、早く早く」と、志郎にせがんだ。妹は昔から機械に弱かった。自分が甘やかして、なんでもやってしまうからだと志郎は思ったが、頼られるのは悪い気がしなかった。ただ、その日の志郎は本当に疲れていたのだ。
「明日ね、明日。明日、早起きしてやってあげるから」
「本当? 約束だからね! わたし、早起きしてお兄ちゃん起こすからね! 一緒に遊ぶんだからね!?」
「わかったよ、約束」
この約束が、果たされることはなかった。
その夜、なにかの物音で目が覚めた志郎は、両親の死体を見つけた。
気が動転し、恐怖に支配された志郎だったが、すぐ妹の危機を察して彼女の部屋に向かった。
そこに殺人鬼はいた。
妹の眠るベッドの前で、まさに包丁を振り上げようとしていた。
見覚えのある顔だった。しかし、こんなことをされる覚えはない。
その日の昼間、ゲーム機を諦めかけたときに声をかけてきた女性だった。名前は桜井鏡子。笑顔が素敵な美人という印象だった。彼女は志郎の事情を聞くと、自分用に確保していたゲーム機を譲ってくれた。志郎はそんな彼女に、淡く好意さえ抱いた。
そんな女性が、なぜ、こんな深夜に、人の家にいる? なぜ血塗れで、包丁を持っている?
理解できなかった。だが、妹を守らなければ!
志郎は夢中で鏡子を背後から押さえ込みにかかった。
振り払われて、包丁で切りつけられた。恐怖は消えていた。ただ、絶対に妹に手を出させないという強い気持ちがあった。
夢中でもみ合ううちに、気づけば志郎の手に包丁があった。鏡子は倒れていて、志郎は馬乗りになっていた。
体のあちこちが切られて痛くて、息が上がっていて苦しくて、ひどく現実感がなかった。
「殺さないの? 家族の仇だよ?」
「なにを、言ってるんだ……?」
そんな決断ができるわけなかった。
そのままで、志郎は妹に呼びかけた。目を覚まして警察を呼べ、と。
「ふ、ふふふっ、おバカさん。もう死んじゃってるのに」
「なっ!?」
志郎は鏡子のことなど放置して、妹のベッドに駆けた。安否を確認すれば、妹はまだ生きていた。やっと目が覚めたらしく、うっすらとまぶたを開けようとしていた。
志郎は安心して、包丁を握る力を緩めてしまった。
横から突き飛ばされた。包丁が床に落ちた。その包丁を鏡子が拾った。
妹が悲鳴を上げた。
そしてその叫びは、すぐ聞こえなくなった。
ベッドは妹の血で真っ赤に染まっていた。包丁が、深々と突き刺さっていた。
「うああああああああ!!」
志郎は鏡子に突進した。無我夢中だった。
衝動だけが志郎を突き動かしていた。おれがバカだった。殺すべきだった。殺しておけば殺されなかった。さっき殺せばよかった!
死ね! 死ね! 死ね! 殺してやる! 殺してやる!
「そう、その顔! 妹を殺された君の顔が見たかったの!」
鏡子は志郎の腹にも包丁を刺した。血がたくさん溢れた。致命傷だった。
志郎は止まらなかった。
再び鏡子に馬乗りになり、両手で首を絞めつけた。
妹の頭を撫でてやったその手で。プレゼントを渡したこの両手で。
志郎は、人を、殺した。
息絶えた鏡子の体の上に、志郎も倒れた。
体が冷たくなっていくのがわかった。
最期に感じていたのは、罪悪感のような後悔。
この決断がもっと早ければ、妹は死なずに済んだのに……。
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