10 全知全能、放たれる時
アレキサンドライト。全知の石と呼ばれる、国宝。
その石は、天候によってその色を変えるため、大地の恵みをもたらす『豊穣の石』とも呼ばれている。
「アレクサンドラの
並んで走らせる馬上で、旅装のラウリが言う。
王都郊外。
念のため主要街道からは外れた細い
「は!?」
「……もともと貴女は、全盲で産まれたんだそうだよ」
ひゅ、と息が詰まり、思わず馬の手綱を強く引き絞ってしまい――大きく
ごめん、という気持ちを込めて馬首を撫でると、ブルルル、と許してくれたようだ。またゆっくりと歩き始め、やがて速足に戻る。
その動きの全てに、ラウリは黙ってそっと寄り添ってくれている。そしてタイミングを見計らって、再び口を開いた。
「ある日、タイスト殿が夢で啓示を受けた。その通りにアレキサンドライトを持たせたら
アレクサンドラが自身を転生者だと思い出したのは、八歳の時。思えばそれ以前の記憶は、曖昧だ。
開眼して、覚醒したのか――
そう認識すると、ぞわりと肌が粟立った。
「当時騎士団長だったタイスト殿は、陛下へ秘密裏に相談されたんだそうだ。大いなる力を授かった子だが、目を覚ましていない。アレキサンドライトへ触れさせよと言われたと」
「知らなかった……」
「タイスト殿らしいな。俺は宰相着任時に、王国の機密を色々陛下から聞かされる過程で知ったのだ。勝手に聞いてすまなかった」
アレクサンドラも、父らしいと思ってしまった。
だからなんだ、お前はお前だろう、と言いそうだ。
「なるほど、だから好きにさせてくれたのか」
「ふは、そうかもな」
普通なら、アレクサンドラが剣を習いたいと言っても、いくら騎士団長とはいえ反対するだろう。
女性ならばいずれ嫁にいくのだから、ダンスやマナー、刺繍を学べと。
だが、なぜかそうは言われなかった。
好きに生きろ、と笑っていた。
「良い父君だな」
「脳筋だけどな」
「のうきん?」
「脳みそすら、筋肉でできている」
「ぶっは!」
ラウリのツボを見事についたらしい。
ひとしきり笑って、しばらく使い物にならなくなった。
「なあアレックス……俺の腹筋死んだぞ」
「もっと鍛えろ」
「……ふぐう」
アレクサンドラは、自身の帯剣にちらりと目をやる。
「これが本当にアレキサンドライトなら、色が変わるのではないのか?」
ずっと、青い。
「それな。宝飾に仕掛けがしてある」
「そうだったのか」
「俺の変化魔法と同じ原理だ。見ただけでは、
「ああ……」
試しに魔力を込めて、見破ろうと試みる――空気がうねうねと歪み、それを何度か繰り返すと、やがて石の色が翠に変わった。
ラウリの姿も、いつの間にか冴えない見た目が薄い黒霧のようになり、中身が透けている。
「あー、すまん。破ってしまったようだ」
「げ。俺の数年の苦労が一瞬か。さすが全能の目だな」
なぜか嬉しそうなラウリの様子が、不思議でならないアレクサンドラ。
首を傾げると、
「どうせ破られるさ。せめて打ち明けた後に、と願っていた」
満足そうに微笑まれて、余計に戸惑った。
「俺ぐらいは、偽らないでおきたいと。勝手に誓ったのさ」
「ご苦労なことだな」
いつ聞いたのかは知らないが、アレクサンドラが王宮にやって来る前までに、ラウリは備えていたということだ。
「私のことが……怖くはないのか」
「怖い?」
「全て見破られるのだぞ」
「でも、俺の愛も
「っ」
ラウリは、前方を向いたまま微笑んでいる。
風が彼の前髪を巻き上げて――額の傷が露わになった。
斬られたと思われる古傷は、左目の上から眉間へと斜めに走っている。
下手をすると致命傷になりかねない位置と大きさに、思わずアレクサンドラの息が止まった。
「そ、れは」
「兄に斬られたやつだな」
「そうか……安心しろ。私に記憶は視えない」
「
「必要ない。知って欲しければ、貴様が語れ」
「っ! ああ、たまらないな、アレックス!」
恍惚とするラウリをアレクサンドラは
「貴様のことは、もういい。今は殿下のことだ」
とバッサリ言葉で斬って捨てた。
「そうだな! どこまで視えている?」
「……殿下はさすが陛下のご子息だな」
固定観念や先入観は、ラウリの冴えを封じるものでもある。
アレクサンドラは、話すかどうか逡巡した。
「そうか~ま、それだけで大体分かった。さすが殿下だなあ。俺もまんまと騙されたようだ」
「エミリアナは……」
「うん。視えるとはいえ、たった一日で把握したのはさすがだな。影の部隊が形無しだ」
「よく言う。私を引っ張り出すことで、わざと焦らせたのだろう? まんまとジリー男爵は
「ふははは!」
図星だったようだ。
「アレックスの鋭さは、有名だからな」
「嬉しくはない」
「私もラウも、国王に踊らされているな」
「あの人には、誰も勝てまいよ」
ラウリは、アレクサンドラが『ラウ』と呼んでくれたことが嬉しくてたまらないし、アレクサンドラにもそれは視えているが――
「さあ、そろそろジリー男爵領だ」
「小さな村だな」
大人の二人は、そう、思っている。
「さあて、どう出るか」
「とりあえず、馬車が来るまで先回りしてどこかで待とう」
「アレックスとお泊りかぁ~! 心が躍るねえ~~~~」
「殺されたいのか?」
馬の速度を緩め、主要街道の様子が分かりそうな森の中で、身を潜めることにする。
「殺されても、本望だけどね」
「馬鹿野郎」
小川を見つけ、その近くに腰を落ち着けた。
水を飲み、携行食を食べたところでラウリが笑む。
「さあ、時間ができたことだし――封印を解こうか」
「封印? アレキサンドライトのか」
「そう。きっと必要だから」
「使い終わったら、また封じられるのか?」
「ああ」
アレクサンドラが素直に帯剣を外し、草むらの上に横たえる。
「封印、というより
さわさわ、と樹木同士の葉がこすりあわさる音がして、ぴちちち、と小鳥が何羽か会話をしている。
穏やかな、森の片隅で。
「貴女を、愛している」
ラウリが跪いてアレクサンドラの手の甲にキスをしてから、剣の柄頭の石にキスをした。
――大きな黒い光が石の中で渦巻いてから、すぐにしゅん、と終息し。
「大馬鹿野郎……」
アレクサンドラは、思い出した。
自分が命を懸けて、この男を守ったことを。
◇ ◇ ◇
アレクサンドラが、成人した時。父タイストが、母の反対を押し切って夜の酒場に誘ってくれた。
この王国では、十六歳で成人。当然酒も飲める。
「俺の恩人を紹介したいのだ」
馴染みの酒場の二階席は、店主が了承した者しか入れない、絶好の密談場。
刀傷が目立つ木の階段をギシギシと登った先に座っていたのが、ラウリだった。
黒髪赤目のがっしりとした体躯に、自信満々の微笑み。
冴えない宰相ではなく本来の姿で待っていた男に、アレクサンドラは開口一番、
「すごいな。不幸が渦巻いている」
と言ってしまった。
そして――
酒場から出て、酔って寝たタイストを馬車に押し込めたところで、ラウリを狙う暗殺者たちに襲われた。
「ちっ」
馬車を出し、すかさず闇魔法を繰り出すラウリはだが、少し酔っているためその
同じくほろ酔いのアレクサンドラは、むしろ理性が働かず
「しぃっ」
――『純粋な殺し屋』となってしまった。
十名は下らないだろう暗殺者どもを、煽りに煽って路地裏に誘い込んだかと思うと、ナイフを鮮やかに操り、つむじ風のように彼らの間を駆け抜け、あっという間に全員絶命たらしめた。確実に頸動脈を狙った一撃必殺の前世の技は、ラウリを戦慄させ、もちろん酔いは一気に醒めた。
闇夜に光る『全能の目』。その視線が、自身をも貫いている。
そのことに、背筋が、膝が、全身が、震える。兄に斬られた時でさえ感じたことのない、初めての絶対的な恐れだった。
「アレクサンドラ……」
「はあ、また殺してしまった……また……殺す毎日に舞い戻るのか?」
だがその殺し屋は、絶望に顔を歪ませて石畳に膝を突き、血みどろの両手で顔を覆う。
ラウリはゆっくりと歩み寄り、がららんと鈍い音を立てて彼女の手から落ちたナイフを、無言で拾った。
美しい銀髪に
「嫌だ……もう、殺したくないっ……」
だがそのか細い声が、ラウリを動かした。
「っ、……」
「もう、嫌なんだ。私は。殺すのも、殺されるのも」
「アレクサンドラ! 俺は、救われた」
意を決して、華奢な体を抱きしめる。強いのに、弱い。残酷であるのに、苦しんでいる。本能で、全身で――愛しい! と思った。
「俺を助けたのだよ。誇ってくれ。これは、俺の罪だ。恨んでくれ」
「ラウリ」
「この記憶を、俺がもらい受けよう。いつかこの出会いを、受け入れられるその時まで。これを二人の
◇ ◇ ◇
「ほんと、ストーカーだな」
「言うなよ、アレクサンドラ」
小川のせせらぎを聞きながら、アレクサンドラはその頭をラウリの肩に預け――少し、眠った。
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お読み頂き、ありがとうございました!
本日の一殺:ラウリの腹筋
理由:脳みそ筋肉っていうセンス、すごいな!
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