傀儡

「ローズ、これは一体どういうつもりだ?」

「これが我らの、私たちの答えさ。ジャンゴ」

 空気の流れを感じる。たなびく紫の裾と、鉄くずとホコリが混ざった隙間風の匂い。痩身で長身。ジャンゴと呼ばれたその男は陰ではっきりと見えないが、冷えた中に滾る情が見え隠れしているように見える。

 ローズと呼ばれた彼女に誘われ、モニュメンツ・トラストへの加入を余儀なくされたクリスはブッコローと呼ばれるぬいぐるみの作業を任された。要するにぬいぐるみの存在を広めてこい、とのお達しである。

 生き物のペットの所持は厳しく制限がかけられており、一般人はまず持つことは不可能だ。ペットロボット自体は許可されているが、モニュメンツ・トラストはこれに異議を唱えていた。大々的に販売することはできないため、商店街の店から手当たり次第に配ってみた。いい思考だとは思えなかったが、評判はそこそこだった。外の世界にいる息子を思い出した、家族に会いたくなった。かけられる言葉から手ごたえを感じたローズは、他メンバーを多数アサインしたうえで、社会活動の一環としブッコローの存在を広めた。とある日、管理部直々に外で会わないかとお呼び出しをもらったというわけだ。

「どういうつもりだ、とは心外だな。貴様は、一度この意見書を見ているはずだ。違うか」

 ブッコローの製造が開始される前、生き物とロボットとでは受け取る刺激や感情が異なると仮説を立てたクリスは、脳波によるデータやストレス分析を重ねたうえで管理部にペット所持の許可を求める意見書を自ら提出していたらしい。

「ペットを世話する、またはハグを行うことで2.5割のストレスを解消させることが確認された。ペットロボットと比較して大きく数値に差がみられる。」淡々と読み上げる男の声。

 改善されるどころか反乱分子として警戒を強めた管理部を前に、モニュメンツ・トラストは対抗手段としてぬいぐるみを持ち出し、製造を開始した。ペットではないから自由に所持できる、というのは建前で、管理部に対する一つのアンチテーゼだったのである。

「これでも管理部官憲の長、目は通すさ。通さないと上がうるさいのでね」やれやれといった表情。

「だからといって、この街を壊す権利はないだろう。あの少年を巻き込む必要もなかったはずだ。今ここにいるようだが」

 背筋に凛とした冷たさ。冷静に事実を伝えるかのような口調。クリスは身震いした。

「気づいていたか」

「クリス・ジョーンズ。本名安慶名あげな博。叔母は元特区研究員、安井美子。ローズも知らなかったわけではないのだろう?」

「は?」クリスの呟き。思わず漏れ出た声にしては、路地裏に響く音量。

 下唇を少し持ち上げる。見えた銀歯が薄暗い明りに妖しく光っていた。

「おやご存じない?両親が姿を消した後、なぜ叔母一人で子供を養えることができた?どこに働きに出ていた?」嬉々として話を続ける。

「この街ボイド・シティは大きな実験室であり、テスト用のサンプルの集まりであり、家畜小屋でもある。世界の科学技術に後れを取った日本政府が独自に特別技術開発区として大都市地下一体に作り上げた街、それがこの街の正体だ。世界中から科学者を寄せ集め、高い技術力を持って街、ひいては国に還元させる。なにせ援助してるのが国だから、財政が破綻することはない。人を救える技術を一つ開発すれば、その価値はとても値段などつけられない。お前たちはいわばマウスなのさ」あごで空を示す。

「見てみろ!人間を超える喜びを味わった、自分がこんな力を持てるなんて思ってもみなかったなんて言ってる奴らがわんさかいる。ああ、さぞ幸せなんだろうなあ!」

「きさ…マァ…」

「安井は逃げたんだよ。テクノロジーが支配するこの街、国の政策に嫌気がさしたのか研究疲れだったのか知らねえが、パタリと研究室に来なくなった。優秀な人材をなくしたと思ったのも束の間、転校生としてクリスが街に入ってきた」ローズを尻目に続ける。クリスに聞こえるように、袋小路に木霊する音量で。

「ボイド・シティに入った人間は外の人間と区別するために通称コードネームで呼ばれる。セキュリティチェックで本名を調べたらピンときた。大方この街をどうにかしてほしいって思いで送り込んだんだろうよ。ハン、とんだスパイ野郎だ」

「叔母さんは!」クリスは知らず飛び出し唾を飛ばしていた。

「叔母さんは、そんな汚い人間なんかじゃない!」

「おい、お前何を—―」ローズの声が遠く聞こえる。

 腕っぷしも細い自分が、歯はおろか全身もろとも機械に置き換えている相手にかなうわけがない———唯在るのは滴の理性と後悔を差し置いて有る、タガが外れるほどの激情であった。

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