白い闇、遠い朝

愛野ニナ

第1話



 あの日、何かが起きた。

 カイが小学四年生になった新学期の午後、いつものように学校から帰宅すると母が笑顔で迎えてくれた。

 おやつに母の手作りのレモンパイを食べようとしていた時。

 突然、

 白い光に包まれた。

 そしてたぶん意識を失ったのだと思う。

 目が覚めたら見たことのない白い部屋のベッドで寝ていた。

 怪我でもしたのだろうか、カイの右腕には包帯が巻かれている。だが痛みはない。

 傍で心配顔の母がカイを見つめていた。




 たいていのことはフロイが教えてくれたので、この生活にも少しずつ慣れていった。

 わかったことはいくつかある。

 ここは病院ではなく隔離施設であり、災害から救助された人を保護するためのシェルターなのだ。

 外界とは強化ガラスで遮断されている。

 勝手に外へ出ることはもちろん、施設の中でさえ移動できる場所は限られていた。

 ガラスに映って見える景色が外の景色ではないということくらいはカイにだってわかる。天気や明るさの変化はあってもそれは投影された映像に過ぎなかった。

 食事はフロイがロボット専用の移動通路から運んできてくれる。

 だけどはたしてこの施設には本当にカイと母以外の人間がいるのだろうか、他の誰とも行き合うことはなかった。

 食事をして眠るだけの日々は時間の感覚さえ薄れてゆく。

 フロイが毎日同じ時間に起床、食事、就寝を知らせてはくるが、それが本当に元いた場所に流れていた時間と同じかどうかもあやしい。

 一日が何倍にも間延びしたような感覚があった。実はここで過ごす一日が外の世界では一年なのだと言われたとしても、たいして驚かないだろう。

 カイは退屈な日中をたいていフロイとおしゃべりして過ごしている。他にすることがないからだ。

「災害ってなんだったの?」

「データがありません」

「外はどうなってるの?」

「データがありません」

「ねえ、父さんと兄ちゃんにはいつ会えるのかな。学校のみんなは?」

「データがありません」

 肝心なことはフロイにもわからないらしい。情報が制限されているのかもしれない。

 はたして父と兄はいったいどうしているのだろうか。

 あの日、会社勤めの父は仕事中で家にはいなかった。二歳上の兄もまだ学校から帰っていなかった。

 考えたくはないが、助かったのはカイと母だけだったのか。

 明るい性格だった母はこの施設に来てから次第に無口になって塞ぎ込むことが多くなった。それはきっとカイも同じで、ここに来てからは感情の動きさえ鈍くなったような気がする。父と兄の話は母にはしないようにしていた。なんとなくそのほうがいいと思ったからだった。

「就寝の時間です」

「まだ眠くないよ」

「脳波をアルファ波へと誘導する音楽を流しましょう。それでは消灯します」

 節電のためなのだろう。いつものように部屋の電気が消える。

 暗闇の中でカイの意識もいつのまにか眠りに落ちた。




 あの日から何日が過ぎたのか。

 フロイが告げる暦では三か月、本当は三年なのかもしれないが。

 カイが義手になった右腕にもすっかり馴染んだ頃、待ち人はついに来た。

 初めて入った面会室で、透明なガラス越しに父と兄に再会した。

 記憶よりも老けて見える父と、記憶よりも大人びた兄のリク。

 二人とも黒いマントに身を包み、どこか知らない人のような違和感があった。

「マイクを通して会話ができます」

 外からの面会者とはガラスを隔てて会話するルールらしかった。

「プライバシー保護のためここでの会話は録音されません。しかし、危険だと判断されたワードがあれば会話は遮断されます」

「兄ちゃん!父さん!」

「カイ、……母さん」

 スピーカーを通して兄の声が響く。

「無事でよかった」

 続いて聞こえた父の声。

 懐かしい父と兄。

「フロイ、このガラス開けてよ」

「接触は禁止されています」

「なんで?僕の父さんと兄ちゃんなんだよ。これからは一緒に暮らせるんだよね」

「居住区ごとの収容人数には制限があります。重症者はこちらの居住区には立ち入りできません」

 フロイの機械音声が無情に告げる。

「重症者って?」

「そのロボットの言う通りだよ」

 カイの問いかけにフロイではなくリクが答えた。

「このガラスドームの中から外は見えないの?外は…」

「やめて!」

 それまで黙っていた母が突然、悲鳴のような声で遮った。

 この面会室で父と兄の姿を見た時から母は何故かひどく怯えている様子だった。

「外はどうなってるの?兄ちゃん達、これまでどうしてたの?」

 リクはカイを見つめながら戸惑っているようにも見えた。ワード制限にひっかかるようなことなのだろうか。

 カイは少し考えて、聞いた。

 リクではなく、フロイに。

「人数制限があるっていうなら、逆に出て行くことはできるの?」

「外は危険です。外出は許可できかねます」

「危険って何だよ」

「危険です」

「外は高濃度の放射能に汚染されている。世界はもう滅びてしまった。外に出れば被爆する」

 フロイの音声を遮るように父が言った。そしておもむろにマントを捲り上げる。母が顔を背けた。

「ホウシャノウ…ホロビ…ヒバク…」

「キーワードを確認しました。ロックを解除します」

 家族を隔てていたガラスの仕切りが開いた。

 フロイの胴体部分のディスプレイにはホログラムが浮かびあがっている。

「こんなの初めて見た」

「これ、ドーム型だからこの施設のフロアマップじゃないかな。ほら、ここが現在地」

 この施設はドーム型なのだとカイは知った。そういえば、外から来たリクが先程この施設のことをガラスドームと言っていたではないか。

 カイとリクはしばらくそのホログラムのフロアマップに見入っていた。

「これ、気になるよな」

 リクが指差す先に青い光があった。

 カイは頷いた。

「行こう、カイ」

 笑顔のリクが手を伸ばす。

 カイは義手の右手で兄の手をとった。

「リク、お願い。カイを連れていかないで」

 カイの背後で母が泣き崩れた。

 父がそっと母の肩に手を置いた。

「外に出て被爆するか。ここで緩慢な死を待つか。いずれにせよもう未来は無い。ならばこの子らに選ばせよう。自らの終わりを」 

 母に語りかけた父の言葉の意味はカイにも理解できた。

 そして考える。

 誰もが外に出られないのだとしたら、この施設を支えるエネルギーにも限りがあるはず。そして配給される食事もいずれは枯渇する。

 ここで、このまま外に出ることもなく緩やかに……死んでゆくのだろうか。

 それとも……。




 解除されたのは施設の通路だけでなく、おそらく制限がかかっていたフロイのデータそのものであったのだろう。

 カイはリクと共にフロイの誘導で施設内の通路を歩いた。今まで入ったこともない場所のロックが次々と解除されていったが人の気配は全く無かった。

「他の人は?」

「もう他の人間はおりません」

「…やっぱりそうなのか」

 リクは納得するように頷くと言った。

「父さんと俺がいた避難所も全滅だった。ここみたいにきれいじゃなくて、途中からは電気も止まって、みんな…」

 それ以上聞くのが怖くなってカイは押し黙った。

 しばらく無言で歩いていたらフロイの動きが止まった。

「目的地に到着しました。こちらがエネルギー融合炉です。扉のロックを解除しますか?」

 材質のわからない重厚な扉が目の前にあった。

「解除して」

 カイは迷わず言った。兄に確認するまでもない。そのためにここに来たのだ。

「了解」

 扉がゆっくりと開くと、内部から青白い光が溢れ出した。

 光は青から緑、さらに赤や紫の色合いさえ含みながらまた青へと色合いを変え、はためいた。いつか動画で見たことがある北欧のオーロラを思い出した。

 広い部屋の中央には形容しがたい異様なものが鎮座していた。

 巨大な電球ともフラスコとも卵ともつかぬ透明の球体だ。複雑な器官のようなものが四方八方へと伸びて内壁の各種装置と繋がっている。光がその球体の内部でめまぐるしく回転しながら明滅を繰り返している。脈動しているかのようにも見えるそれはどこか異形の怪物めいた得体の知れないおぞましさがあった。じっと見ていると頭がおかしくなりそうだった。

「兄ちゃん」

 今度はしっかりと兄の顔を確認した。リクは穏やかな顔でカイを見つめ返して力強く頷いた。

 カイは生身の左手で兄と手を繋ぎ、義手の右手をコントロールパネルへと伸ばした。

「最終装置…解除」

 フロイの音声が短く告げる。

 そして。

 世界は真白に包まれた。

 果てしなく白く、白い。

 薄れゆく意識の中で、しかし残る自意識が確信していた。それは終焉の果てにある生の蠢き。

 はるか遠くに朝の光を感じた。



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