第18話 最強の騎士vs魔王(2)
カルミッドが背負っている過去を、軽いという気は無いが、俺にも背負っている物はある。
『レンタル魔王』などという刹那的で軽薄な呼び名だが、それでも捨てられない物はある。
魔族の為に、俺が背負うべき責任からは逃げられない。
「もし、お前たちがその子達に手を出したら⋯⋯死ぬより苦しむことになる」
「ふん、くだらん脅しだ」
俺の言葉を意に介す様子も見せず、カルミッドが歩み寄ってくる。
分かっている。
こんな言葉で人は変わらない。
だからこそ、抵抗しなければならい。
強制的に──相手を変えてしまう事に。
「違う。警告と⋯⋯予言だ。俺はさっきから、ずっと⋯⋯抑えているんだ」
カルミッドや後ろの騎士達に、もしかしたら同情の余地はあるのかも知れない。
彼らは、種族平等などという建て前の裏で、省みられる事がなかった被害者なのかも知れない。
だがそれでも、ヴァイスを利用し、無関係な子供たちを巻き込むなんて事は論外だ。
だから、俺は抑えている。
──怒りを。
解き放て⋯⋯と、常に誘惑が襲ってくる。
暗い声が耳元で囁いてくる。
俺が戦っているのは、目の前の騎士でも、かつて対峙した敵でもない。
いつもこの、ドス黒い感情だ。
『シモン、何を躊躇っている⋯⋯さっさと怒れ、奴らに教えてやれ、誰が支配者で、誰が絶対者かを世に知らしめろ。お前の足元に跪き、お前の機嫌を取る為だけに生きる、真の恐怖と引き換えに手にする、最上の幸福を奴らに教えてやれ⋯⋯』
闇が手招きし、俺を誘惑する。
その衝動を抑えきれなかったせいで起きた悲劇。
それに伴って、激しい後悔を覚えたかつての自分を思い出しながら、抗う。
だが──。
「ふん、何を抑えてるかは知らんが、俺が終わらせてやろう──フィル、そのガキから殺せ」
人質となっている二人のうち、弟のロイを指差しながらのカルミッドの一言が──俺の忍耐の壁に、一筋の亀裂を入れたのを感じた。
「あいつが抵抗したら、じゃなかったのか?」
「人質は一人いれば十分だ。下手に抵抗されて、これ以上長引けば面倒になる」
「そうか、分かった」
「銃は使うな、ガキの魔族ごときに弾がもったいない。サーベルでやれ」
フィルと呼ばれた男が、カルミッドの要請に応じてサーベルを抜いた。
「じゃあいくぜ!」
男がサーベルを振り下ろした瞬間──俺の忍耐は、静かに崩壊した。
『それでいいんだ、シモン──』
『闇』が、嘲笑うように、慈しむように、俺を肯定する。
俺の『怒り』が、サーベルを振り下ろしつつあった男を捉えた。
同時に、フィルと呼ばれた男は身体を震わせ、動きを止めた。
自らの手にある得物を、持ち替え──。
──自分の腹に刺した。
「あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あっ!」
奇声を上げながら、サーベルを左右に動かす。
「嫌だッ! 怖い! 死にたく、ない、死にたい! ああ、やだ、見るな、スミマセ、ン、もう、しません!」
俺を見ながら、男は死への抵抗と死への渇望、後悔と慈悲を脈絡なく口にする。
同僚の突然の奇行に、残りの騎士のみならず、カルミッドでさえ事態を呑み込めず呆然としていたが⋯⋯。
最初に立ち直ったのは、やはりカルミッドだった。
「貴様ッ! 何をしたッ!」
俺は答えない。
答えられない。
答えようとすれば、更なる怒りを覚えそうだからだ。
だから、心を静めるために口を閉じていた。
その間にも、フィルは奇声と奇行を止めない。
激しい動きと声とは対照的に、腹から流れ出た血が、倉庫の床に静かに広がる。
「ええい、誰でもいい! フィルを止めろ、残りは人質を殺せ!」
原因の追求を放棄したのか、カルミッドが指示を飛ばす。
一人が再びサーベルを、一人が銃を人質に向けた。
それを見て、俺は諦めた。
怒りの制御を手放してしまった。
怒れる己と、どこか冷静に、今の状況を俯瞰で見ている俺が混在する。
行動を起こしたうち、サーベルを持った男はサーベルを投げ出し、舌を突き出したあとで、自ら噛みちぎった。
銃を抜いた男は、自分の太股を撃った。
引き金を引いた指は一度で止まらず、何度も、何度も、倉庫内に発射音が響く。
弾倉が空になった後も、引き金を引き続け、カチンカチンと撃鉄を鳴らした。
俺の制御を離れた怒りは、何もしていなかった残りの、二人の騎士にも向けられる。
一人はしゃがみこみ、自らの頭を倉庫の床に叩きつけた。
もう一人は、顔をかきむしりながら、爪を眼球に食い込ませている。
全員が、バラバラに、同じ種類の言葉を、脈絡なく、それでいて示し合わせたように口から紡ぎ出した。
怖い、嫌だ、許して、死にたい、死にたくない、恐ろしい、助けて、やめて、もうしません、逆らいません、服従します、見ないで。
恐怖、生への渇望、死への欲求、謝罪、後悔、服従、そして、恐怖。
混乱の中、カルミッドは立ち竦んでいたが、やがて俺を向き、懐に手を入れ、先ほどのケースを再び取り出した。
ケースを何度も振り、手のひらに大量に強化薬を出したカルミッドは、その全てを口に頬張り、噛み砕いた。
粉々にした事と、過剰摂取により、薬はすぐに効果を発揮したらしい。
「アアアアアアッ!」
獣のような声を上げ、カルミッドが突進してくる。
──俺は最後の怒りを、彼に向けた。
瞬間、凄まじい勢いでこちらへと走り出していたカルミッドは、頭を抱えながらその場に膝を付いた。
掻きむしるように手を動かし、髪の毛を引きちぎる。
ただ、それでもカルミッドは他の騎士達とは少し違っていた。
「キサマ、いや、貴方様、怖い、いったい、何が、許し、嫌だ、何をした」
その言葉には、後悔と疑問が交ざっていた。
それには答えず、俺はカルミッドの肩に手を乗せる。
「カルミッド、俺はお前を赦す」
俺の一言に、それまで疑問と混乱が渦巻いていたカルミッドの表情に、恍惚ともいえるものが浮かぶ。
「⋯⋯ああ、シモン様」
「俺は彼らを癒してくる、話はその後にしよう」
「はい、シモン様の慈悲を彼らにお与えください」
俺は今も混乱の最中にある騎士達に、一人ひとり声をかけながら、治癒し、赦しを与えた。
誰もが、カルミッドと同じ様に恍惚の表情を浮かべながら、俺の慈悲に感謝する。
もう、彼らは元に戻らない。
俺に付きまとう精霊の中で、最も強力で、最も凶悪で、最も過保護な──闇を司る精霊。
俺が怒りを向けた相手に、抗えない恐怖を植え付ける。
死んだ方がマシだと思えるほどの、深い恐怖を。
知る前と、知った後で、その人間が変わってしまう程の、深く、暗い恐怖。
彼らを恐怖から解放してやるには──俺が赦しを与えるしかない。
そして一度感じた恐怖を、二度と味あわない方法を彼らは自然と学ぶ。
彼らはもう今後、俺に媚び、
──そんな事を、俺が望む、望まないにかかわらず、だ。
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