遂行

 何の気なしに、外に出た。RSSは毎朝、家主や同居人の健康状態を管理、記録してくれる。ありがたいといえば間違いはない。が、体温計測で37℃以上の発熱がある、あるいは吐き気や腹痛など自覚症状がある場合は話が別だ。発熱の場合は無条件で外出許可が下りず玄関の扉が一定時間ロックされてしまう。自覚症状の場合は体温や本人の自己申告のなかでRSSが総合的に判断する。健康ではないと判断されると外出はなしだ。休日平日など関係ない。

 ちなみに、平日外出許可が下りなかった場合、RSSのネットワークを通じ学校や職場にその旨が共有される。無断欠席や無断欠勤の心配はありません、とガルネが言っていた。今思えば、少しだけ声が誇らしげだったように思う。人の声とは違うし、ただの思い違いかもしれない。健康であることは大事だが、少し過剰な気もする。統制管理部という連中も正直信用できない。

 自分がまだ未熟なのか、街というものは全てこういうものなのかよくわからないが、ここは変わった街だ。外に出れば、昼でも夜でも煌びやかなネオンサインが建物の壁という壁、屋上という屋上に置かれている。繁華街のような雰囲気といえば間違いはないのだが、建物自体は決して新しいようには感じない。所々塗装がはがれ、灰色のコンクリートがむき出しになっている箇所が当たり前にある。

 越してきて最初のころは目がとにかくチカチカした。瞬きをすると残像が残って視界が隠れてしまうので、自然と下を向いて歩くようになった。足元に広がる汚れたコンクリート。見上げれば鮮やかすぎる原色な字体と光る線。空間自体がせわしなく、絶え間なく動き続ける景色。見慣れないという意味で真新しかったのもあって、最近は面白がる余裕も出てきた。

 家から少し歩くと商店街のような場所に差し掛かる。

「お兄ちゃんお兄ちゃん、見た目がさいっこうにクールなアームだ。ちょいと見ていかないかい」

「可動域を極限まで広げた脚!速度も申し分ない!おすすめだよ」

「機械油から工具、メンテナンス用品ならなんでも揃ってるよ!」

 一度気のゆるみだったのか、興味本位だったか忘れたが店の前で立ち止まったことがある。いきなり馬鹿力で右肩をガシッと掴まれたと思いきや延々と売り物についての話や店主の昔話をされ、気がつけば勢いで一つ買おうか買うまいか悩んでいる自分がいた。我に返って店を後にしたが、それ以来このあたりでは正面を向いてど真ん中をすたすた歩くようにしている。

 売られているものは、サイボーグの部品といえばわかりやすいか。腕や足といった部分から人口筋肉や人工心臓といったものまで、人間の中に存在するものほぼ全てが機械として売りに出されている。学生の自分でも少し背伸びすれば買える値段なのも驚きだ。噂では統制管理部が外の技術をありったけ買いあさっているからとか、街から助成金が出るからとか―叔母さんの話だ。

 統制管理部が大手を振って推し進めている事業であり、この街の存在意義とも重なるものがこの「人機一体」である。身体の機能を置き換えることができる人工物―機械や電子機器でもなんでも、それらを気軽に売買し、身体へのまで行うことが可能だ。商店街の店主も例外なく何らかの装置に置き換えている。メンテナンス用品の店主は「生なのは頭だけだ」なんてぼやいてたっけ。自分は多分一生買うことはないだろうけど。

 商店街もしばらく歩くと店も少なくなってくる。心なしか空腹を感じた。服にもじんわり汗が滲む。

「さすがに歩き疲れたな。商店街って結構縦に長いってことを忘れてたよ…ん?」ふと視界の端に気になるものが映った。

「これは…」道端に黒く汚れた何かが見えた。手に取ってみる。

 煤けたような汚れがあるが、どうやら鳥の形をしているようだ。丸っこい形をしていて、耳のようなものがついている。汚れを払うと、隠れていた橙色の身体が見える。

「鉄人になんてなれやしない。在るのは生身の人間だけだ。機械を取り付けただけのペラペラな人間を超人扱いする馬鹿のせいで、ソイツは度を越した自惚れに発展する。そうは思わないか?少年。」

 少年と呼ばれた声につられ、クリスは顔を向ける。赤髪に紫のパーカー。悪目立ちしそうな服装だが、この街ではそうでもない。むしろマシなほうだ、というのは失礼か。

「誰だいあんたは」

「名乗るほどの者でもないさ。」言葉とは裏腹に、謙遜しているわけでもなさそうだ。

「何かモノを勧められるんじゃないかと思った」

「はは、商店街の商魂にあてられたらそうなるか。生憎そういう趣味はないんでな。」

 カラカラと笑いながら、彼女は向き直る。同い年ぐらいだろうが、整った顔立ちだなと思った。

「で、何の話だ?」

「うん?」

「さっきの。機械の話だ」

「あー…」彼女はバツが悪そうに、あたりを見渡した。

「あっちにいい店があるんだ。ここじゃなんだから、よかったら」

「なるほど誘拐か」

「白昼堂々にも程がある。」

 商店街から少し歩いた町はずれに出てすぐ、お目当てのものが見つかったらしく彼女の足が少しだけ早まる。

「ここだ。私のお気にいりの場所」

 ガラス貼りから中がよく見える。チラッと見た感じでは木目調のインテリアを使ったカフェといった感じだ。入り口から香ばしいコーヒーの匂いが漂っている。電光掲示板を見ると夜はバーをやっているらしい。

「心配しなくても、お酒を勧めたりはしないさ」

「飲むつもりもないけど」

「ちょっとぶっきらぼうなのが玉に瑕だな」マスターに案内され、彼女は席に座った。

「…」

「あ、ひとまずこのコーヒーを2つで。って、座らないのか?」

「あのな、ロクに自己紹介もせずいきなり来たことがない店に連れてこられて、勝手にメニュー頼まれて、はいいただきますって飲むと思うか?」

「メロンソーダのほうが好みだったか」

「そういうことじゃねぇよ!」

「ぬいぐるみに興味を持ってくれたのが嬉しかった、それだけの話さ」

「ぬいぐるみって…」

「橙色のミミズクの形したやつだよ。さっき掴んでたろ。アレは私たちのものなんだ。捨てられていたやつを拾ってくれたお礼も兼ねて誘ってみたというわけだ。

 もう一度、改めて君に言いたい。一つ、私の話に付き合ってはくれないだろうか」

 渋々といった様子でクリスはイスに腰掛ける。

「ありがとう。あのぬいぐるみは、私たちが書店で見つけたものなんだ。」

「書店…」コーヒーが2杯運ばれてきた。なぜか酸っぱい香りがした。

「この街じゃあほとんど見なくなって久しいけどね。先端技術だ情報化社会だなんて、統制管理部が繰り返し繰り返し煽った弊害だよ。効率化や能率を重要視しすぎた結果、本も電子媒体に置き換わっていった。」

「電子媒体のほうが効率がいいってことか?」

「この街を牛耳ってる…おっと、言葉が過ぎたが…実質的に街を動かしている立場なのは外から集まった選りすぐりの学者や研究者たちだ。参考文献として扱う図書も膨大だし、学術書なんてのは大概大判でページ数も多いから紙だと重たくなる。その不満を統制管理部は真正面から受け止め、片っ端から電子書籍化を始めた。挙句の果てに街の研究資料、情報資産としてタダ同然の値段で売り出した。誰でもパーツが作れるようになった!なんて懐を膨らませる奴らが出てくる中、市政の流れに乗って文庫本も単行本も一気に電子化が進められた。書店は商売あがったりだよ。」プラスチックの板のようなものを取り出し、見せる。タブレット端末だったか。

「今じゃあこんなヘンテコな板に何冊でも本が入る。街のネットワークにもアクセスできる。役所に行かずとも手続きができるし、露店じゃ売られていない裏パーツの注文もできる」

 彼女は、グイっと顔をこちらに寄せてきた。異性にこの距離で見られるのは慣れない。クリスは少し顔を引いたが、構わず続ける。

「この街の人々は人間としての営みを失いつつあるのさ。皆がみんなサイボーグになって人は幸せになれると思うか?特に若い奴らは人から良く思われたい、目立ちたいと悶々とした思いを抱えがちだ。そんな時に商店街の売られているパーツを見たらどうだ。何の気なしにパーツを手に取るだろう。あまつさえ取り付けもやってくれるとなったら、尚更興味を持つはずだ。違うか?」

 言葉に詰まる。半年前の自分を思い出した。

「今あるか?」彼女はマスターに尋ねる。入ってきたときはよく見えなかったが、レンズが大きめのフチなし眼鏡をつけているのがわかった。

「本来、こういったテクノロジーの進歩は人を助けるためのツールとして使われるべきだ。決して人間が持つ漠然とした劣等感や不安を埋めるものではない。いたって健康な人体を持つ奴が踏み込む必要はないんだ。サイボーグ化が進めば本人の情動への気づき、感情自体の言語化が鈍くなるとの研究結果も出ている。」タブレットを操作し見せる。

「管理部はこの事実は」

「知らぬふりをしているな。彼らは最終的には全員がサイボーグになることを望んでいる。抗うための手段のひとつがさっきのぬいぐるみさ。跳ねっ返りは食らうが。」

「もう一度、君に問いたい。私たち—モニュメンツ・トラストの活動に手を貸してくれないだろうか」

「…なんでオレなんだよ」

「じきに分かるさ」

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