10 全知全能、放たれる時



 アレキサンドライト。全知の石と呼ばれる、国宝。

 その石は、天候によってその色を変えるため、大地の恵みをもたらす『豊穣の石』とも呼ばれている。

 

「アレクサンドラのもまた、国宝なのだそうだ」

 並んで走らせる馬上で、旅装のラウリが言う。

 


 王都郊外。

 念のため主要街道からは外れた細い畦道あぜみちを走ることにし、少々馬足を速めた。向かう先は目撃情報から、エミリアナの実家であるジリー男爵家だ。馬車で二日。馬なら一日で着く。つまりは、追い越せる算段だ。

 

 

「は!?」

「……もともと貴女は、全盲で産まれたんだそうだよ」


 ひゅ、と息が詰まり、思わず馬の手綱を強く引き絞ってしまい――大きくいななかれ、止まってしまった。

 ごめん、という気持ちを込めて馬首を撫でると、ブルルル、と許してくれたようだ。またゆっくりと歩き始め、やがて速足に戻る。

 その動きの全てに、ラウリは黙ってそっと寄り添ってくれている。そしてタイミングを見計らって、再び口を開いた。


「ある日、タイスト殿が夢で啓示を受けた。その通りにアレキサンドライトを持たせたらしたのだと。アレックスが七歳ぐらいの時かな」

 

 アレクサンドラが自身を転生者だと思い出したのは、八歳の時。思えばそれ以前の記憶は、曖昧だ。

 開眼して、覚醒したのか――


 そう認識すると、ぞわりと肌が粟立った。


「当時騎士団長だったタイスト殿は、陛下へ秘密裏に相談されたんだそうだ。大いなる力を授かった子だが、目を覚ましていない。アレキサンドライトへ触れさせよと言われたと」

「知らなかった……」

「タイスト殿らしいな。俺は宰相着任時に、王国の機密を色々陛下から聞かされる過程で知ったのだ。勝手に聞いてすまなかった」

 

 アレクサンドラも、父らしいと思ってしまった。

 だからなんだ、お前はお前だろう、と言いそうだ。


「なるほど、だから好きにさせてくれたのか」

「ふは、そうかもな」


 普通なら、アレクサンドラが剣を習いたいと言っても、いくら騎士団長とはいえ反対するだろう。

 女性ならばいずれ嫁にいくのだから、ダンスやマナー、刺繍を学べと。


 だが、なぜかそうは言われなかった。

 好きに生きろ、と笑っていた。

 

「良い父君だな」

「脳筋だけどな」

「のうきん?」

「脳みそすら、筋肉でできている」

「ぶっは!」


 ラウリのツボを見事についたらしい。

 ひとしきり笑って、しばらく使い物にならなくなった。


「なあアレックス……俺の腹筋死んだぞ」

「もっと鍛えろ」

「……ふぐう」


 アレクサンドラは、自身の帯剣にちらりと目をやる。


「これが本当にアレキサンドライトなら、色が変わるのではないのか?」


 ずっと、青い。


「それな。宝飾に仕掛けがしてある」

「そうだったのか」

「俺の変化魔法と同じ原理だ。見ただけでは、えないだろう?」

「ああ……」


 試しに魔力を込めて、見破ろうと試みる――空気がうねうねと歪み、それを何度か繰り返すと、やがて石の色が翠に変わった。

 ラウリの姿も、いつの間にか冴えない見た目が薄い黒霧のようになり、中身が透けている。


「あー、すまん。破ってしまったようだ」

「げ。俺の数年の苦労が一瞬か。さすが全能の目だな」


 なぜか嬉しそうなラウリの様子が、不思議でならないアレクサンドラ。

 首を傾げると、

「どうせ破られるさ。せめて打ち明けた後に、と願っていた」

 満足そうに微笑まれて、余計に戸惑った。

「俺ぐらいは、偽らないでおきたいと。勝手に誓ったのさ」

「ご苦労なことだな」


 いつ聞いたのかは知らないが、アレクサンドラが王宮にやって来る前までに、ラウリは備えていたということだ。

 

「私のことが……怖くはないのか」

「怖い?」

「全て見破られるのだぞ」

「でも、俺の愛もえるだろ?」

「っ」


 ラウリは、前方を向いたまま微笑んでいる。

 風が彼の前髪を巻き上げて――額の傷が露わになった。

 斬られたと思われる古傷は、左目の上から眉間へと斜めに走っている。

 下手をすると致命傷になりかねない位置と大きさに、思わずアレクサンドラの息が止まった。


「そ、れは」

「兄に斬られたやつだな」

「そうか……安心しろ。私に記憶は視えない」

には、な。を使えば視えるはずだ」

「必要ない。知って欲しければ、貴様が語れ」

「っ! ああ、たまらないな、アレックス!」

 

 恍惚とするラウリをアレクサンドラは

「貴様のことは、もういい。今は殿下のことだ」

 とバッサリ言葉で斬って捨てた。

「そうだな! どこまで視えている?」

「……殿下はさすが陛下のご子息だな」


 固定観念や先入観は、ラウリの冴えを封じるものでもある。

 アレクサンドラは、話すかどうか逡巡した。


「そうか~ま、それだけで大体分かった。さすが殿下だなあ。俺もまんまと騙されたようだ」

「エミリアナは……」

「うん。視えるとはいえ、たった一日で把握したのはさすがだな。影の部隊が形無しだ」

「よく言う。私を引っ張り出すことで、わざと焦らせたのだろう? まんまとジリー男爵は動いてボロを出した」

「ふははは!」


 図星だったようだ。


「アレックスの鋭さは、有名だからな」

「嬉しくはない」


 アレクサンドラが、第二王子リュシアンの専属護衛として王宮に入ってからというもの――賄賂行為や暗殺は格段に減った。『誰の働きか』は想像にかたくない。アレクサンドラの存在が忌み嫌われているのは、何も『女のくせに騎士』なだけではないのだ。

 

「私もラウも、国王に踊らされているな」

「あの人には、誰も勝てまいよ」


 ラウリは、アレクサンドラが『ラウ』と呼んでくれたことが嬉しくてたまらないし、アレクサンドラにもそれは視えているが――


「さあ、そろそろジリー男爵領だ」

「小さな村だな」


 、としてしまおう。

 大人の二人は、そう、思っている。


「さあて、どう出るか」

「とりあえず、馬車が来るまで先回りしてどこかで待とう」

「アレックスとお泊りかぁ~! 心が躍るねえ~~~~」

「殺されたいのか?」


 馬の速度を緩め、主要街道の様子が分かりそうな森の中で、身を潜めることにする。


「殺されても、本望だけどね」

「馬鹿野郎」


 小川を見つけ、その近くに腰を落ち着けた。

 水を飲み、携行食を食べたところでラウリが笑む。

 

「さあ、時間ができたことだし――封印を解こうか」

「封印? アレキサンドライトのか」

「そう。きっと必要だから」

「使い終わったら、また封じられるのか?」

「ああ」


 アレクサンドラが素直に帯剣を外し、草むらの上に横たえる。


「封印、というよりくさびだけどね」

 

 さわさわ、と樹木同士の葉がこすりあわさる音がして、ぴちちち、と小鳥が何羽か会話をしている。

 穏やかな、森の片隅で。


「貴女を、愛している」


 ラウリが跪いてアレクサンドラの手の甲にキスをしてから、剣の柄頭の石にキスをした。

 

 ――大きな黒い光が石の中で渦巻いてから、すぐにしゅん、と終息し。


「大馬鹿野郎……」


 アレクサンドラは、思い出した。

 自分が命を懸けて、この男を守ったことを。




 ◇ ◇ ◇



 

 アレクサンドラが、成人した時。父タイストが、母の反対を押し切って夜の酒場に誘ってくれた。

 この王国では、十六歳で成人。当然酒も飲める。


「俺の恩人を紹介したいのだ」


 馴染みの酒場の二階席は、店主が了承した者しか入れない、絶好の密談場。

 刀傷が目立つ木の階段をギシギシと登った先に座っていたのが、ラウリだった。


 黒髪赤目のがっしりとした体躯に、自信満々の微笑み。

 冴えない宰相ではなく本来の姿で待っていた男に、アレクサンドラは開口一番、

「すごいな。不幸が渦巻いている」

 と言ってしまった。

 

 瞠目どうもくしたラウリは、自身が複雑な身の上であることだけ、告げる。


 そして――



 酒場から出て、酔って寝たタイストを馬車に押し込めたところで、ラウリを狙う暗殺者たちに襲われた。


「ちっ」

 

 馬車を出し、すかさず闇魔法を繰り出すラウリはだが、少し酔っているためそのが甘い。

 同じくほろ酔いのアレクサンドラは、むしろ理性が働かず


「しぃっ」


 ――『純粋な殺し屋』となってしまった。

 

 

 十名は下らないだろう暗殺者どもを、煽りに煽って路地裏に誘い込んだかと思うと、ナイフを鮮やかに操り、つむじ風のように彼らの間を駆け抜け、あっという間に全員絶命たらしめた。確実に頸動脈を狙った一撃必殺の前世の技は、ラウリを戦慄させ、もちろん酔いは一気に醒めた。


 闇夜に光る『全能の目』。その視線が、自身をも貫いている。

 そのことに、背筋が、膝が、全身が、震える。兄に斬られた時でさえ感じたことのない、初めての絶対的な恐れだった。


 

「アレクサンドラ……」

「はあ、また殺してしまった……また……殺す毎日に舞い戻るのか?」



 だがその殺し屋は、絶望に顔を歪ませて石畳に膝を突き、血みどろの両手で顔を覆う。

 ラウリはゆっくりと歩み寄り、がららんと鈍い音を立てて彼女の手から落ちたナイフを、無言で拾った。

 美しい銀髪に血糊ちのりが付くのを防いでやりたいと思ったが、躊躇する。踏み込んでも、良いものか。触れても、良いものか。



「嫌だ……もう、殺したくないっ……」



 だがそのか細い声が、ラウリを動かした。


「っ、……」

「もう、嫌なんだ。私は。殺すのも、殺されるのも」

「アレクサンドラ! 俺は、救われた」


 意を決して、華奢な体を抱きしめる。強いのに、弱い。残酷であるのに、苦しんでいる。本能で、全身で――愛しい! と思った。


「俺を助けたのだよ。誇ってくれ。これは、俺の罪だ。恨んでくれ」

「ラウリ」

「この記憶を、俺がもらい受けよう。いつかこの出会いを、受け入れられるその時まで。これを二人のくさびとしよう」




 ◇ ◇ ◇


 


「ほんと、ストーカーだな」

「言うなよ、アレクサンドラ」

 

 小川のせせらぎを聞きながら、アレクサンドラはその頭をラウリの肩に預け――少し、眠った。

 



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 お読み頂き、ありがとうございました!

 

 本日の一殺:ラウリの腹筋

 理由:脳みそ筋肉っていうセンス、すごいな!

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