第2話
「いやあーわりぃわりぃ。あの女がなかなか帰らなくってよ」
「……彼女サンすか」
「いやデリヘル。昔俺もこの辺住んでたはずなんだって話から盛り上がっちまって延長かけたとこだったわけ」
「へー。……タカハラさんてこの辺住みだったんすか」
「おう、まあ随分前のこと過ぎて住所もなんも覚えちゃいねえが……ほら、前に話したっけか? 俺ぁホームレスやってて近所の悪ガキ共にボコられてよお、それ以来記憶障害? っていうの? であちこち記憶が飛んでんだわ」
「……」
「はいおまちどおさまー」
「おっ来た来た、ここのラーメン美味いんだぜ。食え食え」
「ごちになるっす」
タカハラさんの過去は、よくわからない。
というのも本人が今言っていた通り、記憶障害があるからだ。
何故ホームレスになったのかとか、実家と疎遠になっていることや家族がいたはずなんだがそこら辺は曖昧らしい。
その後、行政を頼ってあれこれあって、事故物件に住むという今の仕事に就いたと聞いている。
俺が本人と、お守り屋さん(と俺が勝手に呼んでいる)から聞いた話を総合してわかった話だけど。
ちなみにお守り屋さんが何故住人の情報を得ているのかというと、なんでもお守りを作るのに『その人に合った』ものを作るのに必要なんだってさ。
直接顔を合わせないから、断片的でもいいから情報を得て作るってことらしい。
だから他人に渡すな、その人に渡すんでも状況が変わったら作り直しが必要かもしれないから連絡を怠るな……と俺はお守り屋さんに口を酸っぱくして言われている。
といっても俺からお守り屋さんに連絡はできない。
一応住人に万が一のことがあった場合にのみ使う、不動産屋の番号を一つ知っているが……俺にこのバイトを紹介した先輩いわく、本当に緊急時以外使うな、とのことだった。
(わけわかんねえや。そろそろ、潮時かな)
喰った味噌ラーメンは、まあまあだった。
会計はタカハラさんがしてくれたけど、本当にこの辺りに住んでいたんだろうか。
ふと昼間入った喫茶店を思い出して、タカハラさんに話題を振った。
「昔住んでたんなら、この辺の人で見覚えなかったりするんじゃないすか」
「あー、俺もそれは思ったけどよ。なんつーか、そのホームレス狩りに会った時に殴られて顔が変形してんだよな。あとは多分……俺も結構苦労してっからさ! 顔が変わっちまってるんだろ。わざわざ調べる気もねえよ、今更……だしな」
「……っすか」
「そうそう。そんでな? お守り。あれ黒くなったら交換って言われたんだけどよ、これくらいでもいいんだよな?」
ごそりと取り出されたそれを見て、俺はちょっと眉が寄った。
お守り屋さんから聞いている交換条件は三つ。
本人からの申請。
守り袋が黒いかどうか。
運搬係から見て住人は
「……タカハラさん、これコーヒーの染みっすか? 汚さないように肌身離さずつけてろって説明されましたよね?」
「んあ? そーだっけか……まあいいじゃねえか。あのデリヘル嬢に後は頼めそうだし」
「タカハラさん!」
「おっと、悪い悪い……へへ」
くそ、このオッサンまったく反省してねえな!!
運搬係が確認するルールは細かく言えば、お守りの扱い方だ。
肌身離さずつけろ、人に見せるな、仕事の内容を口外するな。
今オッサンがしたことは、全部ルール違反だ。
お守りは効果を発揮していないかもしれない。
どういう効果なのかは俺も知らないけど。
「……タカハラさん、俺の見たところまだ交換は無理だと思うっす。不動産屋さんに連絡して交換してもらえないって言ってくれていいっす」
「ええー」
「その様子だと交換する色じゃないっす。ただの汚れじゃ交換はできないっすから」
「ちぇ、きたねえお守りなんか持ってたくなかったんだけどよ」
「……」
勝手なオッサンだな。
そう思いつつ、俺は今日のこの行動が無駄足になったことに内心ため息を吐いていた。
なんていうか味噌ラーメンで俺の一日を使われたっていうかさ。
とりあえずバイクはあのアパートの近くに置きっぱなしだし、タカハラのオッサンと一緒に俺は連れ立って歩く。
俺が何かを言うでもなく、オッサンが一人で喋るばっかりだ。
「たしかさあ、俺にゃ嫁がいたんだけどさあ、気が合わなかったんだよなあ。俺今の見た目も悪くねえけど、多分前はもっとイケてたんじゃねえか?」
「そっすか」
オッサンいわく、ホームレスに顔をボッコボコに殴られていたらしくあちこちが変形したせいで今も顔半分がおかしな形になっているという。
造形の問題なのか、特に近づかなきゃ変だとは思わなかった……というかオッサンの顔なんて凝視しねーし。
「そんでさあ、俺どうにも浮気とかしてたんじゃねえかなあ。嫁? の怒り顔? みてえのたまに夢に見んの。はっきり見えるわけじゃねえんだけど……それがいやだなあって何度も思った気がする。あと、子供がいたんだよ」
「子供っすか」
「そう。ちっちぇーのがさ。ウロウロ俺の周りウロついて何がおかしーのかキャッキャ笑いがって、可愛いんだけどうるせえのな」
「へえ」
へらりと笑うタカハラのオッサンは、懐かしむような……めんどくさそうな顔だった。
それはどんな感情からだろうかと俺は小首を傾げたが、ふと前方に見えた影を指さす。
「タカハラさんの子ってあのくらいだったんすかね」
「んあ?」
俺の指さした方向には、例の赤いスカートの女の子の、後ろ姿があった。
走ってアパートのある方に行ってしまったから、顔は見えなかった。
「ほら、赤いスカートの女の子がいたじゃないっすか。アパートの子ですかねえ」
「……いや、アパートに子供はいなかったと思うんだがなあ。俺ぁあんまり外に出ねえからかな? 見たことない子だなあ」
「そうなんっすか……」
ラーメン屋で酒を飲んでいたタカハラさんの足元が、本格的にフラフラし出す。
俺は仕方ないからオッサンを支えて、アパートの階段を上った。
酔っ払いが鍵を取り出して部屋を開け、電気に手を伸ばすのを俺は支えながらただ視線で追う。
「……!?」
そこには、昼間見た時とは別の女が、いた。
けど、電気が点いたら、もうそこにはいなかった。
「ありがとよう」
へらへらと笑うタカハラのオッサンに、俺はなんと言って別れたのだったか。
気がつけば、階段を下りていた。
(俺、さっき……いや、アレは幻だよな?)
ボサボサ頭で、俯きがちの、妙に首を傾げた。
いや考えてはいけない。
「……」
階段下に、まだあの絵はあった。
あの子供が描いたであろうその絵の、母親の部分。
ロープみたいなのが見えて、首を傾げているようなそれが……さっき見た女の、首を傾げている姿に似ていてぞっとする。
(考え過ぎだ、疲れてんのかな俺)
首を緩く左右に振って、深呼吸をする。
きっと疲れているのだ。
あのタカハラのオッサンに振り回されて、無駄足を踏んだから。
そう思いながら俺がバイクに跨がってエンジンをかけ、顔を上げるとその先、アパートの階段下に赤いスカートの女の子が立っているではないか。
女の子は、俺を見ていた。
それが妙に気持ち悪くて、俺は誤魔化すようにバイクを急発進させたのだった。
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