第3話
それから不動産屋に連絡が行ったのか、お守り屋さんから連絡が来て『交換の必要なし』という判断が下された。
まあ俺の主張がほぼ通った感じだ。
ただその際にお守り屋さんにも言われたが、俺も気になっていたことがある。
タカハラさんのお守りが
これまで何回かこのバイトをしていると、交換したことってのは何度かある。
早い人だと一ヶ月に一回交換してそれで終わり。
長くいても交換の回数が少なかったり、逆に交換頻度が高い人もいた。
この仕事には、ちょっとしたからくりがある。
初めこそよくわからなかった俺だが、タカハラのオッサンも含め〝住人役〟の連中は何かしら問題を抱えている、孤独な連中が多い。
彼らを住まわせて、
だがそうじゃない。
連中は、『お守り』に守られている。
守られている間に、それを他の誰かに押し付けるのだ。
方法は知らない。多分、住人役にしか教えられていない。
それを知ったのは、本当に偶然だった。
何度目かのバイトの時に住人役だった若いヤンキーくずれが言ったのだ。
『失敗した。目を持って行かれた。でも目だけで済んだ』
意味がわからなかった。
でもその後の何度目かで、ぼんやりとした婆さんの住人役が『今回はちょうどいいのがいたから助かった』と笑って近所でも有名な放置子とその親をよく招いていたことを俺は知っている。
その後、その親子をニュースで見たけど、詳しくは知ろうと思わなかった。
つまり、だ。
タカハラのオッサンがあの時零していたことを考えると、あのアパートには何かがいるのだろう。
そしてそれをデリヘルのねーちゃんなのか、それとも他の人物なのか……とにかく、押し付ける相手を見つけて、今その真っ最中なのだろう。
だとしたら、何故お守りは綺麗なのか? ってことだ。
これにはお守り屋さんも小首を傾げていた。
俺はこのバイトを何度もやっているからと教えてくれたが、実際に
ってことはタカハラのオッサンがいるところには確実にいるってことだ。
なのにお守りは汚れない。
『お守りが効果を発揮しないのは、それが悪霊だろうと身内であるか……悪霊じゃない場合だねえ』
ふと、俺はあの赤いスカートの女の子のことを思い出す。
なんでだろうか。
顔も見たことがない、あの赤が頭から離れない。
そうこうしていると、タカハラのオッサンが定期連絡に反応しなくなった。
この場合、運搬係の俺が様子を見に行かないといけない。
正直面倒くさかったが、これもバイトなので仕方がなかった。
俺は昼間に用事を済ませ、タカハラのオッサンのところへ行った。
夜になったせいか、住宅街は静まり返っていて街灯の音とそこにぶつかる虫の羽音が酷く響いて聞こえた。
(……あのオッサン、ちゃんと部屋にいるんだろうな?)
規定では住人となった人間はお守りを肌身離さずつけず、基本的に外出は決まった時間にのみ。
必要に応じて不動産関係者に連絡し許可を得れば外出も可能。
食料品や雑貨、その他に関してはある程度配給がある。
全く外に出ないとか、人と接する機会がないと例の
(そういや、なんでお守り屋さんは俺にそんなことを教えてくれたんだろうか)
付き合いも長くなったからねえ、なんて電話の向こうのお守り屋さんはそう言っていたが。
実際には顔も合わせたことのない、どこの誰かもしれない。
ただ、性別は女性でおそらく高齢ってことくらいは声から察したけど。
「……留守か?」
チャイムを連打するには隣人に苦情を言われ、下手したら警察を呼ばれるかもしれない。
困ったなと思いつつ、考える。
帰るか、待つか。
それとも不動産関係者に緊急と言って連絡をすべきか。
いや、連絡はまだだな、状況が何もわかっちゃいない。
下手に電話してオッサンが酔っ払って帰ってきたりなんかしたら、俺のバイト代に響くかもしれない。
怒られ損はごめんだ。
「……ん?」
階段下に、赤いスカートの女の子がいた。
暗がりで顔は見えづらいがこんな時間に?
そう思って俺が様子を見ようとそちらに顔を向けると女の子が俺を見上げて、手招きをした。
早くこっちに来い。
そう言われている気がして、俺は階段を下りてみる。
ほんの、興味と同情があったからだ。
(親から放置でもされてんのかな。児童相談所……いや、俺なんかが連絡したってとりあっちゃくれねえか?)
カン、カン、と気をつけても響く金属音に、住人が文句を言いに出てきませんようにとそっと思いながら階段を降りる。
女の子の姿は、消えていた。
「……なんだってんだよ」
からかわれたか?
そう思って辺りを見回すと、女の子の姿が見えた。
道路側で、俺を手招きしている。
意味がわからないと思いつつも、なんとなしにそちらに足を向けると――女の子に向かって、別の方角から人影が走り寄るのが見えた。
「……っ!?」
人間、突然のことには声なんて出ないと思い知った。
距離があるのがわかってるくせに、意味もなく伸ばした手はやっぱり届くはずもない。
女の子が突き飛ばされて、車が来て、ブレーキ音が響いて。
にぶい、おとがした。
どん、ぐしゃ。
(なん、なん、で……)
思わずその場で立ち尽くす俺に、その人影がこっちに来るのが見える。
それは、タカハラのオッサンだった。
血走った目で俺のことなんて見てなくて、オッサンはブツブツなんか言っている。
動けない。
近づいてくるオッサンから、俺は逃げなくちゃいけないのにと思った。
だけど足はぴくりとも動かない。
どうしてだか、どこの家も明かりが点かない静かなままだ。
事故が起きたのに。
アパートの人間が出てくる気配もない。
近づくオッサンの向こうに、女の子が倒れているのが見える。
「俺は悪くないアイツが勝手に生んだんだアレのせいで俺は苦労しているんだ毎日毎日よそから紋鍬入れたりアイツがなんだかんだうるさいのも俺のせいじゃない俺のせいじゃない俺のせいじゃないいつだって飛び出して遊び回ってやかましく役立たずのクセに俺は確かに投げ飛ばしたけど俺のせいじゃない車が止まらなかったんだ俺は悪くないアレは事故だ事故で死んだなんでここにいるんだ俺のせいじゃないああもう一度殺してやったもう俺の前に出てこない出てこない……」
ブツブツ言いながら俺の横を通り過ぎるオッサン。
俺のことなんてまるで見えちゃいなくって。
でも、わかってしまった。
わかりたくなかったが、わかってしまったのだ。
あの赤いスカートの女の子は、タカハラのオッサンの子だ。
ということは、あの部屋にいるやつはタカハラのオッサンが捨てたという、奥さんだ。
(だから、お守りが、効かない)
オッサンを、視線で追う。
フラフラと階段を上るオッサン。
さっきまでピタリと閉じていたはずのオッサンの部屋のドアが、開いているのが見える。
そこから、黒い手が伸びていた。
わずかにロープの端っこが見えて、オッサンを抱くようにして連れ去るのが、見えた。
(ああ。ああ……)
幽霊を見えるようになったら終わり。
先輩の言葉を思い出す。
そうだ、俺ももうこれで辞めよう。
タカハラのオッサンは
俺は呆然と、そこで何故か冷静になってスマホを取り出して緊急連絡先に電話をかけた。
何度目かのコール。
それを耳にしている俺は視線を道路に戻した。
そこには車もなければ女の子もいない。
(……いない?)
じゃあ、さっき見たものは。
いいやそもそもあの子も幽霊だとしたら。
違う、あの子は……こちらに向かって、這ってきている。
ずるずると、違う、それは幻覚で、でもじゃあ見えているあれはなんだ?
プルル,ガチャ。
繋がった。現実味のないこのおかしな空間で、その機械音に安心する日が来るなんて思わなかった。
電話の向こうから、落ち着いた男の声がした。
『――もしもし』
「あっ、あの、あの、俺……」
『ご苦労さまでした』
「えっ」
唐突に言われたそれに理解が追いつかない。
どこか笑っているかのようなその声に困惑しながら、俺の目は這い寄ってくる女の子に釘付けだ。
お守り。
そうだお守りを。
そう思って渡すはずのお守りをギュッと握りしめる。
『救急車を向かわせておきますよ。あなたの
ああそうだ。
お守りは、その人その人に合わせたものだから。
俺には。
(そうだよな、俺はあの子の遊び相手に選ばれちまったのか)
にんまり笑う口元だけ見える、その赤いスカートは近くに来てわかったが、血に染まっているだけなのだ。
どうして俺なんだよ。
そう言いたかったが、誰でも良かったんだろうよと冷静な自分がそう言った。
(こんなことに首を突っ込むから――ああ、もしかして先輩も……)
俺は遠くに、救急車のサイレンの男を聞いた気がした。
胸が、苦しい。腹が、痛い。
顔が見えない女の子が、笑った。
ぱ ぱの
おとも だち
(友だちじゃねえよ)
そう言えたら何かが違ったのか。
俺はもう目が開けられなかった。
とあるバイト 玉響なつめ @tamayuranatsume
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